就眠儀式
2025年 01月 24日
甘苦い漢方薬を飲み始めて、まだ二日、効き目は表れない。
昨夜は眠れなくてしょうがないから、起き上がって家のなかを歩いてから、横になって枕元に常備してある本を読んだ。

川崎洋が、いろんな(僕はほとんど知らない)詩人たちの作品をとりあげて解説する。
ずいぶんまえに、小野十三郎の作品について読んで、その途中でそのままになっていた。
若い頃は、就眠儀礼として本を読んだ。
いつも数冊を枕元に置かないと心配で旅行にもそのための本を持ち歩いた。
実際にはせいぜい一冊の数ページを読むだけ、お呪いのようなものだった。
年をとってからは、落語のテープがそれに代わった。
何百巻もあるテープのなかから、その日に聞きたいものを数巻選んでは枕元に置いた。
志ん生のものが最適で、飽きずにとっかえひっかえ聞いて、そのたびに蒲団のなかで吹き出したりもした。
おおかたの日は、マクラの終わらないうちに寝落ちするのだが、ときには数巻をすべて聞いても目が冴えて眠れない日もあった。

去年だったか、歯科医に自律訓練法というのを教えられて、それからはスマホのYOUTUBEで、自律訓練法の動画を聴きながら寝るようになった。
たくさんある動画のなかで、その日の気分で聞きたい声を選んで聞く。
聞くだけじゃなくて、声が指示する通りに、深呼吸をしたり、イメージ操作をするのだ。
これもふつうは最初の深呼吸を繰り返し、脱力して重力を感じるイメージのあたりで寝落ちする。
夜中に目が覚めても、同じ動画で寝つくのだ。
カイカイには自律訓練法は効かない。
気持を落ち着けて、と言われても、静かに深呼吸をしているといっそう痒みに気持ちが集中してしまう。

というわけで、ご無沙汰していた川崎洋に再会したのだ。
小野十三郎の『葦の地方』という、昭和初期の大阪重工業地帯の風景を題材にした、自然を破壊して軍備に邁進する日本のあり方を批判した詩。
中勘助『はつ鮎』という、14歳上、東大医科出身でドイツ留学後九州帝大の教授になるも、数年で脳の病で倒れてふつうの暮らしが出来なくなった、その後30年以上もあによめととともに面倒を見続けた兄のことを、偲んだ詩も読む。
その兄が元気なころに、対立した勘助は家を出て野尻湖の弁天島などに籠って「銀の匙」を書いた。
野尻湖畔に住む小学校からの旧友・池田君に案内されて勘助ゆかりの寺などを見て歩いたことを思い出す。
名古屋臨海鉄道に勤務していた頃、人生の恩人ともいうべき社長・真鍋さんが社長室で「銀の匙」を読んでいたことも。

『村の地蔵さん』という戸田正敏の詩も教えられる。
16歳の春(昭和7年)、「雲雀が虚空へ舞いあがる思いで田舎の泥を洗って上京した」戸田は、「詩はことばであり、ことばは血以外の何ものでもない。(略)私にものを考えさせ、感動のいのちを吹きこんだくれる血とは、(略)私の血は、まぎれもなく百姓の血である。(略)科学や経済で解決されないもの、それは人間の愛の問題であると信じ、私はこの問題を解く宝庫が田舎であり、百姓の血に他ならないと思っている。とかく語ることをしない私の周囲、天然自然のありとある「物」から、私の詩はおしゃべりをして貰うことにした。植物や鳥獣も、ときには野山や仏像からも語りかけて貰います」と書いている。
この詩は、姉の嫁ぎ先から地蔵様の萱葺き屋根の補修のための資金カンパを村出身の人たちに呼びかけた願い状にそえたもの。

30分も浸っていただろうか、詩の世界、おかげで痒みもいくらか収まって、ふたたび寝につくことができた。
さて、今夜はいかなることになるか。
昨夜は眠れなくてしょうがないから、起き上がって家のなかを歩いてから、横になって枕元に常備してある本を読んだ。

川崎洋が、いろんな(僕はほとんど知らない)詩人たちの作品をとりあげて解説する。
ずいぶんまえに、小野十三郎の作品について読んで、その途中でそのままになっていた。
若い頃は、就眠儀礼として本を読んだ。
いつも数冊を枕元に置かないと心配で旅行にもそのための本を持ち歩いた。
実際にはせいぜい一冊の数ページを読むだけ、お呪いのようなものだった。
年をとってからは、落語のテープがそれに代わった。
何百巻もあるテープのなかから、その日に聞きたいものを数巻選んでは枕元に置いた。
志ん生のものが最適で、飽きずにとっかえひっかえ聞いて、そのたびに蒲団のなかで吹き出したりもした。
おおかたの日は、マクラの終わらないうちに寝落ちするのだが、ときには数巻をすべて聞いても目が冴えて眠れない日もあった。

去年だったか、歯科医に自律訓練法というのを教えられて、それからはスマホのYOUTUBEで、自律訓練法の動画を聴きながら寝るようになった。
たくさんある動画のなかで、その日の気分で聞きたい声を選んで聞く。
聞くだけじゃなくて、声が指示する通りに、深呼吸をしたり、イメージ操作をするのだ。
これもふつうは最初の深呼吸を繰り返し、脱力して重力を感じるイメージのあたりで寝落ちする。
夜中に目が覚めても、同じ動画で寝つくのだ。
カイカイには自律訓練法は効かない。
気持を落ち着けて、と言われても、静かに深呼吸をしているといっそう痒みに気持ちが集中してしまう。

というわけで、ご無沙汰していた川崎洋に再会したのだ。
小野十三郎の『葦の地方』という、昭和初期の大阪重工業地帯の風景を題材にした、自然を破壊して軍備に邁進する日本のあり方を批判した詩。
中勘助『はつ鮎』という、14歳上、東大医科出身でドイツ留学後九州帝大の教授になるも、数年で脳の病で倒れてふつうの暮らしが出来なくなった、その後30年以上もあによめととともに面倒を見続けた兄のことを、偲んだ詩も読む。
その兄が元気なころに、対立した勘助は家を出て野尻湖の弁天島などに籠って「銀の匙」を書いた。
野尻湖畔に住む小学校からの旧友・池田君に案内されて勘助ゆかりの寺などを見て歩いたことを思い出す。
名古屋臨海鉄道に勤務していた頃、人生の恩人ともいうべき社長・真鍋さんが社長室で「銀の匙」を読んでいたことも。

『村の地蔵さん』という戸田正敏の詩も教えられる。
16歳の春(昭和7年)、「雲雀が虚空へ舞いあがる思いで田舎の泥を洗って上京した」戸田は、「詩はことばであり、ことばは血以外の何ものでもない。(略)私にものを考えさせ、感動のいのちを吹きこんだくれる血とは、(略)私の血は、まぎれもなく百姓の血である。(略)科学や経済で解決されないもの、それは人間の愛の問題であると信じ、私はこの問題を解く宝庫が田舎であり、百姓の血に他ならないと思っている。とかく語ることをしない私の周囲、天然自然のありとある「物」から、私の詩はおしゃべりをして貰うことにした。植物や鳥獣も、ときには野山や仏像からも語りかけて貰います」と書いている。
この詩は、姉の嫁ぎ先から地蔵様の萱葺き屋根の補修のための資金カンパを村出身の人たちに呼びかけた願い状にそえたもの。

30分も浸っていただろうか、詩の世界、おかげで痒みもいくらか収まって、ふたたび寝につくことができた。
さて、今夜はいかなることになるか。
ご無沙汰してしおります。
>カイカイには自律訓練法は効かない
佐平次師匠が言うのですから、さぞかし大変だろうとご推察申し上げます。
座禅なり自己催眠などが効かないというと、やはり薬しかないのでしょうか。
睡眠導入剤?で少し体調を回復するとか、まぁ素人には分かりませんが、体調を崩されないようくれぐれもご自愛ください。
>カイカイには自律訓練法は効かない
佐平次師匠が言うのですから、さぞかし大変だろうとご推察申し上げます。
座禅なり自己催眠などが効かないというと、やはり薬しかないのでしょうか。
睡眠導入剤?で少し体調を回復するとか、まぁ素人には分かりませんが、体調を崩されないようくれぐれもご自愛ください。
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by saheizi-inokori
| 2025-01-24 12:07
| 今週の1冊、又は2・3冊
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Comments(2)