偉大な物理とは偉大な音楽のようなもの

きのうは、サンチを寝かしてすぐに暖かい日差しの中を散歩に出た。
ついでに今日の鬼無里会新年会会費をおろしておこうと銀行ATMのある等々力にむかう。
コンビニでおろすと手数料110円がもったいないのだ。

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せっかくここまで来たからには、もう少し歩こうと尾山台に足を延ばす。
途中のコーヒーのうまいカフエに入ろうかと思ったが、770円という料金表示に恐れをなしてスルー。

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古本の山もチラ見して、安いカフエで少し本を読もうかと思ったけれど、そろそろサンチが目覚めてうえ~んうえ~ん始まる。
バスに乗って帰宅すると、寝ていたサンチが起き上がる。
よしよし、サンチのおかげでコーヒー代の節約になったよ。

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(ミカンを買おうと思ったら、高いうえに貧相なのでやめた)

サンチを膝に抱いて、2時間ほど「すごい物理学講義」を読んだ。
1905年、アインシュタイン25歳の特殊相対性理論、「宇宙で起るあらゆる事象について、つねに『先』と『後』が存在するわけではない」、質量保存の法則とエネルギー保存の法則の統合、それは原子爆弾への道をひらくものでもある。
10年後の一般相対性理論によって、ファラデーの電磁場とニュートンの重力空間が統一されて、「宇宙は『場』(屈曲した時空間)と『粒子』からなる」。
世界はますますシンプルに描かれる。

19世紀ガウスの二次元曲面の数学的記述、それを発展させてリーマンは時空間の特性を数学的に記述(リーマン曲率)する可能性をひらく。
数学の苦手なアインシュタインは、友人たちの応援を得て必死になってリーマン曲率を学び、なんとかして時空間のリーマン曲率を記述する方程式を導き出す。
「ある場所に存在する物質の量が多ければ多いほど、その場所における時空の歪みは大きくなる」。

この方程式に基づいて、アインシュタインは、狂人の夢想とも思える予言を次々に披露する。
惑星の運動に与える太陽との距離、時間もまた重力の影響を受けて屈曲し、標高の高い場所では時間が速く過ぎ、低い場所では遅く過ぎる。
ブラックホールの存在、空間が海の波のように振動する、ビッグバン、、。
そのそれぞれが正しかったことが確認されつづけた。

ロヴェッリは、数学が苦手だったアインシュタインが、数学者・ヒルベルトとの熾烈な競争に勝って、先に理論を完成させたわけをこういう。
アインシュタインは、ある傑出した能力を備えていた。それは、世界がいかに形づくられているかを「想像」し、頭のなかで「世界を見る」能力だった。
アインシュタインの考えた宇宙は三次元球面、この着想は、6世紀も前に、ダンテが「神曲」の天国篇において描いた宇宙像に通じる。
偉大な科学と偉大な詩は類似の世界観をもっており、時として同一の直観にいたりさえする。
さらにロヴェッリ教授はいう。
リーマンの数学を理解し、アインシュタインの方程式を完璧に読み解く技術を会得するには、長く険しい道のりを越えていかなければならない。それは、熱意と努力を要する旅路である。とはいえ、ベートーヴェンの後期四重奏からどれか好きな曲を選び出し、その類まれな美しさを十全に把握しようと願うなら、それ以上の労苦を覚悟する必要があるだろう。いずれの場合も、いったん努力がなされたあとは、充分な見返りがまっている。(略)偉大な物理とは、偉大な音楽のようなものである。それは心に直接に語りかけ、事物の本質に備わる美しさや、深さや、単純さに目を向けるよう、わたしたちを誘ってくれる。
そして、教授自身が一般相対性理論の輪郭がおぼろげながら見えるようになった学生時代の思い出を語っている。

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量子論の始まり、アインシュタイン、ニールス・ボーア、ヴェルナー・ハイゼンベルク、ポール・デイラック、粒性、不確定性、相関性。
なんどかいろんな本で読んだ、「学校では教わらなかった」量子論を簡約に紹介する。
これらの学者が25歳前後に偉大な発見をすることについて、
このような妄想を真剣に受けとめるには、二十代という若さが必要だった。その妄想から、世界を変革する理論を組み立てようと考えるには、二十代という若さが必要だった。
とも書いている。

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僕も数学が苦手で、大学入試では一問しか解けず、高校の職員会で「数学が一問しかできなくても合格した事例」として取り上げられた実績を誇る。
しかし、「世界を見る」力もなく、熱意と努力も不足したのだった。
「数学が苦手」は、たんなる欠点に過ぎなかった。

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Commented by shisouan at 2025-02-08 11:46
学生時代、特殊相対性電磁界理論の実験的論証の卒論と修論をやっておりました。
あと、「場の古典論」なるものも興味があり読みふけっておりました。
兎に角、専門書はお高くてなかなか手がでませんでした。
Commented by saheizi-inokori at 2025-02-08 11:49
> shisouanさん、凄いことをしていたんですね、敬服します。
Commented by sabertiger54 at 2025-02-08 12:46
こんにちは。
初期量子力学の功労者のパウリはユングと親交があって「心理学と錬金術」で取り上げれている元型夢のシリーズはパウリのものでした。二人には共著もありますが心理学と物理学は現実を違う方法で記述してるだけなのかも知れませんね。
小松左京先生のSF短編「ゴルディアスの結び目」を思い出しました。この短編おすすめです。
Commented by saheizi-inokori at 2025-02-08 13:03
> sabertiger54さん、最近読んでいる本は、哲学、人類学、歴史学、宗教、、さまざまな学問が世界の実相を記述しようとしているように思いました。小松左京、探してみようかな。
Commented by kogotokoubei at 2025-02-08 13:06
高校二年の冬に、国立理系から私立文系に志望を変更しました。(文転)
高校のクラスは、無駄に(?)数学や理科の授業が多い理数科だったので、受験では社会の代わりに数Ⅰを選択しました。
たぶん、数Ⅰは満点だったと思います。
そのおかげで合格したようなものです。
自慢じゃありませんよ。
今は問題見ても、チンプンカンプン(^^)
数学Ⅲだとか物理ⅡBなどの授業は、同じように文テンした友人と一緒に抜け出して映画を観に行ったものです。
「レット・イット・ビー」「いちご白書」など。
懐かしい思い出です。
Commented by eblo at 2025-02-08 15:37
「頭のなかで『世界を見る』能力」
頭の中で「原爆投下後の世界を見る能力」は科学者ではなく占い師の役目?
Commented by saheizi-inokori at 2025-02-08 16:44
> kogotokoubeiさん、マンモスというのがクラス担任で数学を教えました。
なんか味のある教師だつたことだけ覚えて数学はまつたくダメでした。
Commented by saheizi-inokori at 2025-02-08 16:45
> ebloさん、いま占い師たちの前を歩いてきました。きいてみるのだった。
Commented by at 2025-02-09 10:45
写真の花、蝋梅かしら?花弁がパラフィン紙の様な手触りで、冷たい。この花の、色、手触り、朽ちない雰囲気は安心します。枯れた時、残花弁が、葉柄の上で留まらないでハラハラと一度に落花するのですね。
Commented by saheizi-inokori at 2025-02-09 11:12
> 竹さん、散歩の途中で見かけた、おそらく蝋梅、狼狽は私^^。
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by saheizi-inokori | 2025-02-08 10:52 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(10)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori