鬼無里会に思ったこと
2025年 02月 09日
ブログ村というのに加入したけれど、あのバナーというのをどうやったら表示できるのか分からなかった。
きのうその村を彷徨っていてようやくコピーの仕方を知ったけれど、こういう作業を毎度繰返すのは面倒だね。
なんか便法がありそう、いぜん、「冷やし中華倶楽部」みたいなバナーをつくって貼り付けていたことがあるけれど、あれはどうしたんだったけ。
まあ、村のバナーを貼り付けてもとくに寿命が延びるような好いことはなさそうだけれど、なんか勲章みたいでカッコよくないか、、別に、か。



きのうは恒例の鬼無里会の新年会が東京駅八重洲口で開かれた。
いつもは人形町のカミヤでやるのだけれど、人手不足でもうあんな宴会は受けられないというのじゃしょうがない。
少し早めに行って、懐かしい黒塀横丁などを見て歩く。
僕が開発したときはキッチンストリートと名づけたところは、名前も中身もほとんど変わって、どの店にも長い行列ができている。
「どこでもいいから、なんか食べようよ」そんな会話も聞こえる。
春休みの土曜日、しかも好天の昼飯時ということもあるのだろうが、繁盛しているのはやはりうれしい。
嬉しいけれど、中身が変わってしまっているのが、いささか寂しい。

東京駅という好立地の内外につぎつぎに新しい飲食店が出来て、すこしでも目新しく、うまそうに見える店がSNSなどで取り上げられて、わあっと人が集まる。
そんなことの繰り返ししかないのかな、もうちょっと何か違う開発があるのじゃないか、などとぼんやり考える。

イトーヨーカ堂があちこちで閉店していくニュースが、それを惜しむ人たちが「長いことお世話になりました」みたいな視点で報じられると、僕はなんか釈然としない。
スーパーマーケットは、多くの人に利用されたけれど、その陰で今までその町にあった路面店をたくさん潰してシャッター街を現出させた。
優勝劣敗は商売の常かもしれないけれど、そうやってあたりを平らげて進出した限りは、その責任も全うしてほしいとも思うのだ。
ニュースで報じられた閉店は利用者が「少なくなって」、儲からなくなったからの判断だとおもうが、利用者は「いなく」なりはしない。
さあ、先祖代々からの路面店さん、もういちどカムバック!といってももう遅いのだ。
あの人々の会話が飛び交う懐かしい商店街はもう幻になってしまった。

そんなアホくさいことを思いながら、会場につき、まもなく乾杯。
京都から、みんなにひとかけらづつ生八つ橋をお土産に駆けつけた男も加えて、24人が集まった。
古希、還暦、退職などにみんなからお祝いをあげる。
かつての「若い連中」が還暦になり退職していくから、お祝いを出す方も大変だ。
大変だけれど、こうして差し上げることができることに感謝する。
もう30年以上にわたって、旅行会、BBQ、飲み会、集っては笑いあい、励まし合ってきた。
メンバーもいろいろな人が増えてきた。
なんで、こんな会が長続きするのだろう。
メンバーのみんなが不思議がりながらも、また次回出席する、何の義務もないし、出て何か得するということもない。
欠席すれば、どうしたろうかと身体のことなどを心配するけれど、出てこないこと自体を取り上げてどうこう言う人は一人もいない。

みんなが、大元において真面目だということ、人を出し抜いてえらくなろうというようなのは一人もいない。
そして、「俺が俺が」、俺が一番というのも一人もいない。
でもみんな骨惜しみせずに助け合う。
だから、みんなと久しぶりにあえば、話すことはたいしたことではなくても、なんとも言えない安心感に満たされて、自然に笑みがこぼれてくる。
酔いがまわると、だれかれとなく肩を抱きたくなってくる。
そして名残惜しくも清々しい気持を抱いて別れ、四方に散っていく、まるで広場で遊んでいた子供たちのように。

