「そのうち」じゃなく
2025年 11月 07日
きのうは、懐かしい千葉時代の友人に会いに行った。
御年86歳の男・Sやんは、このブログを読んでくれていて、その内容が彼の心に届くと電話をくれる。
最近のブログが「めんどくせーことばっかり書いてあって、ちょっと読む気がしねえ」と厳しいこともおっしゃる。
その彼が、電話をくれたのは、この記事を書いた翌日だった。
「Mって誰のことですか」、千葉のことなら何でも知っているようでも世代が違うから、かけちがって知らない名前だったのだ。
Mさんのことを話したあとは、例によって共通の知人の消息、すなわち「あいつは生きているか」。
あの人もこの人も、、鬼籍にはいった名前を聞いているうちに、「おい、そのうちに、なんていってられねえな、こりゃもう、会うことにすんべ」と僕がいって、じゃあ、誰と誰にも声をかけよう、と話が決まった。
会ったときに、Sやんのことは知っている、と言うので、そのときは社交辞令のように、「こんどはSやんにも声をかけよう」と話したMさんにも声をかける。
それで結局、若いMさんが幹事をやってくれることになったのだから、人のめぐり合わせの妙だ。

足が不自由で、トイレが近いSやんのことも考えて駅前の店内にトイレのある店、三時から。
せっかく、懐かしい千葉に行くのだから、少し早めに出て駅の近くを歩いてみよう、ぼくの計算では1時間余裕をみて家を出た。

錦糸町駅は僕が初めて会ったときにSやんが駅長をしていた駅で、この駅に地域間異動できた秋田の衆とのあいだで近しい関係が出来た駅でもある。
千葉に行くときはいつもここで乗り換えているのだが、今日はいつもと違った感慨をもってホームに出る。
成田エクスプレスが通過していくと、ああ、これも僕が支社長のときに出来た特急だ、とか、その前の成田闘争をめぐって鉄道人としてのさまざまな関りを思いだす。
初めて千葉鉄道管理局の人事課長に赴任するときは、上野駅まで迎えに来てくれたGっちゃんとHやんに連れられて、秋葉原乗り換えで総武線の黄色い各駅停車で立ったまま千葉まで行ったのだ。
あの二人もとっくに亡くなったなあ、人事課時代の若かった彼らの風貌や、宴会での余興のことなど思い出す。
感慨にふけったせいか、快速電車なのに、千葉駅に着いたら2時45分、もう散歩している暇はない。
胸算用も老化している。

店の前にMさんが待っていて、SやんとSIさんと僕との4人でさっそく始まる。
青森にいるI君、秋田にいるYちゃんも電話で参加。
二人は、地域間異動で錦糸町駅に来ていた仲間だ。
遅れて紅一点のSさんも参加する。
彼女は、駅伝チーム「成田会」の会計担当であり、ご主人は、僕が人事課長になったときに最も若い課員で、宴会では「長崎は今日も雨だった」を声張り上げて歌った男、なのに、僕が支社長になるのを待っていたかのように逝ってしまったのだ。
房州弁、津軽弁、秋田弁、ときに甲州弁も飛び交い、休む間もなく語り合うのは、そりゃあもう、懐かしい思い出話だ。
秋田の衆が、車椅子になったSやんに、なんとしても大曲の花火を見せてやりてえ、というから、駅から会場までの混雑や、見物席に垂直のハシゴを昇り降りしなくてはならないから無理だんべ、と云うと、そっだからさ、なおのことやってやりてえ、今なら俺たちも力があるし、花火の日に休みもとれる(地域間異動だからで、ふだんはとてもとれない)と口をそろえた。
なんども繰り返した話でも、またしなくては気がすまない。
Sやんの目に涙が浮かぶ。
でも、なんで結局実行しなかったんだっけ、それはきのう出なかったな。
Tちゃんが、虐める駅長のお茶に鼻くそをいれて出した話も忘れるわけにはいかない。
Yちゃんも、そうそう、と電話の向こうで大笑い。
Mさんもいっしょに笑ったり、相槌をうったりしてくれる。
なんども話したことが多いなかで、ときどき、すっかり忘れていたことや、間違って覚えていたことも少なくない。
御年86歳の男・Sやんは、このブログを読んでくれていて、その内容が彼の心に届くと電話をくれる。
最近のブログが「めんどくせーことばっかり書いてあって、ちょっと読む気がしねえ」と厳しいこともおっしゃる。
その彼が、電話をくれたのは、この記事を書いた翌日だった。
「Mって誰のことですか」、千葉のことなら何でも知っているようでも世代が違うから、かけちがって知らない名前だったのだ。
Mさんのことを話したあとは、例によって共通の知人の消息、すなわち「あいつは生きているか」。
あの人もこの人も、、鬼籍にはいった名前を聞いているうちに、「おい、そのうちに、なんていってられねえな、こりゃもう、会うことにすんべ」と僕がいって、じゃあ、誰と誰にも声をかけよう、と話が決まった。
会ったときに、Sやんのことは知っている、と言うので、そのときは社交辞令のように、「こんどはSやんにも声をかけよう」と話したMさんにも声をかける。
それで結局、若いMさんが幹事をやってくれることになったのだから、人のめぐり合わせの妙だ。

