雨がやんだら
2025年 02月 18日
WIFIの中継器のインタネット接続不調の件はメーカーに電話して、親切な女性の手取り足取り(電話越しだけど)の言うとおりに、抜いたり差したり、押したり打ち込んだり、小一時間の奮闘で目出度く解決した。
コンセントに直接差し込む、そのコンセントがソファの裏なので、たんびたんびにエイコラショ!。
型番とかパスワードを書いた紙が機械に貼り付けてあるのだが、その字の小さいこと!嫌がらせかと思ってしまうほどだ。
リビングでも「強力な電波」でインタネット接続ができるようになって、ひとつひとつの障害を克服する悦びに浸ると、こんどはブログにイイネやコメントが入力できなくなった。
一難去ってまた一難、天はこの老人をどんだけ鍛えれば気がすむのだろう。

(ここにだけある。これは何だ?)
WIFI騒動を終えて、大急ぎで昼飯を(サンチを膝に乗せながら)かっこんで、歯医者へ。
バスを降りたら、ポツポツと雨がふりだす。
ひさしぶりのお湿りだけど、すぐ止むのだろうと高をくくって歩いていたら、烈しい降りになってくる。

どこかで雨宿りとも思ったが、エイヤッと歩き続け、ダウンコートとフードがびしょ濡れになってしまう。
クリニックにつくとすぐに乾いたタオルが与えられてゴシゴシふいた。
歯根に炎症がある歯を、ぜったいに抜かない、辛抱つよく消毒液を注入して、もうかれこれ一年になるだろうか。
あたらしい骨の形成を待つのだ、僕が生きているのとそっちとどっちが勝つか。
治療用義歯の欠損を直してもらい、いつもの歯垢除去もしてもらう。

きょうも本が読めないのは嫌だから、いつものカフエによって、一時間近く「三島由紀夫伝説」を読む。
学習院高等科を優等で卒業した三島は一兵卒として応召されるが、肺浸潤として不合格になり即日帰郷となる。
そのときの父親・梓の喜び方は読む者が鼻白むほどの手放しの喜び方「何を見ても嬉しい存在にみえる」とある。
三島自身は「仮面の告白」に偽って詐病の振舞いをしたと書いている。
奥野は、三島が欧米の研究者が指摘するような意識的な徴兵忌避者ではなかったとみる。
入隊時の身体検査において、三島が感冒と高熱のため、積極的な意志、つまり勇気をうしなっていたのではないかと。
幹部候補生や海軍予備学生の道を選ばずに、あえて厳しい衛兵生活がまつ一介の兵士の道を選んだ三島の真意については「謎」であるの一言。
とうじ陸軍とその徴兵制度は国民的人気がなかった。
それまでの日本人の名誉心とか武勇とか忠義とかいうものは、すべて家中心であったのに、陸軍の徴兵制は、ただ不特定多数の個人として人々を徴兵、つまり国民を人的資源として雑兵扱いにした。
武士階級はそれを恥辱とし、商家は軍隊を敵とし、農家は働き手の収奪とうけとった。
陸軍は、兵役がむしろ束の間の奴隷的労働からの社会差別からの解放であり、生涯の贅沢であるような、貧しい小作農民の口減らしの対象になるような子弟によって支持され、それらが下士官や古年兵や在郷軍人として、暗く野暮ったい、土着的な帝国陸軍を形成してきた。
資本主義や地主によって極度に搾取が進んだときにその基盤が揺らいだのが2・26事件となった。
三島は幼年期に2・26事件に遭遇、自分がそこから永遠に拒まれている悲劇的なものを感じる。
祖父の故郷をふくめて農村をもっとも嫌悪していた三島、その三島が農村に深く根をはやした陸軍の持つ農本主義の爆発である青年将校の姿に憧れた。
それを奥野は
それはこれから。


コンセントに直接差し込む、そのコンセントがソファの裏なので、たんびたんびにエイコラショ!。
型番とかパスワードを書いた紙が機械に貼り付けてあるのだが、その字の小さいこと!嫌がらせかと思ってしまうほどだ。
リビングでも「強力な電波」でインタネット接続ができるようになって、ひとつひとつの障害を克服する悦びに浸ると、こんどはブログにイイネやコメントが入力できなくなった。
一難去ってまた一難、天はこの老人をどんだけ鍛えれば気がすむのだろう。

WIFI騒動を終えて、大急ぎで昼飯を(サンチを膝に乗せながら)かっこんで、歯医者へ。
バスを降りたら、ポツポツと雨がふりだす。
ひさしぶりのお湿りだけど、すぐ止むのだろうと高をくくって歩いていたら、烈しい降りになってくる。

