影犬を知ってるかい
2025年 06月 07日
風呂場で熱い湯を流しながら手もみ洗い、けさはいつもより、やってもやっても脂が浮いて出て、やってるこちらも汗だくになった、こりゃ真夏になったらたまらんぞ。
洗濯の後の風呂場の床磨きも腰にずしんとこたえる。
タライもちゃんと洗わないとね。

きのうはずっと家で本を読んだ。
歯のせいで口の中に違和感があるようになってからか、へんな癖がついて、すぐに口がさびしくなる。
せんじつ津田沼でもらってきた殻つき落花生の残りをばりばりと食う。
あの日はからっと乾燥していたのに、すっかり湿ってしまった。
もう、あまりうまくないなあ、と思いながらも捨てもせずに食う。
Sさんはどうしているだろうかとちらっと考えもする。

落花生と煎餅を食いながら、サンチをときどきあやしながら読み終えた本は「影犬は時間の約束を破らない」(パク・ソルメ)だ。
1985年、光州事件の5年後に、光州で生まれた。
この小説の翻訳者である斎藤真理子が「韓国文学の中心にあるもの」という本のなかで、

本書は彼女の2022年に出版された連作短篇集に、日本語版のために「旭川にて」という書下ろしを加えて、今年の2月に出版された。
人間が冬眠する、たとえばクリスマス休暇に冬眠することが珍しくなくなっているという設定。
冬眠する人と、その状態を見守り続ける「ガイド」(資格試験が必要)の二人の組み合わせは、女性歯科医と私、私とガイド仲間であるテシクと私、テシクの兄とテシク、テシクの兄とシオン、シオンとテシク、、なんだかわからなくなっちゃう。
影犬は、人びとが「時間と心の結びめがほどけてしまった」ときにやってきて散歩を要求する。
散歩をするうちに誰もが、時間との関係を取り戻す糸口を見出すことになるのだ。
SFのような不思議な設定だけれど、描かれるのはとてもリアルな人間の関係をめぐる心理と感情の揺れ動きと韓国社会だ。
歯科医が離婚した相手がいくつものマンションを所有しているという記述を読むと、せんじつラジオで聞いた、ソウルのマンションの高値は東京の何倍ものすさまじさだという事実などを思い浮かべる。
女性ということを感じさせる。

ちょっと不思議な、文法はずれのような文章は、なんども繰り返して読ませようとするのだろうか。
たとえば
わかったようで、わからなくて、それでいて読んでいて心地よい文章だ。
訳者あとがきのなかで、
もう少し、ゆっくりと読むべきだったかなあ、でもあんまりゆっくりだと、リズムにのれない。
作家が表したいと思う空気みたいなものを味わうためには、ある程度の速度も必要ではないだろうか。
そんなことを考えながら、夕方の散歩に出た。
洗濯の後の風呂場の床磨きも腰にずしんとこたえる。
タライもちゃんと洗わないとね。

きのうはずっと家で本を読んだ。
歯のせいで口の中に違和感があるようになってからか、へんな癖がついて、すぐに口がさびしくなる。
せんじつ津田沼でもらってきた殻つき落花生の残りをばりばりと食う。
あの日はからっと乾燥していたのに、すっかり湿ってしまった。
もう、あまりうまくないなあ、と思いながらも捨てもせずに食う。
Sさんはどうしているだろうかとちらっと考えもする。

落花生と煎餅を食いながら、サンチをときどきあやしながら読み終えた本は「影犬は時間の約束を破らない」(パク・ソルメ)だ。
1985年、光州事件の5年後に、光州で生まれた。
この小説の翻訳者である斎藤真理子が「韓国文学の中心にあるもの」という本のなかで、
今、最も個性的な作家の一人といわれるパク・ソルメは、「じゃあ、何を歌うんだ」(「もう死んでいる十二人の女たちと」拙訳、白水社所収)という短篇で、光州事件を扱った詩や歌などをモチーフに、一人の若い韓国人女性と巨大な歴史的事件との関係を独特の距離感で描いている。(略)と書いている。
かつて侮蔑の対象であり、その後神聖化され、一方でヘイトスピーチの対象にもなりつづけている光州事件。パク・ソルメはそうした経過をすべてはぎとり、できごとそのものと一人の人間の関係に的を絞って、歴史を叙述することはどのように可能かといいう問いにチャレンジしている。

