金子光晴の60年前の「絶望のすすめ」

コロナに罹ってから、体重が一キロ増えてしまった。
運動量は、毎日のルーテインが、罹患以前より増したくらいだし、散歩も5千歩以上は歩いている。
変化と言えば、罹患後二週間ほど禁酒したことと、食事だ。
酒を飲まないと、つまみがいらないから、食べものの摂取量は減るはずなのに、おかしいな。
ほとんど毎晩スーパーなどで弁当を買っている。
弁当一つで必要なカロリーは十分に摂取できるはずなのに、なんとなくそれだけでは寂しいような気がして、野菜の煮物とか酢豚みたいな総菜を二品ほど買ってしまう。
それにカミさんが生野菜のサラダを作ってくれるから、それも食べる。
食欲はそれほどないけれど、のこしちゃもったいないから、ご飯一粒残さずきれいに平らげる。
それと、午後カフエに行くことが減って、うちで本を読むのだが、そのときに、煎餅とか甘いものを、ついつい食い過ぎる。
増えたと言っても62・5K前後、身長165センチからすれば、さほどデブというわけでもないが、下腹が少しこんもりしはじめたのが、とても嫌なのだ。
すとんと平らな腹を維持したい。

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60歳を少し過ぎたころ、駅ビルの社長たちと海外視察旅行をした。
ルミネの社長が団長で、僕より10歳年長、仰ぎ見る大先輩だ。
空港の免税品売り場で自由行動をしているときに、鞄売り場に独りでいるところに遭遇した。
悪戯をみつかったように、「俺は、袋物が好きで、つい買ってしまうんだ」という。
あまりかっこうよくないが、いかにも高価そうなバッグを手にしていた。
大先輩でも、なんと子供っぽい、とちょっと驚いた。
今、とっくにあの頃の大先輩の年をこえたけれど、スマホの広告でカッコよく見えるショルダーを見ると、買いたくなる(買わないけれど)。
そして、ちょっとばかり下っ腹がでたことを気にしてもいる。
いつまで経っても子供っぽい、ますますこの傾向は強くなるのかもしれないな。

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金子光晴「絶望の精神史」を読了。
彼が、山之口獏とは心を許してなんでも語り合ったというのが腑に落ちる。
昭和13年頃、北支に侵略した日本兵の残虐行為を書いているが、金子はこれを目撃したのだろうか。

どこの国でもそうだが、とりわけ中国のなんでもない民衆のなかには、どうしても愛情をもたずにはいられないような、いかにも大国の民らしい人間がいる。そういう人につらい思いをさせたくないためにも、日本軍に侵略を中止してもらいたいとおもう。
たとえば、往年上海で、田漢(でんかん)や、唐槐秋(とうかいしゅう)とあそびあるいて大世界(ダースカ)の屋上へあがったとき、僕は急に便意を催し、田漢にさがしてもらって、くらい納屋のような便所へはいった。便所のなかはうすぐらく、あちらこちらに、大きな樽がおいてある。その樽に腰かけて、用をたすのだ。
みると、僕とむかいあって、ひとりの老人が腰かけている。黙ったまま、二人は用をたしている。老人はやがて、唐紙をとり出し、ゆるゆると二つに折っては、折り目から裂き、またそれを折って、四枚にした。なにげなくそれをながめていると、四枚のうちの二枚を、しずかに手をのばして僕のほうにさし出す。僕もうなずいてそれをうけとったが、僕は、まだその老人の姿と、むずかしく説明するほどの行為ではないが、知る知らぬを越えた淡々とした好意のあらわれに、中国人の心の広く大きいものを感じたのが忘れられない。田漢たちに話すと、とんだりはねたりしておもしろがって笑った。
田漢は、現在の中国の国歌「義勇軍進行曲」の作詞者。

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経済成長の真っただ中にあった昭和40年に発表された、この文章の最後は次のようである。

グローバル化が進み、「世界は、似てくる、これをデモクラシーというのであろうか」と書き、続けて
同時に、ばらばらになってゆく個人個人は、そのよそよそしさに耐えられなくなるだろう。そして、彼らは、何か信仰するもの、命令するものを探すことによって、その孤立の苦しみから逃避しようとする。
世界的なこの傾向は、やがて、若くしてゆきくれた、日本の十代、二十代をとらえるだろう。そのとき、戦争の苦しみも、戦後の悩みも知らない、また、一度も絶望をした覚えのない彼らが、この狭い日本で、はたして何を見つけだすだろうか。それが、明治や、大正や、戦前の日本人が選んだものと、同じ血の誘引ではないと、だれが断定できよう。
カルト、ヘイト、暴力讃美、日本人ファ―スト、、金子の予言は当たっている。
彼は、われわれに絶望を勧める。
僕は、むしろ(日本人に)絶望してほしいのだ。(略)開国日本を、いまだに高価に買いすぎたり、民主主義で、箪笥にものをかたづけるように手ぎわよく問題がかたづき、未来に故障がないというような妄想にとりつかれてほしくないのだ。しいて言えば、今日の日本の繁栄などに、目をくらまされてほしくないのだ。
そして、できるならいちばん身近い日本人を知り、探索し、過去や現在の絶望の所在をえぐり出し、その根を育て、未来についての甘い夢を引きちぎって、少しでも無意味な犠牲を出さないようにしてほしいものだ。
絶望の姿だけが、その人の本格的な正しい姿勢なのだ。それほど、現代のすべての構造は、破滅的なのだ。
日本人の誇りなど、たいしたことではない。(略)
人間が国をしょってあがいているあいだ、平和などくるはずはなく、口先とはうらはらで、人間は、平和に耐えきれない動物なのではないか、とさえおもわれてくる。
僕が、社会人になった年に発表された文章を、僕は今頃読んで、その指摘に頷いている。
もし、あの頃読んだとしたら、どう感じていたのだろう。

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Commented by yossina-lani at 2025-09-16 18:38
男性はだいたい「子供っぽい」のかも
一方我々女性は現実的ですから(笑
Commented by saheizi-inokori at 2025-09-17 11:38
> yossina-laniさん、でもバッグに限らず、いろんな小物などをあれでもないこれでもない、と追い求めるのは女性の方では?
こういう反論をするのが子どもっぽいですね^^。
Commented by maru33340 at 2025-09-17 12:06
今、読んでいます。
とても60年前に書かれた内容とは思えず、身につまされながら…
Commented by saheizi-inokori at 2025-09-17 12:26
> maru33340さん、しかも面白いですね^^。
笑いながら読みました。
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by saheizi-inokori | 2025-09-16 12:11 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(4)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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