どこかで雨宿りとも思ったが、エイヤッと歩き続け、ダウンコートとフードがびしょ濡れになってしまう。
クリニックにつくとすぐに乾いたタオルが与えられてゴシゴシふいた。
歯根に炎症がある歯を、ぜったいに抜かない、辛抱つよく消毒液を注入して、もうかれこれ一年になるだろうか。
あたらしい骨の形成を待つのだ、僕が生きているのとそっちとどっちが勝つか。
治療用義歯の欠損を直してもらい、いつもの歯垢除去もしてもらう。

きょうも本が読めないのは嫌だから、いつものカフエによって、一時間近く「三島由紀夫伝説」を読む。
学習院高等科を優等で卒業した三島は一兵卒として応召されるが、肺浸潤として不合格になり即日帰郷となる。
そのときの父親・梓の喜び方は読む者が鼻白むほどの手放しの喜び方「何を見ても嬉しい存在にみえる」とある。
三島自身は「仮面の告白」に偽って詐病の振舞いをしたと書いている。
奥野は、三島が欧米の研究者が指摘するような意識的な徴兵忌避者ではなかったとみる。
入隊時の身体検査において、三島が感冒と高熱のため、積極的な意志、つまり勇気をうしなっていたのではないかと。
幹部候補生や海軍予備学生の道を選ばずに、あえて厳しい衛兵生活がまつ一介の兵士の道を選んだ三島の真意については「謎」であるの一言。
とうじ陸軍とその徴兵制度は国民的人気がなかった。
それまでの日本人の名誉心とか武勇とか忠義とかいうものは、すべて家中心であったのに、陸軍の徴兵制は、ただ不特定多数の個人として人々を徴兵、つまり国民を人的資源として雑兵扱いにした。
武士階級はそれを恥辱とし、商家は軍隊を敵とし、農家は働き手の収奪とうけとった。
陸軍は、兵役がむしろ束の間の奴隷的労働からの社会差別からの解放であり、生涯の贅沢であるような、貧しい小作農民の口減らしの対象になるような子弟によって支持され、それらが下士官や古年兵や在郷軍人として、暗く野暮ったい、土着的な帝国陸軍を形成してきた。
資本主義や地主によって極度に搾取が進んだときにその基盤が揺らいだのが2・26事件となった。
三島は幼年期に2・26事件に遭遇、自分がそこから永遠に拒まれている悲劇的なものを感じる。
祖父の故郷をふくめて農村をもっとも嫌悪していた三島、その三島が農村に深く根をはやした陸軍の持つ農本主義の爆発である青年将校の姿に憧れた。
それを奥野は
まさに凶事である。そこに三島由紀夫の宿命的な悲劇があったのではないか。という。
戦争末期の三島由紀夫は、仲間である虚弱のため召集されない病人の多い東大法学部の残留者たちと結構居心地よく暮らせた、最後の自由主義的雰囲気にいた戦争傍観者であったのだ。当然心の底では生き逃れることを願っていただろう。その三島が八月十五日のとつぜんの平和の到来に、どういう衝撃を感じたか。
それはこれから。



昨日いいねが押せなかったのは、エキサイトブログの不具合のようです。
私も押せませんでした。佐平次さまの奮闘ぶりを讃え、いいねを押させていただきたかったのに
私も押せませんでした。佐平次さまの奮闘ぶりを讃え、いいねを押させていただきたかったのに
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わたしも新しい骨の形成待ち、もう数年も。
同じ症状の方と初めて話した・・・あるのですね、そういうの。
同じ症状の方と初めて話した・・・あるのですね、そういうの。
> open-mind1109さん、後の歯を大事にしましょう!
おはようございます。
抜き差し、再起動、試してから~の、お問い合わせですね。
型番などはスマホで撮影して拡大(笑
実家の家電なども、スマホで撮影が多いです。
そして歯!
1度抜いてしまったら、もうはえてこないので
根気よく、シツコク、治療が大事と思います。
抜き差し、再起動、試してから~の、お問い合わせですね。
型番などはスマホで撮影して拡大(笑
実家の家電なども、スマホで撮影が多いです。
そして歯!
1度抜いてしまったら、もうはえてこないので
根気よく、シツコク、治療が大事と思います。
> yossina-laniさん、まことにまことに!
by saheizi-inokori
| 2025-02-18 11:28
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
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Comments(8)