大江健三郎はウソつき?
2025年 10月 16日
せんじつNHKFMラジオで「二十の扉」という番組の回想をしていて、懐かしく聞いた。
あの頃(1947~1960)の人はほとんどがあの番組を一度は聞いたことがあるのじゃなかろうか。
聴取率が50パーセントに達したこともあるそうだ。
クリスマスなどに、近所の家に集まって、貧しくとも楽しい一夜を過ごす習わしだったが、そのときの余興は「二十の扉」や、さもなくばテレビの「私は誰でしょう」や「ジェスチャーゲーム」などをチームに分かれてやったものだ。
この間の番組では、過去の番組の録音を聞かせてくれた。
聞きながら思ったのは、今あの番組をやっても面白いだろうか、それともつまらないだろうか。
正解を聴取者は知っていて、回答者が順に20の質問をするまでにそれを当てる。
まず、あの頃は家族そろってラジオを聞いて、そろって笑ったりすることが、一家の愉しみだったこと。
今、そういう家庭はどのくらいあるのだろうか。
晩飯をいっしょに食べない家庭も多いという話を聞いたのは、長男が大学に入った頃だ。
つぎに、もし、みんな揃ってテレビを見ながら晩御飯を食べるとして、あの頃のように楽しめるのだろうか。
あの頃は、人びとが接する情報量が今より格段に少なかったと思う。
だから日本中の多くの家庭の皆が共通に知っている言葉、人、物などが多くかつ二十の質問で絞りこめるほどに限られていたのではないだろう。
今は、「世の中の常識」というやつが、やたらに拡散して、老若男女、それぞれの趣味や嗜好によって、知識や価値観が多様化してしまった。
大雑把に言うと、あの頃はみんなが同じ方向を向いて、将来に希望を持っている人が多かったけれど、今はみんなバラバラ、将来にも暗い予感がたちこめている。
早い話が、「美空ひばり」「川田正子」「栃錦」といえば、お爺ちゃんも学童も知っていた。
今、僕が紅白歌合戦をみても、ほとんど知らない歌手ばかリだ。
さらに、国民の間の貧富の格差の拡大や生き方・考え方の相違が甚だしくて、「美空ひばり」を正解しても、みんな揃って笑顔にならないのではないか。
あの頃、母は美空ひばりを好きじゃなかったけれど、その好きじゃないというのは、穏やかな「好まない」のニュアンスだったと思う。
今をときめく有名人であっても、その存在が憎悪の対象になっているような場合、その名を当てたことが、みんなの笑顔を生むかどうか。まして、まったく知らない片仮名・英語名前の人を若い人が得意げにあてても、こちとら白けるかもしれない。


この間、東大駒場の生協書籍部で見かけて、買うのを我慢して帰った本。
図書館にあって、しかもすぐに借りられた。
ノーベル賞をとった大江(1935年生まれ)、取れそうだったのに病気で早世した安部(1924年生まれ)、取れそうなのに割腹した三島(1925年生まれ)。
作風の異なる三人は、お互いに認め合って、鼎談や対談をなんどかやっている。
それらを全五編、発表年代順に集めたもの。
冒頭は「文学者とは」と題して、1958年9月16日に行われた鼎談だ。
大江はデビューしたばかりの学生23歳、安部は34歳、三島は33歳。
三島に「小説らしいものを書いたのはいつ?」と尋ねられた大江は「原稿用紙に書いたのは去年のはじめ」と答え、三島が「その前は」と突っ込むと大江は「高等学校のころは受験勉強だけしていたな」。
そこで三島が「あなたはよくウソをつくというけど、ほんとだね(笑)」という。
まだ読み始めたばかりだけれど、なかなかおもしろい。
出来るだけゆっくり読むとしよう。




あの頃(1947~1960)の人はほとんどがあの番組を一度は聞いたことがあるのじゃなかろうか。
聴取率が50パーセントに達したこともあるそうだ。
クリスマスなどに、近所の家に集まって、貧しくとも楽しい一夜を過ごす習わしだったが、そのときの余興は「二十の扉」や、さもなくばテレビの「私は誰でしょう」や「ジェスチャーゲーム」などをチームに分かれてやったものだ。
この間の番組では、過去の番組の録音を聞かせてくれた。
聞きながら思ったのは、今あの番組をやっても面白いだろうか、それともつまらないだろうか。
正解を聴取者は知っていて、回答者が順に20の質問をするまでにそれを当てる。

