甘えるサンチ

耳が遠くなり眼も不自由になったサンチは、それでも僕たちの存在ははっきり認識する。
というより、いつも二人の存在を確認して安心する。
カミさんが必要十分条件で、カミさんがいると別の部屋でもゆっくり丸くなっている。
僕だけだと、いるだけでは駄目で、抱いてやるか近くに座ってやらないと、く~んく~んと哀し気に吼える。
玄関の戸の隙間に鼻を突っ込んでカミさんの帰りを待ちながら泣き続けるのだ。
帰って来ると、一度嬉しそうに尻尾を振って甘えて、すぐに好きなところに行って丸くなる。

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きのうの昼はカミさんが外出したので、昼飯を食べたあと、そばに座ってやって寝るのを待った。
いったん寝ると二時間くらいはそのままなので、温かいうちにと思って散歩に出た。
ひさしぶりに等々力駅まで歩く。
厚い本をもって、できたら等々力のカフエで少し読みたい、そう思ったのに、なんとなく気持ちが落ち着かず、そのまま帰宅した、その間一時間弱。
静かに寝ていて一安心したが、僕が自室でパソコンに向かったら、く~んく~ん、置きだしてくる。

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サンチを膝に抱いて皆さんのブログを訪問、ずり落ちそうになるサンチとエクサイトがしょっちゅうトップ画面に移行してしまうこともあって、時間がかかって、洗濯物をしまってから本を読み始めたのは夕方近くになってしまった。
とちゅうで、酒屋が配達にきたときは、いっちょまえにワンワン吼える(抱いてやると静かになる)、頼もしい番犬です。
本を読む時は、安定した膝になるので、サンチも心地よさそうに静かに寝息をたてた。

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第八章「想像の都市」を読み終える。

第七章で紹介されたウクライナのメガサイトに続いて、かの三大文明として名前だけは知ったいたメソポタミア文明について、分かっていることをもとにその社会の実像に迫る。
考古学が、遺伝子学をはじめとするさまざまな学問と協力しあって、見えない過去を可視化していく、その素晴らしさには驚嘆のほかはない。
それだけにシリアの内戦のように、貴重な未解明の遺跡が破壊されることは惜しくてならない。
まるで映画を見るように、6千年前の人びとが、王も庶民も賦役にしたがい、女性も肉体労働者も参加して評議会で発言する。

前3300年頃から栄えたウルクでは、楔形文字をつかい、共同体の宮殿と見まがうような大集会場で、書記官になるための教育を受けるさまは、今の教室の始まりだ。
ウルク・エクスパンション、非暴力でウルクは勢力圏を広げて相似形の都市をつくった。

そのなかで、トルコ東部のアルスランテぺ(ライオンの丘)に見られる遺跡は、ウルク的都市文明、とくに文字の使用にはっきりと抵抗して精妙な記憶術と口承の技術を駆使し、商業を否定する貴族主義的戦士の「英雄社会」だ。
大規模な都市拡大の空間的文化的周縁部にできる。
詳細が分かっていない、トランス・コーカサス文化は移動集団でもあった。

前2600年から700年ほど続いたパキスタンのモヘンジョダロ、インダス文明またはハラッパ―文明。
青銅器時代、世界初の大規模な計画的都市だが、ここも(メソポタミアやメガサイトとおなじように)支配階級や行政エリートが不在でも出現したことを示す証拠がある。
未解読の文字を有し、「顔なき文明」とよばれる。
町の真中に大沐浴場があり、そこが社会生活と労働の中心になっていたらしい。
カーストが明示されるのは1000年後の「リグ・ヴェーダ」だが、カーストがインダス文明にもあったとする説と反対の説がある。
筆者たちは、前五世紀の仏教集団・サンガにおける全僧侶による全会一致、合意が得られない場合のみに多数決に頼っていた事例、中世のバリ島のスク・システム(カーストとヒエラルキー社会でありながら、共同体などの日常活動は平等な立場で参加したメンバー全員による合意で決める)などを引き合いに出し、「形式的にはカーストのヒエラルキーがあっても、実際の統治は平等主義的におこなわれていた」のではないか、という。
学者には、遠い過去になんらかの民主主義的制度が存在していたことについては、明確で反論の余地のない証拠をもとめる傾向がある。しかし、不思議なことに、トップダウン式の権威構造については、それに匹敵するような厳密な証拠をもとめない。後者は通常、歴史の初期設定(デフォルト・モード)として扱われるのである。
その原因についてこうも書いている。
その原因のひとつに「西洋」と呼ばれるものが民主主義を「発明」したという名声を守りたいという欲望があるのはあきらかだ。また、学問の世界自体がきわめてヒエラルキー的に組織されているため、ほとんどの学者がじぶん自身、民主主義的意思決定をおこなった経験がほとんどなく、その結果、じぶん以外のだれかがそれをおこなうとは想像しにくいという事実も、その一因かもしれない。
じつに愉快。
メソポタミアとメガサイトは対照的な形態であったが、平等主義的エートスは共通だった。
インダス文明は三つ目のタイプと見られるが、発掘が早かったために貴重な証跡が失われたのが惜しまれる。

