湯たんぽ
2025年 01月 13日
恥かしくなるような青空、靴下と下着を洗って、それだけではモッタイナクて、膝掛やパジャマなども洗った。
洗うのは簡単だけど、干すのがちょっと、工夫して上手に全部が公平に日ざしに当たるように干してやった。

(冬薔薇)
ひねれば温かい(少し時間はかかるけど)お湯がでる有難さを感じながら、子どもの頃の湯たんぽを思い出す。
毛布にくるんで蒲団のなかにおいてくれた、それがなんだか湿っぽい温かさで、湯が洩れたのかと心配したこともあるが、とても気持ちがよかった。
その湯を朝の洗顔に洗面器に注いでもらう。
冷え切った両手を浸すと、じーんとしびれて、やがてふんわりとほどけていくような感じがした。
温かいお湯で顔を洗うことがとても豊かな心地にしてくれた。
あの頃は、石鹸もつかわず、濡れた顔を拭くのもタオルではなく手拭い、保湿剤やクリームを塗るなんて想像外だった。
窓の外にはツララがさがってキラキラと光っていた。

第七章「自由の生態学 最初は跳躍し、ときにつまずき、ときに切り抜けながら、いかにして農耕は世界に広がっていったのか?」と第八章「想像の都市 メソポタミア、インダス川流域、ウクライナ、中国など、ユーラシア大陸に最初に誕生した都市民たちは、いかにして王のいない都市を建設したのか」を半分ほど。
筆者たちは、ジャレド・ダイアモンドなどが、環境状態に恵まれていたカリフオルニアで当初農耕が発達しなかったのを「到達(リーチ)しなかった」とか「伝わらなかった」と書いているのを、伝播主義として誤っているとする。
農耕は北アメリカのどこかに到達するやいなや、カリフォルニアにもすぐに「到達」したのであって、そこに住む人びとが、奴隷制度を拒絶したように農耕をきっぱりと拒絶したのだ。
農耕は、それまで狩猟採集民が目もくれなかったような、野生資源に乏しく人の住まない場所において営まれて、成功することもあり無惨な失敗をすることもあった。
農耕は、ほかに手立てがない場合にのみ考案された、つまり農耕民は文化的劣等生だった。

イエス・キリストが誕生した頃、すでに町や段々畑、モニュメントや道路が、ペルー高地からカリブ海まで続いていたアマゾニアにおけるがごとく、植物の栽培に精通した人々がいたにも拘わらず、農耕を経済の基盤としては選ばず、何千年にもわたって「遊戯農耕』を続けていた場所はとても多い(肥沃な三日月地帯、メキシコ、北アメリカ東部ウッドランドなど)。
ヨーロッパの最初期の農耕民が単一の食物網を中心にしていたこと、それは外部からの定期的な襲撃、労働力不足、土壌の疲弊、病、凶作などに、たがいに類似した共同体がつぎつぎと見舞われ、相互扶助の余地もないという弱点をもっていた。
1970年代、つまり僕が受験のための西洋史を勉強した10年後、ウクライナやモルドバの考古学者たちは、この地域の先史時代に、これまでみたこともないような古くて大きな人類の集落―メガサイトと呼ばれる―を発見した。
前4000年紀の前半から中盤にかけてのもので、メソポタミアの最古とされる都市よりも以前に存在し、もっと広い面積を占めている。
そして、そこには従来の学説/政治観念では、存在してしかるべき中央集権的な政府や行政、あるいは支配階級の存在を示すべき証拠はみられなかった。
大きな規模のものでは一万人を超える人びとは、小規模な園芸と家畜の飼育、果樹園の栽培、広範にわたる狩猟や採集活動を組み合わせて―壮大な「遊戯農耕」―その多様性と持続可能性には目を瞠るものがあった。
ダンバー数150人とは、進化心理学者のロビン・ダンバーが、人間の集団が150人を超えると、個々のメンバーが認知的に頭の中で把握できる安定した信頼関係が限度に達する(そのため、行政組織や権力者が必要とされ都市ができる)とされている。
メガサイトにおいては150人をはるかに超える人びとが、平等な関係を保っていたのだ。
すなわち、高度な平等主義的組織が都市規模で可能であることを裏づけている!
洗うのは簡単だけど、干すのがちょっと、工夫して上手に全部が公平に日ざしに当たるように干してやった。