まず、あの頃は家族そろってラジオを聞いて、そろって笑ったりすることが、一家の愉しみだったこと。
今、そういう家庭はどのくらいあるのだろうか。
晩飯をいっしょに食べない家庭も多いという話を聞いたのは、長男が大学に入った頃だ。
つぎに、もし、みんな揃ってテレビを見ながら晩御飯を食べるとして、あの頃のように楽しめるのだろうか。
あの頃は、人びとが接する情報量が今より格段に少なかったと思う。
だから日本中の多くの家庭の皆が共通に知っている言葉、人、物などが多くかつ二十の質問で絞りこめるほどに限られていたのではないだろう。
今は、「世の中の常識」というやつが、やたらに拡散して、老若男女、それぞれの趣味や嗜好によって、知識や価値観が多様化してしまった。
大雑把に言うと、あの頃はみんなが同じ方向を向いて、将来に希望を持っている人が多かったけれど、今はみんなバラバラ、将来にも暗い予感がたちこめている。
早い話が、「美空ひばり」「川田正子」「栃錦」といえば、お爺ちゃんも学童も知っていた。
今、僕が紅白歌合戦をみても、ほとんど知らない歌手ばかリだ。
さらに、国民の間の貧富の格差の拡大や生き方・考え方の相違が甚だしくて、「美空ひばり」を正解しても、みんな揃って笑顔にならないのではないか。
あの頃、母は美空ひばりを好きじゃなかったけれど、その好きじゃないというのは、穏やかな「好まない」のニュアンスだったと思う。
今をときめく有名人であっても、その存在が憎悪の対象になっているような場合、その名を当てたことが、みんなの笑顔を生むかどうか。
回答者がとんちんかんなことをいうと、聞いている人が笑うのには、みんなに正解についてのある程度共通な知識があることが必要だった。
こうしてみると、つくづく現代の政治家は大変だと思う。
もし、彼らが本気で心から、選挙演説でわめいているような、「いい世の中」を作ろうと思っているのならば。
こうしてみると、つくづく現代の政治家は大変だと思う。
もし、彼らが本気で心から、選挙演説でわめいているような、「いい世の中」を作ろうと思っているのならば。

きのうは朝から夕方まで、よく働いた。
トイレと洗面所の掃除、朝夕の下着やシャツ、パジャマの手洗いなどの、いつものルーティンに加えてエアコン3台のクリーニング、さらに浴槽と浴室の壁の汚れ落とし。
暑くもなく寒くもない、身体を動かすには最適の日だった。
昼飯後には、インターバル速歩で図書館に行って予約した本を2冊借りてきて、夕方にはふたたびインターバル速歩の残りを歩いて、一日七千歩になつた。
こうやって動けるのはあと何年か。

この間、東大駒場の生協書籍部で見かけて、買うのを我慢して帰った本。
図書館にあって、しかもすぐに借りられた。
ノーベル賞をとった大江(1935年生まれ)、取れそうだったのに病気で早世した安部(1924年生まれ)、取れそうなのに割腹した三島(1925年生まれ)。
作風の異なる三人は、お互いに認め合って、鼎談や対談をなんどかやっている。
それらを全五編、発表年代順に集めたもの。
冒頭は「文学者とは」と題して、1958年9月16日に行われた鼎談だ。
大江はデビューしたばかりの学生23歳、安部は34歳、三島は33歳。
三島に「小説らしいものを書いたのはいつ?」と尋ねられた大江は「原稿用紙に書いたのは去年のはじめ」と答え、三島が「その前は」と突っ込むと大江は「高等学校のころは受験勉強だけしていたな」。
そこで三島が「あなたはよくウソをつくというけど、ほんとだね(笑)」という。
まだ読み始めたばかりだけれど、なかなかおもしろい。
出来るだけゆっくり読むとしよう。

