母の日
2025年 05月 12日
ゆうべは猛烈な痒みに襲われ、まさに七転八倒、とろとろと眠りに入っていけたのは、3時近かった。


筆洗氏は「海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がいる」という、よく知られた詩の文句と「神はどこにでもいるわけにはいかない。ゆえに母たちをつくった」という欧州の格言も紹介している。

というわけで、今日は祖母の歌から。
そのときのエゴの木の花だったのだろうか。

母の句。
月々わずかなお金を送ること、毎週家族新聞を作って送ること、そんなことしか親孝行らしきことをしなかった僕だが、晩年いっしょに暮らしたとき、母の「死ぬまでにいちど釜山に行って、母校(釜山高女)を見たい」という願いを受けて、娘と亡妻の姉もいっしょに釜山に行ったことがある。
市内を案内してくれたタクシーの運転士が、とても親切に釜山高女の後らしき学校を探してくれた。
なかなかそれらしき学校が見つからないので、母が遠慮して「もういいです」と盛んにいうのに、ここかもしれないと、教員室に乗り込んで訳を話してくれたら、授業中の日本語をしゃべる教師が出てきてくれて、学校の記念館を案内してくれた。
二階に上がって、すぐのところに、昔の学校の写真があって、見るなり母は「あれよ!、、あの窓が私たちの教室だったの!」と叫び、涙をこぼして喜んだ。
僕たちばかりか、案内してくれた教師も泣いて喜んだ。
そのあと教頭室にも案内されて、歓談した。
亡き親しい友人の葬儀の夢をみて、温かい気持ちになつていたら、スマホのアラームがその世界からひつぱがしやがつた。
けさは循環器内科に行かねばならぬ、6時15分前に起きて、そそくさと掃除(トイレも)や身支度をして、この間テレビで教わったうまい納豆の食べ方で朝飯をかつこむ。
外の冷気が寝不足の頭を覚醒させた。

めったに読まない、東京新聞の「筆洗」の母の日の記事にあった話。
母が喜んで、二百メートルほど離れた雑貨屋に走って冷えたビールを買ってきてくれた。
最初に出した分はあっという間に飲み終えて、母はまた雑貨屋に走った。
僕は嬉しかったけれど、ちょっと(かなり)母の懐具合が心配になったものだ。
ある夜、井伏(鱒二)と詩人の三好達治が山口県岩国の河上(徹太郎)の家で夕食をごちそうになったそうだ。僕は、大学の夏休みに寮の友人たちと野尻湖で遊んだ後、四人だったかを引っ張って我が家に連れてきたことがある。
河上のお酒がなくなるたび、お母さんが「徹ちゃん、飲む?」と聞く。河上が「うん」と答え、母親がお燗をつける。こんなやりとりを井伏と三好はこの夜のうちに何度も聞かされた。
翌朝、汽車で井伏と2人だけになった三好がこぼした。「徹ちゃん、飲む?うん。――見ちゃあいられないねえ」。この話に井伏はこんなオチを付けている。三好は岩国から東京へ帰る予定だったのにどういうわけか大阪の駅で降りてしまったという。「そのころ三好君のお母さんも大阪で健在であった筈である。
母が喜んで、二百メートルほど離れた雑貨屋に走って冷えたビールを買ってきてくれた。
最初に出した分はあっという間に飲み終えて、母はまた雑貨屋に走った。
僕は嬉しかったけれど、ちょっと(かなり)母の懐具合が心配になったものだ。

筆洗氏は「海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がいる」という、よく知られた詩の文句と「神はどこにでもいるわけにはいかない。ゆえに母たちをつくった」という欧州の格言も紹介している。

というわけで、今日は祖母の歌から。
えごの木の花しらじらと咲く見れば過ぎにし夏の信濃路おもふ山梨に住んでいた祖母のところへは、たいてい僕たちが夏休みに出かけてかなり長く過ごすのが習わしだったが、いつだったか、祖母の方が叔母といっしょに長野にきて、上林温泉に遊んだことを微かに覚えている。
そのときのエゴの木の花だったのだろうか。