足が不自由で、トイレが近いSやんのことも考えて駅前の店内にトイレのある店、三時から。
せっかく、懐かしい千葉に行くのだから、少し早めに出て駅の近くを歩いてみよう、ぼくの計算では1時間余裕をみて家を出た。

錦糸町駅は僕が初めて会ったときにSやんが駅長をしていた駅で、この駅に地域間異動できた秋田の衆とのあいだで近しい関係が出来た駅でもある。
千葉に行くときはいつもここで乗り換えているのだが、今日はいつもと違った感慨をもってホームに出る。
成田エクスプレスが通過していくと、ああ、これも僕が支社長のときに出来た特急だ、とか、その前の成田闘争をめぐって鉄道人としてのさまざまな関りを思いだす。
初めて千葉鉄道管理局の人事課長に赴任するときは、上野駅まで迎えに来てくれたGっちゃんとHやんに連れられて、秋葉原乗り換えで総武線の黄色い各駅停車で立ったまま千葉まで行ったのだ。
あの二人もとっくに亡くなったなあ、人事課時代の若かった彼らの風貌や、宴会での余興のことなど思い出す。
感慨にふけったせいか、快速電車なのに、千葉駅に着いたら2時45分、もう散歩している暇はない。
胸算用も老化している。

店の前にMさんが待っていて、SやんとSIさんと僕との4人でさっそく始まる。
青森にいるI君、秋田にいるYちゃんも電話で参加。
二人は、地域間異動で錦糸町駅に来ていた仲間だ。
遅れて紅一点のSさんも参加する。
彼女は、駅伝チーム「成田会」の会計担当であり、ご主人は、僕が人事課長になったときに最も若い課員で、宴会では「長崎は今日も雨だった」を声張り上げて歌った男、なのに、僕が支社長になるのを待っていたかのように逝ってしまったのだ。
房州弁、津軽弁、秋田弁、ときに甲州弁も飛び交い、休む間もなく語り合うのは、そりゃあもう、懐かしい思い出話だ。
秋田の衆が、車椅子になったSやんに、なんとしても大曲の花火を見せてやりてえ、というから、駅から会場までの混雑や、見物席に垂直のハシゴを昇り降りしなくてはならないから無理だんべ、と云うと、そっだからさ、なおのことやってやりてえ、今なら俺たちも力があるし、花火の日に休みもとれる(地域間異動だからで、ふだんはとてもとれない)と口をそろえた。
なんども繰り返した話でも、またしなくては気がすまない。
Sやんの目に涙が浮かぶ。
でも、なんで結局実行しなかったんだっけ、それはきのう出なかったな。
Tちゃんが、虐める駅長のお茶に鼻くそをいれて出した話も忘れるわけにはいかない。
Yちゃんも、そうそう、と電話の向こうで大笑い。
Mさんもいっしょに笑ったり、相槌をうったりしてくれる。
なんども話したことが多いなかで、ときどき、すっかり忘れていたことや、間違って覚えていたことも少なくない。
そして何よりも、いろんな人たちにお世話になったなぁ、にも関わらず僕は「してもらう」ばかりで、してあげられなかったなあ、と、亡くなった人たちも含めて、皆さんに土下座してお礼とお詫びをしなければならない、と思った。
足かけ8年の千葉勤務で、こうして今も何の遠慮もなく笑ったり、年甲斐もなく憤ったりもできる仲間は少なくなった。
でも、一人でも二人でも、そういう人がいてくれる幸せ、ましてMさんのように新しいメンバーが出来るなんて、やっぱり奇跡だ、と思うのだ。
足かけ8年の千葉勤務で、こうして今も何の遠慮もなく笑ったり、年甲斐もなく憤ったりもできる仲間は少なくなった。
でも、一人でも二人でも、そういう人がいてくれる幸せ、ましてMさんのように新しいメンバーが出来るなんて、やっぱり奇跡だ、と思うのだ。
昨日は旨い酒を呑みながら大先輩たちの昔話を聞けたりと本当に楽しかったです。
このメンバーの中では私も65歳のルーキーですので次回もしっかりと幹事を受けさせていただきます。
