記憶のあいまいさ

疲れがたまっていたので、けさは寝れるだけ寝て何もしないようにしようと思っていたが、そんなに寝ているわけにはいかず、7時には起き上がる。
むくんだ顔やスッキリしない頭、ふらつきもする。
でも、ひとつひとつのルーテインをこなしているうちに、徐々に力と意欲が湧いてくる。
どうせ手洗い洗濯はしなくてはならないのなら、その間に洗濯機にはタオルケットなどを洗ってもらう。

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きのうは、夜の7時に歯科医、8時の予定だったのが、ひとりキャンセルが出て繰り上がったのだ。
夕方5時頃には女性スタッフが帰宅してしまうから、交互につかう二つの診察室の清掃から会計まで先生が独りでやるから、大変だと思うが、これを早朝から夜まで毎日やっているのには、敬服するしかない。
ときにきつい言葉がでるのもやむなしだ。

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晩飯は一昨日と同じスーパーマーケットで、同じ鮭弁当を買おうと思ったら、影も形もない。
店のおばさんに訊くと、「同じものだとお客さんも飽きるし、日々変えている」とのこと、うまい鮭の塩焼きだけでなく野菜や小さなカツやひじきなどの取り合わせもよかったのに。
しょうがなしに買った唐揚げ弁当は、ご飯ばかリ多くて、野菜は申し訳程度にキャベツの千切りだけ、別に「100円値引き」の札のついた「甘口鮭の塩焼き」も買って帰る。
でも、腹が減っていたし、息子から貰ったシラスをかけて食ったら、うまかった。
止めていた酒もコップに一杯だけ、紙の箱に入った安い酒でも、どうしてなかなかイケる「高清水」。

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寝る前にブログをチェックすると、昨日の記事に書いた、僕が高校の国語の教師だと思っていた羽田先生について、彼は東部中学の先生だった、とのコメントがある。
長野市立東部中学!僕の母校だ。
まさか、しがない梟通信が懐かしい東中の同窓生に読まれていたとは!
嬉しいやら、驚くやら、そのせいで夢見は悪くなかった。

羽田先生が中学の先生と分かったら、長野高校の国語教師の名前が山岸堅磐(かきわ)だということも思い出した。
婦人公論の愛読者は山岸先生、早口で良くしゃべる先生だった。
授業時間の半分くらい、一人でしゃべくっていることも多かったのじゃないか。
丸山薫の詩に、女生徒が「先生ツバメがきました」と報告するのがあって、それを「いいなあ、こういう生徒がうちにはいないなあ」と教師が云ったので、ふざけて手を挙げて、そういったら立たされた。
それを高校の山岸先生で、立たされたのは僕だと思い込んでいた。
そのことをこのブログにも書いたことがある。


↑の記事を書いたときも、一昨日の記事を書いたときも、ほんとにあれは高校だったのかと、なんとなくしっくりこない感じがあったのだ。
↑の記事の中では、高校の国語教師の名前が山岸になっているのに、一昨日は羽田に変わっている。
そして、きのう「信州の田舎爺」さんのコメントをいただいて、羽田先生が中学の先生であったことが判明し、そうしたら、丸山薫・ツバメ事件は中学の出来事で、立たされたのは僕ではなく、M君というヤンチャ坊主だったことも思い出した。
僕も同じような気持ちがあったのから、自分が立たされたような気分になって、それがねじ曲がったまま記憶に定着したのじゃなかろうか。
古い記憶というものは、たとえいかに鮮明なものであっても、事実と異なっていることがあるのだ。