本書は彼女の2022年に出版された連作短篇集に、日本語版のために「旭川にて」という書下ろしを加えて、今年の2月に出版された。
人間が冬眠する、たとえばクリスマス休暇に冬眠することが珍しくなくなっているという設定。
冬眠する人と、その状態を見守り続ける「ガイド」(資格試験が必要)の二人の組み合わせは、女性歯科医と私、私とガイド仲間であるテシクと私、テシクの兄とテシク、テシクの兄とシオン、シオンとテシク、、なんだかわからなくなっちゃう。
影犬は、人びとが「時間と心の結びめがほどけてしまった」ときにやってきて散歩を要求する。
散歩をするうちに誰もが、時間との関係を取り戻す糸口を見出すことになるのだ。
SFのような不思議な設定だけれど、描かれるのはとてもリアルな人間の関係をめぐる心理と感情の揺れ動きと韓国社会だ。
歯科医が離婚した相手がいくつものマンションを所有しているという記述を読むと、せんじつラジオで聞いた、ソウルのマンションの高値は東京の何倍ものすさまじさだという事実などを思い浮かべる。
女性ということを感じさせる。

ちょっと不思議な、文法はずれのような文章は、なんども繰り返して読ませようとするのだろうか。
たとえば
(冬眠ができるのだから女性の身体を通さない妊娠出産が自然なものになるかも、などと話しあつている)そのとき私は、ホ・ウン(歯科医)が子供を産み、それからまた時間が経って、女性の身体以外のほかのところで二人め、三人めの子を産み育てているときも、私は変らない身体のままで、だけど変わる必要もない身体のままで、それでも変わるしかない身体のままで存在していそうだなと思い、とはいえそこに何の心も感情も気持ちも混じっていない状態で私自身を見ていた。とか、
私は残ったものについて考えた。私たちが知っている、残されたものたちは、いつ私たちを訪ねて来るだろう?でも、それを見たり、それを見ようと心を決めて椅子に座っていたりすれば大丈夫だろう。椅子に座って見るべきものを見ていれば、逃げずにいれば。逃げちゃいけない。とか、
振り向かなくてもわかった。そこに(影)犬がいる。犬たちは楽しんでいる。シオンは午後から夜に向かう八月のある一日を、その時間を、時間が含んでいる可能性と一瞬ごとのその本質をまるごと感じながら、犬と一緒に道路を走った。のような。
わかったようで、わからなくて、それでいて読んでいて心地よい文章だ。
訳者あとがきのなかで、
そして以前も今も、(パク・ソルメの作品の)登場人物たちは非常によく散歩する。この人たちが読者の脳内を歩き回っては、未知の領域をどんどん鋤き起こしてしまうので、読み終えた後、それが何なのかわからないままに、すっきりと更新された感覚が残る。と書いている、その「更新された」感覚なのかもしれない。
もう少し、ゆっくりと読むべきだったかなあ、でもあんまりゆっくりだと、リズムにのれない。
作家が表したいと思う空気みたいなものを味わうためには、ある程度の速度も必要ではないだろうか。
そんなことを考えながら、夕方の散歩に出た。
魅力的な題名です。韓国文学に親しめるようになったのは、「斎藤真理子」さんの翻訳の力によるところが大きいような気がします。作家の個性を伝える文体やリズムは、「真理子」さんだからこそ生き生きとしてくるのかな、そんなことを思いながら記事を読みました。まだまだ積読の山で新しい本は借りたり、買ったりするのを控えています(苦笑)
サンチもsaheiziさんもこれから暑くなるから「熱中症」に注意してください。水分だけでHanaは20日生きたからね。犬はやっぱり良いなぁ~。
サンチもsaheiziさんもこれから暑くなるから「熱中症」に注意してください。水分だけでHanaは20日生きたからね。犬はやっぱり良いなぁ~。
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by saheizi-inokori
| 2025-06-07 13:29
| 今週の1冊、又は2・3冊
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