ひねれば温かい(少し時間はかかるけど)お湯がでる有難さを感じながら、子どもの頃の湯たんぽを思い出す。
毛布にくるんで蒲団のなかにおいてくれた、それがなんだか湿っぽい温かさで、湯が洩れたのかと心配したこともあるが、とても気持ちがよかった。
その湯を朝の洗顔に洗面器に注いでもらう。
冷え切った両手を浸すと、じーんとしびれて、やがてふんわりとほどけていくような感じがした。
温かいお湯で顔を洗うことがとても豊かな心地にしてくれた。
あの頃は、石鹸もつかわず、濡れた顔を拭くのもタオルではなく手拭い、保湿剤やクリームを塗るなんて想像外だった。
窓の外にはツララがさがってキラキラと光っていた。

第七章「自由の生態学 最初は跳躍し、ときにつまずき、ときに切り抜けながら、いかにして農耕は世界に広がっていったのか?」と第八章「想像の都市 メソポタミア、インダス川流域、ウクライナ、中国など、ユーラシア大陸に最初に誕生した都市民たちは、いかにして王のいない都市を建設したのか」を半分ほど。
筆者たちは、ジャレド・ダイアモンドなどが、環境状態に恵まれていたカリフオルニアで当初農耕が発達しなかったのを「到達(リーチ)しなかった」とか「伝わらなかった」と書いているのを、伝播主義として誤っているとする。
農耕は北アメリカのどこかに到達するやいなや、カリフォルニアにもすぐに「到達」したのであって、そこに住む人びとが、奴隷制度を拒絶したように農耕をきっぱりと拒絶したのだ。
農耕は、それまで狩猟採集民が目もくれなかったような、野生資源に乏しく人の住まない場所において営まれて、成功することもあり無惨な失敗をすることもあった。
農耕は、ほかに手立てがない場合にのみ考案された、つまり農耕民は文化的劣等生だった。

