同期会
2025年 05月 17日
今を去る60年前の昭和40年に国鉄に入社した同期、74名のうち16人が既に物故し、生存者58名のうち36名が集まった。
全員男だ。
国鉄からJRへの激動と転変を身をもって体験したから、北海道から九州まで、ステッキに頼る者、子息の押す車イスで来る者、奥さんが帯同してきた者も2,3人はいた。

(会場の近くを散歩)
僕は引退以来、ほとんどこういう会合は欠席していたが、5年ほど前に幹事から「これが最後の会になるから」と再三のお誘いをうけて出席した。
こんどこそ、ほんとの最後の会になるのだろう。

(かつて飯田町紙センターがあつたあたり、
会の始まる前に全員で集合写真を撮る。
ホテルの撮影室で、こうやって儀式的に写真を撮られるのも最後かもしれない。
値段ばかリ高くて、映る方はちっとも映えない記念写真、遺された家族は見もしないで捨てるのかもしれないな。
平均年齢を83として、全員の年齢を足し合わせると、3000年に近い。
みんなの年齢を縦につなぐと、縄文時代、エーゲ文明、龍山文化のころからずっと生きていた、それだけのボリュームがあるのだ。
さて、僕たちはどれほどのことをし残せたのだろうか。
夏休み明けの登校で、なんとなく気恥しいような気分に似て、ちと重たい気分も加わって、数日前にはいっそドタキャンしようかなどの考えもよぎったが、それを察するかのように幹事から出席確認の電話があった。
いざ受付にならぶ連中と「やあ!」「おう!」「元気だったか」などといいあう途端に、60年前の仲間気分が蘇って懐かしいったらない。
会場に入るや、テーブルの奥から、「おう!」とひときわ懐かし気に手を挙げる男がいる。
とても親しいオーラは感じるのだが、だれなのか分からない。
分からないままに、お互いの健康を尋ね合い、ジョークを交わす。
他の友だちに、あれ、誰だっけ?と訊くが彼も首をかしげる。
会が始まり、幹事の指名で挨拶に立ったのがそいつ、Mだった。
舞台の顔を正面からみるとまごう方なきM、岡山から奥さんとやってきたのだ。
挨拶が済んで席に戻ったMのところにかけより、さっきは御見それしてすまなかった、よく来てくれたな、ありがとう!といううちにこみ上げてきて変な声になってしまう。
次の男が挨拶に立って、みんな静かにしている、大慌てで自席に戻った。
とちゅうで退職してキリスト教牧師を40年やった男が「これからの人生を”隣人愛”で心豊かに」と挨拶。
66歳で心不全になって、マラソンを始めて、今もハーフマラソンに好記録を出し続ける男の諦めずに挑戦する教え。
何人かの挨拶が終わると、待ちかねたように、みんながテーブルをまわって親しい友人と久闊を叙す。
僕も何人かの友だちと、やあやあ、を繰り返し、往時の思い出などを語り合うが、それが済むと、次の人に交代する。
それ以上に話は深まらない、それがマナー。
マナー正しき老人たちだ。

少量づつを載せたトレイが二度配られる。
カイカイで禁酒していたが、シャンパンの乾杯のあと、ワインをお替りして飲む。
料理が僕の記憶していたよりもずっと美味い。
ホテルの担当者が、僕のところに来て挨拶した。
引退直前にホテルの監査役を務めたが、あのときは現場を回っていろいろ気づいたことを社長に注意したけれど、現場スタッフとは敢えて距離をおいていた。
それでも久しぶりに、すっかり変わってしまった街を歩いてホテルにきたときに、誰も知っている人はいないのだという、ちょっと寂しい気持があった。
それだけに、彼が20年前に僕と目白で会食したことを口にしたりするのが、ジンときた。

(桜新町駅)
全員男だ。
国鉄からJRへの激動と転変を身をもって体験したから、北海道から九州まで、ステッキに頼る者、子息の押す車イスで来る者、奥さんが帯同してきた者も2,3人はいた。

僕は引退以来、ほとんどこういう会合は欠席していたが、5年ほど前に幹事から「これが最後の会になるから」と再三のお誘いをうけて出席した。
こんどこそ、ほんとの最後の会になるのだろう。

僕が頑張って土地を残して貨物会社の本社を建てたのに、跡形もない)
会の始まる前に全員で集合写真を撮る。
ホテルの撮影室で、こうやって儀式的に写真を撮られるのも最後かもしれない。
値段ばかリ高くて、映る方はちっとも映えない記念写真、遺された家族は見もしないで捨てるのかもしれないな。
平均年齢を83として、全員の年齢を足し合わせると、3000年に近い。
みんなの年齢を縦につなぐと、縄文時代、エーゲ文明、龍山文化のころからずっと生きていた、それだけのボリュームがあるのだ。
さて、僕たちはどれほどのことをし残せたのだろうか。
夏休み明けの登校で、なんとなく気恥しいような気分に似て、ちと重たい気分も加わって、数日前にはいっそドタキャンしようかなどの考えもよぎったが、それを察するかのように幹事から出席確認の電話があった。
いざ受付にならぶ連中と「やあ!」「おう!」「元気だったか」などといいあう途端に、60年前の仲間気分が蘇って懐かしいったらない。
会場に入るや、テーブルの奥から、「おう!」とひときわ懐かし気に手を挙げる男がいる。
とても親しいオーラは感じるのだが、だれなのか分からない。
分からないままに、お互いの健康を尋ね合い、ジョークを交わす。
他の友だちに、あれ、誰だっけ?と訊くが彼も首をかしげる。
会が始まり、幹事の指名で挨拶に立ったのがそいつ、Mだった。
舞台の顔を正面からみるとまごう方なきM、岡山から奥さんとやってきたのだ。
挨拶が済んで席に戻ったMのところにかけより、さっきは御見それしてすまなかった、よく来てくれたな、ありがとう!といううちにこみ上げてきて変な声になってしまう。
次の男が挨拶に立って、みんな静かにしている、大慌てで自席に戻った。
とちゅうで退職してキリスト教牧師を40年やった男が「これからの人生を”隣人愛”で心豊かに」と挨拶。
66歳で心不全になって、マラソンを始めて、今もハーフマラソンに好記録を出し続ける男の諦めずに挑戦する教え。
何人かの挨拶が終わると、待ちかねたように、みんながテーブルをまわって親しい友人と久闊を叙す。
僕も何人かの友だちと、やあやあ、を繰り返し、往時の思い出などを語り合うが、それが済むと、次の人に交代する。
それ以上に話は深まらない、それがマナー。
マナー正しき老人たちだ。