中国については、前1200年ごろの殷の青銅器文明を遡る前2600年、後期新石器時代または「龍山時代」に、すでに都市と見られるものがあった。
これらの都市の多くには共同墓地があり、祭祀用の玉が納められている。
注目すべきは、これらの都市は後世、野蛮人(夷狄)の地とされたモンゴルとの国境に位置している。
これらのはるか南、晋南盆地には、前2300年から前1800年にかけて三つの段階で拡大していった陶寺遺跡がある。
はっきりとした社会階級の存在を示す証拠をもつ陶寺の町は、前2000年頃に、すべてが破壊され劇的に変貌する。
これを筆者たちは、政治的報復行為をともなう自覚的な社会革命であった可能性があるという。
今日読むはずの第九章は、メキシコ中部において起きた政治的都市革命について知ることができそうだ。
ことしは年明け早々、東西南北、時空をこえた旅が出来て、こいつは春から縁起がいいわい。

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けさは、昨夜のトマト仕立ての鶏鍋の残りで雑炊、うまかりし。

Commented by kogotokoubei at 2025-01-14 12:57
サンチの姿は、我が家のユウに重なってきます。
私には、「膝の上に乗せろ」、と要求しますが、カミさんだけの時は、ケージのマットで寝ているのです。
加えて、私のことは「吠えればエサをくれる人」と思わせてしまった(^^)
サンチも元気で長生きして欲しいです。
Commented by saheizi-inokori at 2025-01-14 13:01
> kogotokoubeiさん、私は吼えても餌をやりません。
そこがイマイチなのかな。
Commented by hibiscus2025 at 2025-01-14 19:02
奥様は別格ですね(^^)。サンチ
元気で1日でも長く一緒に過ごしたいですね。
Commented by unjaku at 2025-01-14 19:43
あれ・・エジプトに行ったのはいつだったっけ・!
もう忘れたわ。
ナイルの上流に暮らす民族は、やはり文字を持たなかったようです。
口承によって、文化や自分たちの歴史を伝えていったのですね。
ガイドのアデルが古代エジプト文化にも詳しい人で、
おまけに日本にいた時に、日本の文化を学んだ人でした。
美しい日本人の奥さんがいらっしゃいました。
アデルが言いました。
日本には口承文化はないのか?
アイヌにありました。でも、アイヌは同化政策によって、今では口承文化が
残っているかどうか不明です。と答えると、
おお・・アイノ(アイヌのことをそういう)、アイノのことは知っている。
アデルはガイドより、大学で教鞭をとったほうが似合う人でした。

何で、ガイドの仕事を選んだのかと聞くと、
少し考えて、このガイドの仕事が好きだったんだな。と教えてくれました。
優秀なガイドでした。
今彼はどうしているのかと、時々考えます。
Commented by saheizi-inokori at 2025-01-14 20:48
> hibiscus2025さん、一日一日が宝物、とは言え寝てくれるとホッとして外に出かけるのです。
Commented by saheizi-inokori at 2025-01-14 20:59
> unjakuさん、そう言われれば私もたつた一泊だった最初で最後のウイーンのガイドは大学教授でした。国家試験は難しいそうです。
かく申す私も学生時代、実入りのいいアルバイト先にガイドになろうと、会話学校に入ったのに、先生とケンカして3日でやめて大損した苦い思い出があります。
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by saheizi-inokori | 2025-01-14 12:27 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(6)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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