Sやんさん、次回も面白い話の続きをお願いします。
このメンバーの中では私も65歳のルーキーですので次回もしっかりと幹事を受けさせていただきます。
Sやんさん、次回も面白い話の続きをお願いします。
6
saheizi-inokorさん、人事課長に支店長だったのですね。
お友達は駅長さんと、皆さん、本当に社会のために大活躍をされたのですね。
頭が下がるばかりです。
大切なお友達さんと、お酒&食事&電話での会、さぞ楽しかったと思います。
お見事バグースです。
次回も開かれると思います。
その時も投稿をお願いします。
アラック、教員は平で終わりました。
管理職になって、児童・生徒・学生と直接触れ合えないのが嫌だったんです。
なんてね、実は上に立つ自信がなかったんです。
最後の教員としての仕事が大学だったのが幸せでした。
大学生といつも、運動を一緒に出来たのが、人生で一番の
幸せ時間だと思っています。
お友達は駅長さんと、皆さん、本当に社会のために大活躍をされたのですね。
頭が下がるばかりです。
大切なお友達さんと、お酒&食事&電話での会、さぞ楽しかったと思います。
お見事バグースです。
次回も開かれると思います。
その時も投稿をお願いします。
アラック、教員は平で終わりました。
管理職になって、児童・生徒・学生と直接触れ合えないのが嫌だったんです。
なんてね、実は上に立つ自信がなかったんです。
最後の教員としての仕事が大学だったのが幸せでした。
大学生といつも、運動を一緒に出来たのが、人生で一番の
幸せ時間だと思っています。
いいなぁ、こういう宴。
昨年、大学の一年先輩があっと言う間に亡くなったことを思い出しました。
「そのうち」とどれほど言ってきたことか、と反省しきり、です。
会える時に会う、居残り会も、そうありたいですね。
昨年、大学の一年先輩があっと言う間に亡くなったことを思い出しました。
「そのうち」とどれほど言ってきたことか、と反省しきり、です。
会える時に会う、居残り会も、そうありたいですね。
> umi_bariさん、私が現場と触れあうのを一番にできたのは支社長になってから、それまではなかなかできなかったです。
会津で知り合った人の息子さんも、教師をしていて、管理職試験を受けなかったのは、生徒から離れくなかったということでした。
会津で知り合った人の息子さんも、教師をしていて、管理職試験を受けなかったのは、生徒から離れくなかったということでした。
> kogotokoubeiさん、んだんだ。
沢山イニシャルのお名前が出てきて頭の中が整理出来ないまま読んでしまっていますがsaheiziさんの行動力と、沢山のご縁、素敵だなぁと思っています。
主人はMさんより若いのですが、先輩からお声がかかると喜んで出掛けて行きます。
主人はMさんより若いのですが、先輩からお声がかかると喜んで出掛けて行きます。
> autumn-parkさん、実名でもいいのかもしれませんが、、。
65歳を若い人と思う自分が他人のような気もするのです。
今読んでいる中村光夫の本で65歳の中村光夫が老人になったことについていろいろ書いているからかも。
65歳を若い人と思う自分が他人のような気もするのです。
今読んでいる中村光夫の本で65歳の中村光夫が老人になったことについていろいろ書いているからかも。
いいお話しですね!皆さん素晴らしい!
> mumonngamaTNKさん、ありがとう。
ほんとにいい人たちに会えて幸せです。
ほんとにいい人たちに会えて幸せです。
by saheizi-inokori
| 2025-11-07 12:12
| よしなしごと
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