間違いつづき

きのうの記事「記憶のあいまいさ」で、僕の高校の「国語」の教師の名前が山岸堅磐先生であることを思い出した、と書いたら、同じ高校の一年先輩がメールで「山岸先生は英語の教師だった」と、教えてくださった。
もうわやだがや。
それで思い出したのは、国語の教師(高校)は守屋さんだったこと、守屋さんは参考書なども書いていたけっこう有名な人だった、ということ。
これもなにかの勘違いかな、chatGPTでは、そんな人知らんだってさ。
きのう山岸先生の近況を知ろうと思って、ネット検索をしていたら、こんなブログにであった。

「山岸堅磐さんを偲ぶ会」(酒中日記)
https://masao55ota1.livedoor.blog/archives/52290723.html?ref=head_btn_next&id=612660
(この記事、ここからはアクセスできないみたいですね、すみません)

2021年の9月に先生は亡くなっていること、生前のユニークな活動のこと、多くの人に慕われていたことなどが、わかったが、この時点ではまだ国語の教師だと思い込んでいるのだ。
この「酒中日記」の筆者は存じ上げないけれど、親しみを感じる(もしかしたら知っている方かもしれない)。

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「「おくのほそ道」を読む」(長谷川櫂)は、第六章「太陽と月—̪尿前の関から越後路まで」。
長谷川櫂の見立てる「おくのほそ道」の構造は、芭蕉はこれを歌仙の構造に習って書いたという。
その「初折の表」にあたるのが、深川から白河までの、いわば「旅の禊」の部分、つぎの「初折の裏」に当たる部分こそ、この紀行文の主菜となる「歌枕巡礼」で白河の関から中尊寺まで。
後半に入っての「名残りの表」にあたるのが、尿前から越後路まで、最大の難所・奥羽山脈を越えて(長谷川は胎内くぐりに喩える)、芭蕉たちは太陽や月や銀河のすぐそばを通るのだ。

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尾花沢で清風(せいふう)という人にあって世話になるのだが、彼のことを「富めるものなれど志いやしからず」と評している。
僕はここを読んで、芭蕉の「金持ちが高い志を持つのは難しい」という人間観に触れた思いがして共感、ニヤッとした。
するとのちの長谷川の評釈でも、この部分に触れている。
長谷川も同志かも^^。

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閑さや岩にしみ入蝉の声
この句は、「閑さや」と「岩にしみ入蝉の声」は次元の違う言葉であって、「岩にしみ入蝉の声」という現実の音をきっかけにして、芭蕉の心のなかに「閑さ」、静寂の世界が広がった、と読む。
それは、あの「古池や蛙跳びこむ水の音」において、現実の蛙の水音を聴いて、「古池」という心象風景が広がった、と解するのと同日だという。
これぞ蕉風。
窓の外は薫風、曇ってはいるけど。

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(自由ヶ丘・黒船 黒船どらやき)

「ミッドナイトスペシャル」、たまに聞くことがある曲だが、これが牢獄の囚人の歌で、深夜特急の光が当たった囚人は解放されるという意味の歌だということを今朝初めて知った。



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Commented by kogotokoubei at 2025-05-24 15:18
「ミッドナイト・スペシャル」、と言えば、私の好きなCCRの曲でもあります。
ぜひ、こちらをお聞きください。

https://www.youtube.com/watch?v=QBPqlxZD-h8
Commented by higashinuma at 2025-05-24 16:06
写真のどら焼きは時期的に「鮎」のお菓子に似てますね。
数年前、京都の嵐山にある福田美術館で芭蕉展を観たことがあるが、直筆が流麗で気に入りました。
「涼しさやほの三日月の羽黒山」・・出羽三山の工程の後に短冊に認めた中の一句ですが、これも複製した物があって買ってきました。
Commented by saheizi-inokori at 2025-05-24 17:29
> kogotokoubeiさん、高石の歌は初めて訊きました。
CCR、いいですね!散歩のお供にしましょう。
Commented by saheizi-inokori at 2025-05-24 17:31
> higashinumaさん、芭蕉の博識にも驚きます。
単に知っているだけでなく、もっとも適切な文脈で簡潔に引用したり、古典を完全に身につけていますね。
Commented by 信濃のかたりべ at 2025-05-25 08:15
ブログ「酒中日記」の作者です。コメントをありがとうございました。ぼくは長野高校、昭和40年、1965年卒です。もしかしてSad Sack という名前をご存じではありませんか。まちがっていたらすみません。ご放念ください。
Commented by saheizi-inokori at 2025-05-25 12:40
> 信濃のかたりべさん、お立ちよりありがとう。
sadsacs、は私が増進会の筆名にしていました。
その後弟に同じ名前の二世号を譲りました。
昭和40年には大学を出て国鉄に就職しました。
Commented by 信濃のかたりべ at 2025-05-25 15:33
お返事をありがとうございます。やっぱりそうでしたか。ぼくは増進会で、Sad Sack Ⅲを名乗らせていただきました。Ⅱさんから譲っていただいてのことです。Ⅱさんとは駒場の寮で同じサークルでした。Ⅰさんは、昭和40年か41年の頃、日本で一番若い国鉄の駅長というので、週刊誌か何かに記事が出ませんでしたか。
もう60年も前のことですのに、不思議な邂逅に驚いております。
Commented by saheizi-inokori at 2025-05-25 18:42
> 信濃のかたりべさん、そうでしたか!これは驚き桃の木山椒の木!です。
sadsacsとは、「底抜け二等兵」のことで、とうじ見た喜劇映画の原題から採ったのでした。
駅長は会津坂下駅で24歳(早生まれなので)のときに日本一若いということで、朝日新聞に大きく写真が出ましたよ。
語り部さんは、今も御元気なようですね。
駒場寮の弁論部の前後の方5,6人とは年に何度か集まって飲んでいますよ。
Commented by 信濃のかたりべ at 2025-05-26 09:35
やっぱりそうでしたか。ブログが取り持つ縁ですね。いえ、探してくださったからおかげですが。
埼玉の西部で畑などを楽しんでおります。年相応の故障はありますが、まずは元気な方なのでしょう。
これからもよろしくお願いします。
Commented at 2025-05-26 09:39
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by saheizi-inokori at 2025-05-26 10:20
> 信濃のかたりべさん、おちかくですね。
お逢いすることもあるのかな^^。天にまかせましょう。
Commented by saheizi-inokori at 2025-05-26 10:21
> 鍵コメさん、ご丁寧にありがとうございます。
こちらこそよろしくお願いします。
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by saheizi-inokori | 2025-05-24 12:29 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(12)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori