ありがたや
2025年 02月 05日
けさは神田の漢方医院で診断ののち、2週間間分の煎じ薬を処方してもらつた。
カイカイの症状はだいぶ治まったけれど、それはプレドニンの効果、果たして副作用の強い薬に頼らない体質改善ができるかどうか。

昨年の暮れくらいから、「西洋の敗北」(エマニュエル・トッド)、「国家はなぜ衰退するのか」( ダロン アセモグル, ジェイムズ A ロビンソン)、「万物の黎明」( デヴィッド・グレーバー デヴィッド・ウェングロウ )、「コーランを読む」(井筒俊彦)と、いわば「硬い」本を続けて読んできた。
どれも素晴らしい本ばかりで、知的スリルに充ちていてワクワクしながら、毎日を充実して暮らすことができたばかりか、様々な新しいものの見方や考え方を教わったような気がする。
この年になつて、こんなに日々が楽しく新鮮に感じられるようになるとは!
本に手を合わす、ありがたやアリガタヤ!

事物の「本質」が外的に実在することを信じる第三の型、それは表層意識で理性的に確信する。
西洋哲学史ではプラトンが第一の人、彼のいう「イデア」とはまさに、実在する普遍的「本質」だ。
これは、かのソクラテスの「それはなんであるか」の情熱的な「定義」追求に始る。
同じ名前で呼ばれるものすべてには一つの共通した根源的存在リアリティーがあるという思想。
では、東洋では?
孔子さまだ。
現実の世界に存在する一切の事物、事象に、普遍的で永遠不易の「本質」があって、それが一々の物をまさにその物たらしめるリアリティーなのだという確信が孔子にはあった。
孔子が政治の要諦に「必ずや名を正す」、名を実(本質)に向けて正しくする、王という名は王の本質を真に体現している人物にたいしてのみ用いるべきであり、王を名乗るなら、王の本質を自覚し、常にその体現者として存在し行動しなければならない。
家庭にあっては父は父、子は子の本質に忠実にあらねばならない。
荘子は、そんな考えに真っ向から反対する。
不変不動の「本質」で金縛りになった世界の不自由なこと!
そもそも、ものの名などというものは社会的慣習ではないのか。
存在の真相は「混沌(カオス)」なのだ。
言葉に恒常性などはない、つまり絶対的にこれが「本質」であるというものはない、すべては相対的区別であり対立にしか過ぎないと。
孔子と荘子の対立は、しかし、同一レベルでの「本質」肯定と否定の対立ではない。
孔子は表層意識での「本質」肯定、荘子は深層意識における「本質」、存在の無化で対立している。
インドにもヴァイシェーシカとニヤーヤによる「名実論」があって、それは孔子の「正名論」に近い。
これは、かのソクラテスの「それはなんであるか」の情熱的な「定義」追求に始る。
同じ名前で呼ばれるものすべてには一つの共通した根源的存在リアリティーがあるという思想。
では、東洋では?
孔子さまだ。
現実の世界に存在する一切の事物、事象に、普遍的で永遠不易の「本質」があって、それが一々の物をまさにその物たらしめるリアリティーなのだという確信が孔子にはあった。
孔子が政治の要諦に「必ずや名を正す」、名を実(本質)に向けて正しくする、王という名は王の本質を真に体現している人物にたいしてのみ用いるべきであり、王を名乗るなら、王の本質を自覚し、常にその体現者として存在し行動しなければならない。
家庭にあっては父は父、子は子の本質に忠実にあらねばならない。
荘子は、そんな考えに真っ向から反対する。
不変不動の「本質」で金縛りになった世界の不自由なこと!
そもそも、ものの名などというものは社会的慣習ではないのか。
存在の真相は「混沌(カオス)」なのだ。
言葉に恒常性などはない、つまり絶対的にこれが「本質」であるというものはない、すべては相対的区別であり対立にしか過ぎないと。
孔子と荘子の対立は、しかし、同一レベルでの「本質」肯定と否定の対立ではない。
孔子は表層意識での「本質」肯定、荘子は深層意識における「本質」、存在の無化で対立している。
インドにもヴァイシェーシカとニヤーヤによる「名実論」があって、それは孔子の「正名論」に近い。

本論の締めくくり。
(イスラームも含めて)東洋哲学一般の一大特徴は、認識主体としての意識を表層意識だけの一重構造としないで、深層に向かって幾重にも延びる多重構造とし、深層意識のそれらの諸層を体験的に拓きながら、段階的に移り変わっていく存在風景を追っていくというところにある。表題作のほかに「本質直観――イスラーム哲学断章」「禅における言語的意味の問題」「対話と非対話――禅問答についての一考察」の三論文がついていて、僕は「本質直観、、」以外の二論文を面白く読んだ。
だから、東洋哲学においては、認識とは存在との複雑で多層的なからみ合いである。そして、意識と存在のこのからみ合いの構造を追求していく過程で、人はどうしても「本質』の実在性の問題に逢着せざるをえない。その実在性を肯定するにせよ否定するにせよ、である。
その内容は後日にでも。
私も荘子に賛成です。なーんて、ほとんどわかってない私が言うのも恥ずかしいですが。
0
ひとまず改善良かったですね。私はプレドニン、ゼロにするまでに半年かかりましたが、元の体に!✌。じっくり様子見ながら回復目指してくださいね。
by saheizi-inokori
| 2025-02-05 12:13
| 今週の1冊、又は2・3冊
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Comments(6)