イエス・キリストが誕生した頃、すでに町や段々畑、モニュメントや道路が、ペルー高地からカリブ海まで続いていたアマゾニアにおけるがごとく、植物の栽培に精通した人々がいたにも拘わらず、農耕を経済の基盤としては選ばず、何千年にもわたって「遊戯農耕』を続けていた場所はとても多い(肥沃な三日月地帯、メキシコ、北アメリカ東部ウッドランドなど)。
ヨーロッパの最初期の農耕民が単一の食物網を中心にしていたこと、それは外部からの定期的な襲撃、労働力不足、土壌の疲弊、病、凶作などに、たがいに類似した共同体がつぎつぎと見舞われ、相互扶助の余地もないという弱点をもっていた。
1970年代、つまり僕が受験のための西洋史を勉強した10年後、ウクライナやモルドバの考古学者たちは、この地域の先史時代に、これまでみたこともないような古くて大きな人類の集落―メガサイトと呼ばれる―を発見した。
前4000年紀の前半から中盤にかけてのもので、メソポタミアの最古とされる都市よりも以前に存在し、もっと広い面積を占めている。
そして、そこには従来の学説/政治観念では、存在してしかるべき中央集権的な政府や行政、あるいは支配階級の存在を示すべき証拠はみられなかった。
大きな規模のものでは一万人を超える人びとは、小規模な園芸と家畜の飼育、果樹園の栽培、広範にわたる狩猟や採集活動を組み合わせて―壮大な「遊戯農耕」―その多様性と持続可能性には目を瞠るものがあった。
ダンバー数150人とは、進化心理学者のロビン・ダンバーが、人間の集団が150人を超えると、個々のメンバーが認知的に頭の中で把握できる安定した信頼関係が限度に達する(そのため、行政組織や権力者が必要とされ都市ができる)とされている。
メガサイトにおいては150人をはるかに超える人びとが、平等な関係を保っていたのだ。
すなわち、高度な平等主義的組織が都市規模で可能であることを裏づけている!
こんにちは。
湯たんぽ愛好者です、w
だんだん冷めてくると、起きなくちゃいけなくなる。。
電気アンカは乾燥もしますし、そうそう、抱き抱えて栓を開けてぬるま湯で顔を洗えるのも至福の時間になります。
昨年は、湯たんぽを大事に抱き抱えるあまり、階段踏み外し骨折しましたけど〜
湯たんぽに罪はなし、今日も明日も湯たんぽ。旅にも小型を持って行きます。
湯たんぽだけのコメントで、ごめんなさい。。
湯たんぽ愛好者です、w
だんだん冷めてくると、起きなくちゃいけなくなる。。
電気アンカは乾燥もしますし、そうそう、抱き抱えて栓を開けてぬるま湯で顔を洗えるのも至福の時間になります。
昨年は、湯たんぽを大事に抱き抱えるあまり、階段踏み外し骨折しましたけど〜
湯たんぽに罪はなし、今日も明日も湯たんぽ。旅にも小型を持って行きます。
湯たんぽだけのコメントで、ごめんなさい。。
2
タイトルを無断でお借りします。今も毎晩、湯たんぽに世話になっています。
思い出すわ。湯たんぽ。
我が家の湯たんぽは陶器でできていて、母がたっぷりと湯を注ぎ、
兄弟で足を湯たんぽに競い合うようにくっつけて寝た。
朝は、ほんわかと暖かな湯で顔を洗い、学校へ行った。
毎日つららがぶら下がっている軒下を潜り抜けて、登校したものだ。
ああ・・私も古い人間になった。
そして毎日はお風呂へ入れなかったから、バケツに湯を注ぎ順番に足を洗って
寝たもんだったなぁ。古い家で隙間風がヒューヒュー入ってくる。
それでも、兄弟で身を寄せ合うように寝ていると、不思議に寒さは感じなかった。
我が家の湯たんぽは陶器でできていて、母がたっぷりと湯を注ぎ、
兄弟で足を湯たんぽに競い合うようにくっつけて寝た。
朝は、ほんわかと暖かな湯で顔を洗い、学校へ行った。
毎日つららがぶら下がっている軒下を潜り抜けて、登校したものだ。
ああ・・私も古い人間になった。
そして毎日はお風呂へ入れなかったから、バケツに湯を注ぎ順番に足を洗って
寝たもんだったなぁ。古い家で隙間風がヒューヒュー入ってくる。
それでも、兄弟で身を寄せ合うように寝ていると、不思議に寒さは感じなかった。
> marrone-marroneさん、ああ、それなのにそれなのに、アホなわ
> Solar18さん、インターナショナルに湯たんぽのシンクロニシティですね。
> unjakuさん、我が家はブリキだつたかな。
弟の布団と真ん中に置いたのかもしれません。
風呂は10日に一度くらい、銭湯に行きましたよ。
今、風呂に入らないと気持が悪いのはその反動かな。
寒いときは(寂しいときも)弟とレスリングで汗をかきました。しょっちゅうケンカになりましたよ。
弟の布団と真ん中に置いたのかもしれません。
風呂は10日に一度くらい、銭湯に行きましたよ。
今、風呂に入らないと気持が悪いのはその反動かな。
寒いときは(寂しいときも)弟とレスリングで汗をかきました。しょっちゅうケンカになりましたよ。
カリフォルニアは行けども行けども農地のようで農作物の収穫が
多いですが当初はそうではなかったのですね。
袱紗ですね。しかも村上製菓。金沢のお店をよく知っています。
優良企業で社会貢献もされている老舗です。
多いですが当初はそうではなかったのですね。
袱紗ですね。しかも村上製菓。金沢のお店をよく知っています。
優良企業で社会貢献もされている老舗です。
古代から前世紀までの為政者による戦争続き、(今も実際には中東、ウクライナなど大変なのですが)、
それに巻き込まれる人民もそうで、その他惨めな生活をしていた人が大部分だったと思い、そう感じました。
最後はいい時に生まれたとなってしまうのです。わけのわからないことを書いて失礼しました。
それに巻き込まれる人民もそうで、その他惨めな生活をしていた人が大部分だったと思い、そう感じました。
最後はいい時に生まれたとなってしまうのです。わけのわからないことを書いて失礼しました。
> tonaさん、なるほど分かりました。
そうかもしれません、そうでなくて日々に喜びや楽しみを見いだす人々も少なくはなかったかもしれませんね。
そうかもしれません、そうでなくて日々に喜びや楽しみを見いだす人々も少なくはなかったかもしれませんね。
by saheizi-inokori
| 2025-01-13 12:34
| 今週の1冊、又は2・3冊
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