上野毛で
2025年 02月 15日
毎日の散歩は家から東西南北、日々方向をかえて歩く。
往復4千歩くらいだから、あまり遠くにはいけない。
飽きてくると片道はバスを使って、もう少し先まで行く。
身障者割引で110円、春からシルバーパスが安くなるというから、それを買おうかと思案中だ。
年に100回バスを利用すればそっちの方が安くなる。
今はそのくらい軽く超えているけれど、、。
きのうは久しぶりに上野毛まで歩いた、3千歩強かな。
三島由紀夫の評伝を読み始めて、そのなかに北杜夫や吉行淳之介のことが出てきたので、「上野毛のご隠居」こと吉行淳之介の住んだ上野毛に気持ちが動いたのだ。
第三の新人たちは三島より作家デビューは遅れたが、年齢はほぼ同じで、交流もあった。
ドクトルマンボウの松原の北杜夫、町田の大家こと遠藤周作、阿川弘之などのユーモアたっぷりの交友のあれこれを読んだころは、上野毛に行ったことがなくて、よほど高級な住宅街かと思っていた。
坂の途中にある吉行の家は、いまは宮城まり子(故人)の家になって、宮城の名札がかかっている。
崖の上の方は人を寄せつけない高級な住宅街ではあるが、この家にはそんな感じはしないのが好感がもてる。
隠居といっても吉行がここに住み始めたのは40代半ばのことだ。


薄暗い中をのぞくと、これがどうして立派なカフエ。
ちょっとしたミーテイングの出来そうなエリアも備えて、ワンちゃんもOK。

四畳半に花が活けてあるので、ここは何に使うの?と尋ねたら「まだ決めてない」そうだ。

三島由紀夫の幼少期、幕末の名士・永井尚志の孫であり譜代大名の孫でもある祖母が、平民で苦学力行の末樺太開発庁長官にまでなったものの、部下の汚職の責任をとって落ちぶれた夫にうつされた梅毒の神経痛、さいごは脳疾に苦しみながらも、家刀自として断固たる権力を握り、うまれてすぐに母親から取り上げて、暗い自室でペットとして一緒に暮らす。
外で遊ぶなど論外、原っぱも男の子らしい遊びも知らずに育つ。
子供・三島にとっての世界のすべては、周囲の人間であり、祖母の心を読むこと、その狂乱に耐え歓心を得ることだった。
「狷介不屈な或る狂ほしい誌的な魂」を祖母から受け継ぐのだ。
「仮面の告白」で吐露された、汚わい屋の若者にあこがれ、サディスティックな下降願望も祖母のそれを受け継いだのだと奥野。
「諸国のニュース」と「家の中の諍いごと」と「お伽噺の空想的事件」の三つが等価値で同系列なものとみるように育ち、社会の本質は架空、空想の産物だと思う。




往復4千歩くらいだから、あまり遠くにはいけない。
飽きてくると片道はバスを使って、もう少し先まで行く。
身障者割引で110円、春からシルバーパスが安くなるというから、それを買おうかと思案中だ。
年に100回バスを利用すればそっちの方が安くなる。
今はそのくらい軽く超えているけれど、、。
きのうは久しぶりに上野毛まで歩いた、3千歩強かな。
三島由紀夫の評伝を読み始めて、そのなかに北杜夫や吉行淳之介のことが出てきたので、「上野毛のご隠居」こと吉行淳之介の住んだ上野毛に気持ちが動いたのだ。
第三の新人たちは三島より作家デビューは遅れたが、年齢はほぼ同じで、交流もあった。
ドクトルマンボウの松原の北杜夫、町田の大家こと遠藤周作、阿川弘之などのユーモアたっぷりの交友のあれこれを読んだころは、上野毛に行ったことがなくて、よほど高級な住宅街かと思っていた。
坂の途中にある吉行の家は、いまは宮城まり子(故人)の家になって、宮城の名札がかかっている。
崖の上の方は人を寄せつけない高級な住宅街ではあるが、この家にはそんな感じはしないのが好感がもてる。
隠居といっても吉行がここに住み始めたのは40代半ばのことだ。

上野毛には商店街といっても、さしたる店はない。
20年前に今の家に引っ越してきた時は銭湯にときどき入りに来て、銭湯の前の町中華で湯上りに一杯やりたいと思っただけで実行しなかったら、その銭湯もとっくになくなって、湯上りに餃子でグイっと一杯もできなくなった。
今は銭湯があっても、カイカイの身体では入りたくないし、湯上りのビール(炭酸系)も医者に止められている。
なにごとも出来るうちにやっておくことだ。

