間違いつづき
2025年 05月 24日
きのうの記事「記憶のあいまいさ」で、僕の高校の「国語」の教師の名前が山岸堅磐先生であることを思い出した、と書いたら、同じ高校の一年先輩がメールで「山岸先生は英語の教師だった」と、教えてくださった。
もうわやだがや。
それで思い出したのは、国語の教師(高校)は守屋さんだったこと、守屋さんは参考書なども書いていたけっこう有名な人だった、ということ。
これもなにかの勘違いかな、chatGPTでは、そんな人知らんだってさ。
きのう山岸先生の近況を知ろうと思って、ネット検索をしていたら、こんなブログにであった。
「山岸堅磐さんを偲ぶ会」(酒中日記)
https://masao55ota1.livedoor.blog/archives/52290723.html?ref=head_btn_next&id=612660
(この記事、ここからはアクセスできないみたいですね、すみません)
2021年の9月に先生は亡くなっていること、生前のユニークな活動のこと、多くの人に慕われていたことなどが、わかったが、この時点ではまだ国語の教師だと思い込んでいるのだ。
この「酒中日記」の筆者は存じ上げないけれど、親しみを感じる(もしかしたら知っている方かもしれない)。

「「おくのほそ道」を読む」(長谷川櫂)は、第六章「太陽と月—̪尿前の関から越後路まで」。
長谷川櫂の見立てる「おくのほそ道」の構造は、芭蕉はこれを歌仙の構造に習って書いたという。
その「初折の表」にあたるのが、深川から白河までの、いわば「旅の禊」の部分、つぎの「初折の裏」に当たる部分こそ、この紀行文の主菜となる「歌枕巡礼」で白河の関から中尊寺まで。
後半に入っての「名残りの表」にあたるのが、尿前から越後路まで、最大の難所・奥羽山脈を越えて(長谷川は胎内くぐりに喩える)、芭蕉たちは太陽や月や銀河のすぐそばを通るのだ。

尾花沢で清風(せいふう)という人にあって世話になるのだが、彼のことを「富めるものなれど志いやしからず」と評している。
僕はここを読んで、芭蕉の「金持ちが高い志を持つのは難しい」という人間観に触れた思いがして共感、ニヤッとした。
するとのちの長谷川の評釈でも、この部分に触れている。
長谷川も同志かも^^。

それは、あの「古池や蛙跳びこむ水の音」において、現実の蛙の水音を聴いて、「古池」という心象風景が広がった、と解するのと同日だという。
これぞ蕉風。
窓の外は薫風、曇ってはいるけど。
もうわやだがや。
それで思い出したのは、国語の教師(高校)は守屋さんだったこと、守屋さんは参考書なども書いていたけっこう有名な人だった、ということ。
これもなにかの勘違いかな、chatGPTでは、そんな人知らんだってさ。
きのう山岸先生の近況を知ろうと思って、ネット検索をしていたら、こんなブログにであった。
「山岸堅磐さんを偲ぶ会」(酒中日記)
https://masao55ota1.livedoor.blog/archives/52290723.html?ref=head_btn_next&id=612660
(この記事、ここからはアクセスできないみたいですね、すみません)
2021年の9月に先生は亡くなっていること、生前のユニークな活動のこと、多くの人に慕われていたことなどが、わかったが、この時点ではまだ国語の教師だと思い込んでいるのだ。
この「酒中日記」の筆者は存じ上げないけれど、親しみを感じる(もしかしたら知っている方かもしれない)。

「「おくのほそ道」を読む」(長谷川櫂)は、第六章「太陽と月—̪尿前の関から越後路まで」。
長谷川櫂の見立てる「おくのほそ道」の構造は、芭蕉はこれを歌仙の構造に習って書いたという。
その「初折の表」にあたるのが、深川から白河までの、いわば「旅の禊」の部分、つぎの「初折の裏」に当たる部分こそ、この紀行文の主菜となる「歌枕巡礼」で白河の関から中尊寺まで。
後半に入っての「名残りの表」にあたるのが、尿前から越後路まで、最大の難所・奥羽山脈を越えて(長谷川は胎内くぐりに喩える)、芭蕉たちは太陽や月や銀河のすぐそばを通るのだ。

尾花沢で清風(せいふう)という人にあって世話になるのだが、彼のことを「富めるものなれど志いやしからず」と評している。
僕はここを読んで、芭蕉の「金持ちが高い志を持つのは難しい」という人間観に触れた思いがして共感、ニヤッとした。
するとのちの長谷川の評釈でも、この部分に触れている。
長谷川も同志かも^^。

閑さや岩にしみ入蝉の声この句は、「閑さや」と「岩にしみ入蝉の声」は次元の違う言葉であって、「岩にしみ入蝉の声」という現実の音をきっかけにして、芭蕉の心のなかに「閑さ」、静寂の世界が広がった、と読む。
それは、あの「古池や蛙跳びこむ水の音」において、現実の蛙の水音を聴いて、「古池」という心象風景が広がった、と解するのと同日だという。
これぞ蕉風。
窓の外は薫風、曇ってはいるけど。
「ミッドナイト・スペシャル」、と言えば、私の好きなCCRの曲でもあります。
ぜひ、こちらをお聞きください。
https://www.youtube.com/watch?v=QBPqlxZD-h8
ぜひ、こちらをお聞きください。
https://www.youtube.com/watch?v=QBPqlxZD-h8
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写真のどら焼きは時期的に「鮎」のお菓子に似てますね。
数年前、京都の嵐山にある福田美術館で芭蕉展を観たことがあるが、直筆が流麗で気に入りました。
「涼しさやほの三日月の羽黒山」・・出羽三山の工程の後に短冊に認めた中の一句ですが、これも複製した物があって買ってきました。
数年前、京都の嵐山にある福田美術館で芭蕉展を観たことがあるが、直筆が流麗で気に入りました。
「涼しさやほの三日月の羽黒山」・・出羽三山の工程の後に短冊に認めた中の一句ですが、これも複製した物があって買ってきました。

ブログ「酒中日記」の作者です。コメントをありがとうございました。ぼくは長野高校、昭和40年、1965年卒です。もしかしてSad Sack という名前をご存じではありませんか。まちがっていたらすみません。ご放念ください。

お返事をありがとうございます。やっぱりそうでしたか。ぼくは増進会で、Sad Sack Ⅲを名乗らせていただきました。Ⅱさんから譲っていただいてのことです。Ⅱさんとは駒場の寮で同じサークルでした。Ⅰさんは、昭和40年か41年の頃、日本で一番若い国鉄の駅長というので、週刊誌か何かに記事が出ませんでしたか。
もう60年も前のことですのに、不思議な邂逅に驚いております。
もう60年も前のことですのに、不思議な邂逅に驚いております。
> 信濃のかたりべさん、そうでしたか!これは驚き桃の木山椒の木!です。
sadsacsとは、「底抜け二等兵」のことで、とうじ見た喜劇映画の原題から採ったのでした。
駅長は会津坂下駅で24歳(早生まれなので)のときに日本一若いということで、朝日新聞に大きく写真が出ましたよ。
語り部さんは、今も御元気なようですね。
駒場寮の弁論部の前後の方5,6人とは年に何度か集まって飲んでいますよ。
sadsacsとは、「底抜け二等兵」のことで、とうじ見た喜劇映画の原題から採ったのでした。
駅長は会津坂下駅で24歳(早生まれなので)のときに日本一若いということで、朝日新聞に大きく写真が出ましたよ。
語り部さんは、今も御元気なようですね。
駒場寮の弁論部の前後の方5,6人とは年に何度か集まって飲んでいますよ。

やっぱりそうでしたか。ブログが取り持つ縁ですね。いえ、探してくださったからおかげですが。
埼玉の西部で畑などを楽しんでおります。年相応の故障はありますが、まずは元気な方なのでしょう。
これからもよろしくお願いします。
埼玉の西部で畑などを楽しんでおります。年相応の故障はありますが、まずは元気な方なのでしょう。
これからもよろしくお願いします。

ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by saheizi-inokori
| 2025-05-24 12:29
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