帰りの電車の中で、きょう来れなかった人たちのことを思った。
古くからのメンバーがだんだんいろんな病気になって、ある人はその時だけ欠席し、ある人は出席が叶わなくなってくる。
ああ、このひと時!このひと時を大事に味わうのだ。
きのうその村を彷徨っていてようやくコピーの仕方を知ったけれど、こういう作業を毎度繰返すのは面倒だね。
なんか便法がありそう、いぜん、「冷やし中華倶楽部」みたいなバナーをつくって貼り付けていたことがあるけれど、あれはどうしたんだったけ。
まあ、村のバナーを貼り付けてもとくに寿命が延びるような好いことはなさそうだけれど、なんか勲章みたいでカッコよくないか、、別に、か。



きのうは恒例の鬼無里会の新年会が東京駅八重洲口で開かれた。
いつもは人形町のカミヤでやるのだけれど、人手不足でもうあんな宴会は受けられないというのじゃしょうがない。
少し早めに行って、懐かしい黒塀横丁などを見て歩く。
僕が開発したときはキッチンストリートと名づけたところは、名前も中身もほとんど変わって、どの店にも長い行列ができている。
「どこでもいいから、なんか食べようよ」そんな会話も聞こえる。
春休みの土曜日、しかも好天の昼飯時ということもあるのだろうが、繁盛しているのはやはりうれしい。
嬉しいけれど、中身が変わってしまっているのが、いささか寂しい。

東京駅という好立地の内外につぎつぎに新しい飲食店が出来て、すこしでも目新しく、うまそうに見える店がSNSなどで取り上げられて、わあっと人が集まる。
そんなことの繰り返ししかないのかな、もうちょっと何か違う開発があるのじゃないか、などとぼんやり考える。

イトーヨーカ堂があちこちで閉店していくニュースが、それを惜しむ人たちが「長いことお世話になりました」みたいな視点で報じられると、僕はなんか釈然としない。
スーパーマーケットは、多くの人に利用されたけれど、その陰で今までその町にあった路面店をたくさん潰してシャッター街を現出させた。
優勝劣敗は商売の常かもしれないけれど、そうやってあたりを平らげて進出した限りは、その責任も全うしてほしいとも思うのだ。
ニュースで報じられた閉店は利用者が「少なくなって」、儲からなくなったからの判断だとおもうが、利用者は「いなく」なりはしない。
さあ、先祖代々からの路面店さん、もういちどカムバック!といってももう遅いのだ。
あの人々の会話が飛び交う懐かしい商店街はもう幻になってしまった。

そんなアホくさいことを思いながら、会場につき、まもなく乾杯。
京都から、みんなにひとかけらづつ生八つ橋をお土産に駆けつけた男も加えて、24人が集まった。
古希、還暦、退職などにみんなからお祝いをあげる。
かつての「若い連中」が還暦になり退職していくから、お祝いを出す方も大変だ。
大変だけれど、こうして差し上げることができることに感謝する。
もう30年以上にわたって、旅行会、BBQ、飲み会、集っては笑いあい、励まし合ってきた。
メンバーもいろいろな人が増えてきた。
なんで、こんな会が長続きするのだろう。
メンバーのみんなが不思議がりながらも、また次回出席する、何の義務もないし、出て何か得するということもない。
欠席すれば、どうしたろうかと身体のことなどを心配するけれど、出てこないこと自体を取り上げてどうこう言う人は一人もいない。

みんなが、大元において真面目だということ、人を出し抜いてえらくなろうというようなのは一人もいない。
そして、「俺が俺が」、俺が一番というのも一人もいない。
でもみんな骨惜しみせずに助け合う。
だから、みんなと久しぶりにあえば、話すことはたいしたことではなくても、なんとも言えない安心感に満たされて、自然に笑みがこぼれてくる。
酔いがまわると、だれかれとなく肩を抱きたくなってくる。
そして名残惜しくも清々しい気持を抱いて別れ、四方に散っていく、まるで広場で遊んでいた子供たちのように。