少量づつを載せたトレイが二度配られる。
カイカイで禁酒していたが、シャンパンの乾杯のあと、ワインをお替りして飲む。
料理が僕の記憶していたよりもずっと美味い。
すべてきれいに食べた。
ホテルの担当者が、僕のところに来て挨拶した。
引退直前にホテルの監査役を務めたが、あのときは現場を回っていろいろ気づいたことを社長に注意したけれど、現場スタッフとは敢えて距離をおいていた。
それでも久しぶりに、すっかり変わってしまった街を歩いてホテルにきたときに、誰も知っている人はいないのだという、ちょっと寂しい気持があった。
それだけに、彼が20年前に僕と目白で会食したことを口にしたりするのが、ジンときた。

お仲間との出会い語らい 隔世の感ありでありでしょうか
でも皆さまの笑顔に喜びや懐かしさが次々と思い出されたご様子 こちらまで温かい気持ちになりました
私は振り返ると苦々しい事ばかりなので避けてきましたが
この頃そんな物に力を貰う気がすることがあります
思い出って先へも繋がるんだなーって
でも皆さまの笑顔に喜びや懐かしさが次々と思い出されたご様子 こちらまで温かい気持ちになりました
私は振り返ると苦々しい事ばかりなので避けてきましたが
この頃そんな物に力を貰う気がすることがあります
思い出って先へも繋がるんだなーって
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
> jyariko-2さん、苦々しいことを思い出して打ちのめされそうになったり、腹が立ったり、そうかと思えばすべてがどうでもいいように思えたり、さらにいいことばかり思い出したり、、そんな繰り返しで生きてきました。
ようやく落ち着いてきたかなあ。
ようやく落ち着いてきたかなあ。
いつもいい仲間がいて、いい時間ですね。
私も同窓会が苦手で、自分だけ変わってるのかなぁと思っていました。
学生時代の同窓会ですが。
大人になった今は自由に生きていて色々な事に影響されることはあまりなくなったかもしれませんが
子供の頃は色々な子がいて、あう子 あわない子様々。そして男の子も女の子も正直を通り越して
時々グサッと来ることを言われたり。
大人になって出席して見たら、その間の親交がないとどこか違和感を覚えたり。
でもこうして職場の同期会は、ある種の仲間意識が働いていて
感慨もおありになったのではと。・・
まだまだお元気で人生を謳歌してくださいね。(^^♪
サンチちゃんと奥様のためにも💐
学生時代の同窓会ですが。
大人になった今は自由に生きていて色々な事に影響されることはあまりなくなったかもしれませんが
子供の頃は色々な子がいて、あう子 あわない子様々。そして男の子も女の子も正直を通り越して
時々グサッと来ることを言われたり。
大人になって出席して見たら、その間の親交がないとどこか違和感を覚えたり。
でもこうして職場の同期会は、ある種の仲間意識が働いていて
感慨もおありになったのではと。・・
まだまだお元気で人生を謳歌してくださいね。(^^♪
サンチちゃんと奥様のためにも💐

ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
> jyon-non3さん、仕事の仲間ゆえに、葛藤もありましたが、今の年になってようやくそれが懐かしい思い出に変化してきました。
しかし、いつまで経ってもみんな子供だとも思いましたよ。
子どもに戻れるから同窓会が楽しいのかな。
しかし、いつまで経ってもみんな子供だとも思いましたよ。
子どもに戻れるから同窓会が楽しいのかな。
saheiziさん、この台所町は、僕の中学高校の直ぐで、友人の家など沢山ありました。しかしあのバブルの弊害で皆、目がくらみ、あるいは仕方無く退去し、いまのような素っ気ない場所になってしまいました。日本医科大学付属第一病院が有った頃までが、下町の際の古き佳き時代のような気がします。
saheiziさん、日本医科大学の病院は90年代末まであったそうです。このサイトに写真も載っています。
見覚えがあると良いです。
https://blog.goo.ne.jp/ryuw-1/e/4ffedf2b931f909fb5bf386d9f780cc9
見覚えがあると良いです。
https://blog.goo.ne.jp/ryuw-1/e/4ffedf2b931f909fb5bf386d9f780cc9
同期で集まる、ステキですね。
我が息子は、【国鉄時代】に走っていたであろう電車を求めて、旅に出たりします。f(^_^;
我が息子は、【国鉄時代】に走っていたであろう電車を求めて、旅に出たりします。f(^_^;
by saheizi-inokori
| 2025-05-17 13:48
| よしなしごと
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Comments(16)