母の句。
緑刺す李王朝壺等身大李王朝の宝物展に行ったのだろうか。
月々わずかなお金を送ること、毎週家族新聞を作って送ること、そんなことしか親孝行らしきことをしなかった僕だが、晩年いっしょに暮らしたとき、母の「死ぬまでにいちど釜山に行って、母校(釜山高女)を見たい」という願いを受けて、娘と亡妻の姉もいっしょに釜山に行ったことがある。
市内を案内してくれたタクシーの運転士が、とても親切に釜山高女の後らしき学校を探してくれた。
なかなかそれらしき学校が見つからないので、母が遠慮して「もういいです」と盛んにいうのに、ここかもしれないと、教員室に乗り込んで訳を話してくれたら、授業中の日本語をしゃべる教師が出てきてくれて、学校の記念館を案内してくれた。
二階に上がって、すぐのところに、昔の学校の写真があって、見るなり母は「あれよ!、、あの窓が私たちの教室だったの!」と叫び、涙をこぼして喜んだ。
僕たちばかりか、案内してくれた教師も泣いて喜んだ。
そのあと教頭室にも案内されて、歓談した。
佐平治さん、とても親孝行息子さんでいらっしゃいましたね。
お母様どんなに嬉しかったことでしょうね。情景が目に浮かぶようです。
私の母はまもなく92歳、色々忘れてしまうのに、今年も私の誕生日に電話をくれました。
毎年、ありがとうを言う前におめでとうと言われてしまう不肖の長女です。
お母様どんなに嬉しかったことでしょうね。情景が目に浮かぶようです。
私の母はまもなく92歳、色々忘れてしまうのに、今年も私の誕生日に電話をくれました。
毎年、ありがとうを言う前におめでとうと言われてしまう不肖の長女です。
3
エゴノキも記念館周りにあって懐かしいですが、高女を尋ねられたお話いいお話ですね。
日本の右翼の人たちは未だにかつて日本が占領した国をバカにしたり嫌ったりしている。
それでいて旧統一教会とは相変わらず仲が良くて、今も裁判の結果が出る前にと急いでお金を運んでいるという記事を読みました。この心理が理解できません。
私が子どもの頃、集団就職でこちらへ来た若者たちが頻繁にやってきました。
そのたびに家族の夕食のおかず代はお酒代に変わりました。
私もこの歳になって分かりましたが自分より若い人と話すのは楽しいです、
私の両親も「オヤジ・オフクロ」と呼んでくれる若者と話すのは、おかずに代えられない楽しみだったのかも。それが離れて暮らす息子だったら尚更でしょう、きっと。
それでいて旧統一教会とは相変わらず仲が良くて、今も裁判の結果が出る前にと急いでお金を運んでいるという記事を読みました。この心理が理解できません。
私が子どもの頃、集団就職でこちらへ来た若者たちが頻繁にやってきました。
そのたびに家族の夕食のおかず代はお酒代に変わりました。
私もこの歳になって分かりましたが自分より若い人と話すのは楽しいです、
私の両親も「オヤジ・オフクロ」と呼んでくれる若者と話すのは、おかずに代えられない楽しみだったのかも。それが離れて暮らす息子だったら尚更でしょう、きっと。
痒みはロキソニンも効きます。
おばあさまとお母さまの良い話を読ませて頂きました。
昨日は何処の花屋もカーネーションだけでした。
自分は母を早くに亡くしたのであまり記憶に無いです。
夢二のひょろひょろとした絵にそれらしき面影を見ています。
おばあさまとお母さまの良い話を読ませて頂きました。
昨日は何処の花屋もカーネーションだけでした。
自分は母を早くに亡くしたのであまり記憶に無いです。
夢二のひょろひょろとした絵にそれらしき面影を見ています。
> haru_raraさん、私も釜山なんてなんどでも行けると思っていたのに、その一回だけになりました。
母のおかげですよ。
私の仲間同士はFBから誕生日を教えてくれる(ちょっとうるさい)けれど、お母さんはちゃんと覚えていらっしゃるのです、当たり前かもしれませんが、貴いことだと思います。
母のおかげですよ。
私の仲間同士はFBから誕生日を教えてくれる(ちょっとうるさい)けれど、お母さんはちゃんと覚えていらっしゃるのです、当たり前かもしれませんが、貴いことだと思います。
> rinrin1345さん、あの先生たちにお礼状を書こうと思ったのに、ハングルが読めないものだからそれっきりになってしまったことが、今も悔やまれます。
ちゃんと日本語で住所氏名を書いてもらえばよかったのにと。
ちゃんと日本語で住所氏名を書いてもらえばよかったのにと。
> ebloさん、亡妻も貧しい韓国の青年たちに日本語を教える学校の教師をやっていました。韓国語はできないのに。
彼らが我が家に遊びにきてくれて楽しくビールを飲みました。
亡妻が入院すると彼らはミュージカルに連れて行ってくれたのに、亡くなったことを知らせるすべがなく、これも後悔のタネです。
彼らが我が家に遊びにきてくれて楽しくビールを飲みました。
亡妻が入院すると彼らはミュージカルに連れて行ってくれたのに、亡くなったことを知らせるすべがなく、これも後悔のタネです。
> higashinumaさん、かゆみ止めの薬も二種類飲んでいるのです。
どうしようもなかったら、ロキソニンという奥の手もあるのかな。
早くにお母さんを亡くされたのは、私のように父を亡くしたよりもつらかったことと思います。
どうしようもなかったら、ロキソニンという奥の手もあるのかな。
早くにお母さんを亡くされたのは、私のように父を亡くしたよりもつらかったことと思います。
こんばんは。
もうしばらく不調が続いておられて苦しんでいらっしゃる…お辛いですね。
痛みもかゆみも本当に切って捨てたくなるくらいですから。
お大事になされてください。
侵略し支配した日本人にやさしい心こもる対応。どの国の人々も平和こそ重要。草の根ではきっとつながれますね。
お母様もおばあさまも素晴らしいですね。
もうしばらく不調が続いておられて苦しんでいらっしゃる…お辛いですね。
痛みもかゆみも本当に切って捨てたくなるくらいですから。
お大事になされてください。
侵略し支配した日本人にやさしい心こもる対応。どの国の人々も平和こそ重要。草の根ではきっとつながれますね。
お母様もおばあさまも素晴らしいですね。
> akaiga-beraさん、ご心配ありがとう。私は韓国人の悪口を聞くたびに、あの釜山の人たちを思いだします。
by saheizi-inokori
| 2025-05-12 08:15
| わが母と祖母の遺したまいしうた
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Comments(10)