帰りの電車の中で、きょう来れなかった人たちのことを思った。
古くからのメンバーがだんだんいろんな病気になって、ある人はその時だけ欠席し、ある人は出席が叶わなくなってくる。
ああ、このひと時!このひと時を大事に味わうのだ。
北信濃には「鬼無里」っていう地名が多いですね。
昔調べました。
家の近くに「鬼橋」ってあるんです。一級河川の芝川に架かっています。
これより上流は山の中で下流が東側に流れを変えます。
この鬼橋の辺りは淵になっていて綺麗です。
夏には川に入っている人もいます。
「鬼橋」の由来は有るのですが、忘れました。
どんどん、入ってきた話が、ところてんの突き棒のように、後からの話によって出て行っていまうのです。
昔調べました。
家の近くに「鬼橋」ってあるんです。一級河川の芝川に架かっています。
これより上流は山の中で下流が東側に流れを変えます。
この鬼橋の辺りは淵になっていて綺麗です。
夏には川に入っている人もいます。
「鬼橋」の由来は有るのですが、忘れました。
どんどん、入ってきた話が、ところてんの突き棒のように、後からの話によって出て行っていまうのです。
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> shisouanさん、私も戸隠山と鬼無里伝説、なんべんも聞いたのに記憶は曖昧になりました。ただ鬼女とか紅葉とかのイメージが懐かしい思いとともに浮かんできます。
saheijiさん こんにちは。
何の損得も関係ない友人たちはいいですね。
もう楽しくて、あっという間に時間が過ぎます。
同級生の会合でも、他所のクラスの連中は入れない。というけちなものもありますが、
私がいたクラスは、もう誰でもウエルカム。
あげくはバス旅行にも飛び込み参加。
いいなぁ。私はそんなクラスメイト達が大好きです。
ただ、お話の中にもありましたが、病気やら様々な事情で参加できないメンバーが
増えると、やはり気になりますね。淋しいもんです。
みんな元気でいろよ~~!!脳梗塞で倒れちゃだめよ!肺がんなんか吹っ飛ばせ!
そんな声掛けをして別れます。
何の損得も関係ない友人たちはいいですね。
もう楽しくて、あっという間に時間が過ぎます。
同級生の会合でも、他所のクラスの連中は入れない。というけちなものもありますが、
私がいたクラスは、もう誰でもウエルカム。
あげくはバス旅行にも飛び込み参加。
いいなぁ。私はそんなクラスメイト達が大好きです。
ただ、お話の中にもありましたが、病気やら様々な事情で参加できないメンバーが
増えると、やはり気になりますね。淋しいもんです。
みんな元気でいろよ~~!!脳梗塞で倒れちゃだめよ!肺がんなんか吹っ飛ばせ!
そんな声掛けをして別れます。

ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
> unjakuさん、そうです、声かけしても、しても、年には勝てない、それが淋しい、だから今この時!なんです^^。

ああ このひと時 このひと時を大事に! ほんとうに そうですね❣
毎夏、山の避暑地でランデヴーしてた米国在の友の完全寛解を知った時の嬉しさよ です
本日のArc Times、あの児玉龍彦氏の説明で理解を深め乍専門の方々に感謝致しました
【がん治療の大転換/命をわける最新知識/がんはなぜ「死ににくい」病気になったのか】
https://www.youtube.com/watch?v=ZZDl-L-CmiA
ブログ村へようこそ〜
ランキングに一喜一憂するのは無意味なストレスにしかならないけど
excite以外の人と繋がるには良い場と思っています。
あとはどこのランキングが居心地が良いか、居場所探しですね。
黒屏横丁だけじゃなく、今どきの新しいビルも
映えるテナントを上手く入れ替えるところは繁盛する…
ニュー新橋ビルや交通会館、とうとう壊された浜松町の貿易センタービルのような懐かしい空間では、稼げないですからねぇ…
ランキングに一喜一憂するのは無意味なストレスにしかならないけど
excite以外の人と繋がるには良い場と思っています。
あとはどこのランキングが居心地が良いか、居場所探しですね。
黒屏横丁だけじゃなく、今どきの新しいビルも
映えるテナントを上手く入れ替えるところは繁盛する…
ニュー新橋ビルや交通会館、とうとう壊された浜松町の貿易センタービルのような懐かしい空間では、稼げないですからねぇ…
> りんごさん、私も同じような経験、飛び上がって喜んだことをおもいだします。
by saheizi-inokori
| 2025-02-09 11:09
| よしなしごと
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