昔、ざっかけない小さな店が並んでいた「上野毛ショッピングセンター」の看板だけ残っている。
おや、町カフエなんて旗を出して、なかはどうなんだろう。
20年前に今の家に引っ越してきた時は銭湯にときどき入りに来て、銭湯の前の町中華で湯上りに一杯やりたいと思っただけで実行しなかったら、その銭湯もとっくになくなって、湯上りに餃子でグイっと一杯もできなくなった。
今は銭湯があっても、カイカイの身体では入りたくないし、湯上りのビール(炭酸系)も医者に止められている。
なにごとも出来るうちにやっておくことだ。

昔、ざっかけない小さな店が並んでいた「上野毛ショッピングセンター」の看板だけ残っている。
おや、町カフエなんて旗を出して、なかはどうなんだろう。

薄暗い中をのぞくと、これがどうして立派なカフエ。
ちょっとしたミーテイングの出来そうなエリアも備えて、ワンちゃんもOK。

四畳半に花が活けてあるので、ここは何に使うの?と尋ねたら「まだ決めてない」そうだ。

三島由紀夫の幼少期、幕末の名士・永井尚志の孫であり譜代大名の孫でもある祖母が、平民で苦学力行の末樺太開発庁長官にまでなったものの、部下の汚職の責任をとって落ちぶれた夫にうつされた梅毒の神経痛、さいごは脳疾に苦しみながらも、家刀自として断固たる権力を握り、うまれてすぐに母親から取り上げて、暗い自室でペットとして一緒に暮らす。
外で遊ぶなど論外、原っぱも男の子らしい遊びも知らずに育つ。
子供・三島にとっての世界のすべては、周囲の人間であり、祖母の心を読むこと、その狂乱に耐え歓心を得ることだった。
「狷介不屈な或る狂ほしい誌的な魂」を祖母から受け継ぐのだ。
「仮面の告白」で吐露された、汚わい屋の若者にあこがれ、サディスティックな下降願望も祖母のそれを受け継いだのだと奥野。
「諸国のニュース」と「家の中の諍いごと」と「お伽噺の空想的事件」の三つが等価値で同系列なものとみるように育ち、社会の本質は架空、空想の産物だと思う。
現実世界を主観的な夢が織りなすものとみて生活し、ついには本来の虚の世界に戻っていった。(略)恐るべし、幼年期の環境だ。
三島の最期は虚無化したはずの現実社会からの怨念にみちた圧倒的な反逆に襲われた。




三島は祖母の影響デカイみたいですね。
妹がモデル?の短編も複数。
自宅に遊び行った旧友が「お母様、お客様にお紅茶を」と平岡公威少年に言われ、美しく上品な母上といい、驚いたとか。
吉行淳之介を「村上朝日堂」で文壇バーで「畏れ多い」と。
不粋な作家?編集者に「君、それはちょっと」
最期の言動は理解出来ないまでも、それも含めて三島由紀夫なんたと思います。小説の一つも書けていない私が、圧倒的な知識知能といい、全否定出来るわけもなく。
西村賢太が私淑した藤澤清造みたいな芝公園で…三島にそういうのは違うかも。
澁澤龍彦と出口ナントカが「戒厳令待ち、だったのでは?
(昭和天皇に)熱い握り飯を差し出し『ご無事で』をやりたかったのでは」ですと。
妹がモデル?の短編も複数。
自宅に遊び行った旧友が「お母様、お客様にお紅茶を」と平岡公威少年に言われ、美しく上品な母上といい、驚いたとか。
吉行淳之介を「村上朝日堂」で文壇バーで「畏れ多い」と。
不粋な作家?編集者に「君、それはちょっと」
最期の言動は理解出来ないまでも、それも含めて三島由紀夫なんたと思います。小説の一つも書けていない私が、圧倒的な知識知能といい、全否定出来るわけもなく。
西村賢太が私淑した藤澤清造みたいな芝公園で…三島にそういうのは違うかも。
澁澤龍彦と出口ナントカが「戒厳令待ち、だったのでは?
(昭和天皇に)熱い握り飯を差し出し『ご無事で』をやりたかったのでは」ですと。
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by saheizi-inokori
| 2025-02-15 12:17
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
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Comments(2)