高市氏が総裁に選ばれた時、娘が喜んでいたので「私は石破さんのままのほうがよかったと思うな、国連の演説良かったな」というと、お母さんはオールドメディアに洗脳されているよねと言われました(笑)
家族の中でもこんな調子で分断されています
接する情報によって考え方はいとも簡単に変わってしまいます
私は家族の平和を保つため、それ以上何も言わないのでした。。。
家族の中でもこんな調子で分断されています
接する情報によって考え方はいとも簡単に変わってしまいます
私は家族の平和を保つため、それ以上何も言わないのでした。。。
4
「二十の扉」というタイトル、記憶にあります。
恐らく両親がいつも聴いていたのでしょう。
「ジェスチャー」や「私は誰でしょう」も覚えています。
「ジェスチャー」は柳家金語楼さんと水の江滝子さんがキャプテンでしたよね。
そうそう、家族や友人とゲームをやりました。
「私の秘密」というのもあったような・・・。
恐らく両親がいつも聴いていたのでしょう。
「ジェスチャー」や「私は誰でしょう」も覚えています。
「ジェスチャー」は柳家金語楼さんと水の江滝子さんがキャプテンでしたよね。
そうそう、家族や友人とゲームをやりました。
「私の秘密」というのもあったような・・・。
はい。図書館に飛んで行きま~す♪
> hanakannzasi-716さん、SNSだって360°いろんな意見がまことしやかに陳述されて、しかもそれを好む人に偏って集中しているので、信用しがたいですね、
ほんとはこういう時こそ、意見を言い合うことが大切なのかもしれない、、。
ほんとはこういう時こそ、意見を言い合うことが大切なのかもしれない、、。
> waku59さん、あるといいですね。
穏やかな、好まないのニュアンス、お母様の人柄が想像出来ます。母を思い出しました。
浴室の壁の汚れ落とし?
ここに住んで35年、まだ一度もしたことがないような、、、。
ここに住んで35年、まだ一度もしたことがないような、、、。
昔の家族団欒で、解らない事があると、年長者が解説してくれたのを
鵜呑みにして聴き、それが私の新しい知識になりました。
父母も兄姉も尊敬の眼で見ながら、、、
今の私は、聞かれるとその知識を引っ張り出して答えますが
息子達は直ぐにスマホでAIに聞いて、訂正した上に
「オカンの言う事は半分にして聞くように」が定説に💦
私自身も覚えてた知識を披露する前に調べなくちゃね
鵜呑みにして聴き、それが私の新しい知識になりました。
父母も兄姉も尊敬の眼で見ながら、、、
今の私は、聞かれるとその知識を引っ張り出して答えますが
息子達は直ぐにスマホでAIに聞いて、訂正した上に
「オカンの言う事は半分にして聞くように」が定説に💦
私自身も覚えてた知識を披露する前に調べなくちゃね
こんにちわ。
20年ぐらい前でしたか、息子たちが通った高校で、大江健三郎氏の講演会があり参りました。
「万延元年のフットボール」「静かな生活」しか読んでなかったけれど。
大江氏は、小説で見せる難解な内容とは全く違う、フランクでウィットに富んだ語り口
ジョークもお上手で、客席は笑い声に満ち、あっという間の楽しい時間でした。
その後岩波新書で読んだ「親密な手紙」にも垣間見えたお人柄・・・・
最後の三島氏とのやり取り・・・らしいといえばらしいです^^;
20年ぐらい前でしたか、息子たちが通った高校で、大江健三郎氏の講演会があり参りました。
「万延元年のフットボール」「静かな生活」しか読んでなかったけれど。
大江氏は、小説で見せる難解な内容とは全く違う、フランクでウィットに富んだ語り口
ジョークもお上手で、客席は笑い声に満ち、あっという間の楽しい時間でした。
その後岩波新書で読んだ「親密な手紙」にも垣間見えたお人柄・・・・
最後の三島氏とのやり取り・・・らしいといえばらしいです^^;
左平次様、
最近図書館行ってないので、その本は存じませんでした。
あと一人は石川淳だったかな?、中国の何か政治的な事項に関して、作家4人で共同声明出してた…うろ覚えですが。
ノーベル文学賞に関しては、モリッシーの受賞の可能性もあるかと予想します。
サルトルみたいに、辞退するかウッディアレンのオスカー授賞式欠席みたいに「スタジオでアルバム制作してた(アレンは自宅でトランペット吹いてたんだっけ?)」みたいにやって欲しいw
最近図書館行ってないので、その本は存じませんでした。
あと一人は石川淳だったかな?、中国の何か政治的な事項に関して、作家4人で共同声明出してた…うろ覚えですが。
ノーベル文学賞に関しては、モリッシーの受賞の可能性もあるかと予想します。
サルトルみたいに、辞退するかウッディアレンのオスカー授賞式欠席みたいに「スタジオでアルバム制作してた(アレンは自宅でトランペット吹いてたんだっけ?)」みたいにやって欲しいw
> keitan0326さん、私も若い頃、義務感のようなものに促されて何冊か読みましたが、素直に感動できたのは、全体ではなく部分的なところでした。
三島由紀夫との間で、三島は部分だけでもきらっと光るものがあればいい、といい、大江は全体として出来上がってなければならない、と対立するのですよ。
三島由紀夫との間で、三島は部分だけでもきらっと光るものがあればいい、といい、大江は全体として出来上がってなければならない、と対立するのですよ。
by saheizi-inokori
| 2025-10-16 10:36
| 今週の1冊、又は2・3冊
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