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そういえば、これも昨日のことだが、「「おくのほそ道」を読む」(長谷川櫂)を読んでいて、松島のくだりで、あの有名な「松島やああ松島や松島や」という句が出てこないのを不思議に思って、chatGTPに訊いたら「その句は、有名な松尾芭蕉が松島で詠んだ句で、「おくの細道」に出てくる」という。
ところが!長谷川櫂の本は、「おくの細道」の全文を、現代語訳もつけて解説している本なのだが、「おくのほそ道」はみちのくの歌枕を訪ねる旅で、とりもなおさず松島を訪ねる旅だったのに、芭蕉は自らの句を入れなかった(曽良の句は入れて)ことについて、
ここに芭蕉の松島の一句(「島々や千々にくだきて夏の海」を詠んでいる)が入っていれば、話ができすぎてしまう。それはおもしろくないと芭蕉は思ったにちがいない。そこで、松島の句をあえて入れなかったということだろう。
と書いているぞ。
chatGTPに、間違いだろうと反論すると「そうでしたか、それは確認しなければいけませんね」と爽やかに答えた。
中学だったか高校だったか(それは依然として曖昧)、「おくのほそ道」を習ったときに、松島のくだりは間違いなく入っていたと思う。
松島の絶景を美人の顔にたとえるのを変に思ったような記憶もある。
だから、「松島や、、、」の句がそこに載っていないことも学んでいたはずである。
そもそも「松島や、、」は芭蕉の作でもない。
ああ、それなのに、僕は「松島や、、」の句について、長谷川がなんというかな、と思いながら読んでいたのだ。
これだもの、これからは「絶対に、そんなことはなかった」みたいなことをいうのを控えなければなるまいな。
chatGTP君は謙虚だけれど、頼りないね。

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(金沢 中田屋 うぐいすきんつば)

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Commented by yoko68 at 2025-05-23 15:24
びっくりするくらい美味しいスーパーのお弁当なんてある?
半信半疑です。成城石井かなぁとかいろいろ想像していました。
でも、文面を見る限り違いそうですね。
地元の小さなスーパーかな。
とにかく近くで美味しいお弁当が手に入るなんてうらやましです。

それより奥様いかがですか?女性が倒れるとすぐにいろいろ不便が出てきますよね。
早く体調が回復されますように。
Commented by yossina-lani at 2025-05-23 17:09
>高清水
秋田のお酒ですね
群馬の田舎の酒屋で母が見つけて、
私が中学生くらいの頃かなあ
両親がビール以外にその日本酒を飲んでいました。
なつかしい・・・
Commented by saheizi-inokori at 2025-05-23 18:01
> yoko68さん、サミットという中堅クラスのスーパーマーケットです。
私もあまり期待しないで食べて、それが良かったのか、うまいのに驚きました。
値段が三倍くらいする有名弁当よりもずっと値打ちだと思いましたよ。
カミさん、今夜は晩飯作っています^^。
Commented by saheizi-inokori at 2025-05-23 18:05
> yossina-laniさん、そうです、秋田だからうまいのかな。
いままでは越後の「越の誉れ」という瓶入りの酒を飲んで、それもうまいと思いますが、その半分強の値段の紙パッケージの高清水は、それにひけをとりません。
加齢に義歯のせいもあって、昔より味覚が衰えているのが幸いなことだと思う次第なのであります^^。
Commented at 2025-05-23 19:35
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by saheizi-inokori at 2025-05-23 20:07
> 鍵コメさん、chatGPTを駆使?
トンデモハップン、たった3回しか使ったことがありませんよ。
その三回がブログに書いたことと、「「梟通信」の改善点は?」でした。
その答はほぼ私の予想した通りでしたが、従うことができなかったことばかりでした。
私は、いつの間にか、おくの細道に「松島や」が出てくると思い込んでいたのです。

Commented by rinrin1345 at 2025-05-23 20:35
saheiziさんが記憶が曖昧なら私なんて憶えているなんて言える事一つもない感じがしますよ
特に最近の物忘れの激しい事悲しくなります
Commented by saheizi-inokori at 2025-05-24 10:37
> rinrin1345さん、最近のことは一番忘れやすいですね。
きのう何喰った?なんて。
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by saheizi-inokori | 2025-05-23 12:27 | よしなしごと | Trackback | Comments(8)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori