鏡餅
2025年 01月 11日
鏡開き、もう我が家には鏡餅がないから思い出だけだ。
貧しくても鏡餅は飾った子どもの頃、餅はひび割れてカビがたくさん生えた。
ごしごしこすったりしても落ちないカビ、汁粉にするとほとんど気にならなかった。
汁粉はとても嬉しかったのだ。
ふつうの餅もカビだらけになって、水に漬けてふやかした、それでもアオカビ、赤カビは落ちない。
それを焼いて、晩飯にした。
ペニシリンはカビから作ったのだから、と言い合って。
砂糖醤油か黄な粉、海苔で巻いても食った。
自家製のポッサムキムチ、野沢菜漬け、そのほかにおかずはなかったような気がする、それでも家族三人で楽しく食べた。
食べ終わると合唱をしたり、正月気分の残りでゲーム、ダイヤモンドゲームやトランプ、百人一首などをした。

(きのう夕方歯医者への途中)
のし餅のほかにナマコ餅もついてもらって、これはおやつになった。
豆が入っているのをとくに好んだ。
ふつうの餅に飽いたりカビがひどくなると、小さく切って揚げてアラレにしてくれるのが楽しみだった。
年末に大きなリンゴ箱に買った国光をまいにち、もみ殻のなかに手を突っ込んで見つけては、丸ごと食べる。
お菓子なんてまいにち食う物じゃなかったな。
きのうの記事の狩猟採集民のように、「太って怠惰になる」心配は皆無だった。

第6章「アドニスの庭 不発の革命、すなわち、新石器時代の人びとはいかにして農業を回避したのか」を半分ほど読む。
ノートを取りながら読む、それとサンチが甘えて抱っこをせがむので、はかはいかない。
ゆっくり読む方が頭にしみこむけれど、図書館の貸与期限を守らなければならない。
アドニスの庭とは食物を生産することのない一種の祝祭的なスピード農耕を指している。
古代ギリシャの女性たちが、女性を愛する優しく若いアドニスを植物にして、女だけの儀式や悦楽にふけった。
国家の主催する堅苦しいテスモフォリア(豊饒の女神デメテルの秋祭り)へのアンチテーゼだったという説がある。
家父長制的価値観の騒々しい転覆とみなす研究者もいる。
農耕の起源は人口の増大に対応する食糧確保のためのまじめな企てだったのか。
それとも遊戯的ないし壊乱的な過程として始まったのか、あるいは、狩猟や交易に有利な場所に長く滞在したいという別の関心事の副次的効果として始まったのか。
重厚で実用的なテスモフォリアか、それとも遊戯的で放縦なアドニスの園か。

トルコ中央部にあるチャタルホユック遺跡、前7400年頃から1500年間にわたって約5000人が住んでいた遺跡は世界最古の町で、農耕革命の始まりの町とされてきた。
その通説は正しいのだろうか。
考古学の新しい発見が語られる。
筆者たちは、横道にそれて、新石器時代に「原始的母権制」が存在した可能性について踏み込む。
僕は知らなかったが、学問の世界では、初期の農耕共同体で女性が異例なほど重要な地位を占めていたことを示唆するだけでも非難を受けるのだそうだ。
アメリカでもっとも著名なフエミニストと目されていたマチルダ・ジョスリン・ゲージ(1826-98)や、フロイトの愛弟子だったアナキストのオットー・グロスなど原始的母権制を肯定した者は「科学的レイシズム」とほぼ同等の一種の知的犯罪者として扱われて、歴史から抹消されている。
一世紀も経ったのにいまだに、この問題がタブー視されているのは、リトアニア系アメリカ人の考古学者、マリヤ・ギンブタスの功績に対するバックラッシュからきているという。
彼女は、「古ヨーロッパ」とは、バルカン半島と地中海東部を中心に広がる新石器時代の定住集落であり、そこでは男性も女性も平等に扱われ、富と地位の格差もはっきりと制約されており、前7000年から前3500年まで本質的に平和裡に存続した、という。
その「古ヨーロッパ」は、前3000年紀にバルカン半島と黒海の北に位置するポントス草原を起源とする家畜を飼う集団、「クルガン」の民の集団移動によって壊滅的な終わりを迎える。
クルガンは古ヨーロッパの共同体主義的な価値観に反した特徴を持ち、貴族的かつ「男性支配的」で、きわめて好戦的だった。
インド・ヨーロッパ語族の西方への伝播、女性の根本的従属に基礎をおく新種の社会の形成、支配カーストへの戦士の昇格は、彼らによってもたらされた(「古ヨーロッパの女神と男神」1982)。
1990年代になると、彼女の発想の多くが、エコフエミニストやニューエイジ宗教、多くの社会運動にとってのいわば趣意書となって、哲学的なものから荒唐無稽なものまでに、数多くの一般書に影響を与える。
彼女は、やがて、学術界の想像しうるあらゆる罪でもって非難されるようになった。
精神分析によってすら侮辱をうける。
僕が彼女のことについて長々と書いてきたのは、彼女の受難に対する筆者たちの怒りに共鳴したからだ。
そこを引く。
これから、この赤字の話を楽しみに読むのだ。
貧しくても鏡餅は飾った子どもの頃、餅はひび割れてカビがたくさん生えた。
ごしごしこすったりしても落ちないカビ、汁粉にするとほとんど気にならなかった。
汁粉はとても嬉しかったのだ。
ふつうの餅もカビだらけになって、水に漬けてふやかした、それでもアオカビ、赤カビは落ちない。
それを焼いて、晩飯にした。
ペニシリンはカビから作ったのだから、と言い合って。
砂糖醤油か黄な粉、海苔で巻いても食った。
自家製のポッサムキムチ、野沢菜漬け、そのほかにおかずはなかったような気がする、それでも家族三人で楽しく食べた。
食べ終わると合唱をしたり、正月気分の残りでゲーム、ダイヤモンドゲームやトランプ、百人一首などをした。

のし餅のほかにナマコ餅もついてもらって、これはおやつになった。
豆が入っているのをとくに好んだ。
ふつうの餅に飽いたりカビがひどくなると、小さく切って揚げてアラレにしてくれるのが楽しみだった。
年末に大きなリンゴ箱に買った国光をまいにち、もみ殻のなかに手を突っ込んで見つけては、丸ごと食べる。
お菓子なんてまいにち食う物じゃなかったな。
きのうの記事の狩猟採集民のように、「太って怠惰になる」心配は皆無だった。

第6章「アドニスの庭 不発の革命、すなわち、新石器時代の人びとはいかにして農業を回避したのか」を半分ほど読む。
ノートを取りながら読む、それとサンチが甘えて抱っこをせがむので、はかはいかない。
ゆっくり読む方が頭にしみこむけれど、図書館の貸与期限を守らなければならない。
アドニスの庭とは食物を生産することのない一種の祝祭的なスピード農耕を指している。
古代ギリシャの女性たちが、女性を愛する優しく若いアドニスを植物にして、女だけの儀式や悦楽にふけった。
国家の主催する堅苦しいテスモフォリア(豊饒の女神デメテルの秋祭り)へのアンチテーゼだったという説がある。
家父長制的価値観の騒々しい転覆とみなす研究者もいる。
農耕の起源は人口の増大に対応する食糧確保のためのまじめな企てだったのか。
それとも遊戯的ないし壊乱的な過程として始まったのか、あるいは、狩猟や交易に有利な場所に長く滞在したいという別の関心事の副次的効果として始まったのか。
重厚で実用的なテスモフォリアか、それとも遊戯的で放縦なアドニスの園か。

トルコ中央部にあるチャタルホユック遺跡、前7400年頃から1500年間にわたって約5000人が住んでいた遺跡は世界最古の町で、農耕革命の始まりの町とされてきた。
その通説は正しいのだろうか。
考古学の新しい発見が語られる。
筆者たちは、横道にそれて、新石器時代に「原始的母権制」が存在した可能性について踏み込む。
僕は知らなかったが、学問の世界では、初期の農耕共同体で女性が異例なほど重要な地位を占めていたことを示唆するだけでも非難を受けるのだそうだ。
アメリカでもっとも著名なフエミニストと目されていたマチルダ・ジョスリン・ゲージ(1826-98)や、フロイトの愛弟子だったアナキストのオットー・グロスなど原始的母権制を肯定した者は「科学的レイシズム」とほぼ同等の一種の知的犯罪者として扱われて、歴史から抹消されている。
一世紀も経ったのにいまだに、この問題がタブー視されているのは、リトアニア系アメリカ人の考古学者、マリヤ・ギンブタスの功績に対するバックラッシュからきているという。
彼女は、「古ヨーロッパ」とは、バルカン半島と地中海東部を中心に広がる新石器時代の定住集落であり、そこでは男性も女性も平等に扱われ、富と地位の格差もはっきりと制約されており、前7000年から前3500年まで本質的に平和裡に存続した、という。
その「古ヨーロッパ」は、前3000年紀にバルカン半島と黒海の北に位置するポントス草原を起源とする家畜を飼う集団、「クルガン」の民の集団移動によって壊滅的な終わりを迎える。
クルガンは古ヨーロッパの共同体主義的な価値観に反した特徴を持ち、貴族的かつ「男性支配的」で、きわめて好戦的だった。
インド・ヨーロッパ語族の西方への伝播、女性の根本的従属に基礎をおく新種の社会の形成、支配カーストへの戦士の昇格は、彼らによってもたらされた(「古ヨーロッパの女神と男神」1982)。
1990年代になると、彼女の発想の多くが、エコフエミニストやニューエイジ宗教、多くの社会運動にとってのいわば趣意書となって、哲学的なものから荒唐無稽なものまでに、数多くの一般書に影響を与える。
彼女は、やがて、学術界の想像しうるあらゆる罪でもって非難されるようになった。
精神分析によってすら侮辱をうける。
僕が彼女のことについて長々と書いてきたのは、彼女の受難に対する筆者たちの怒りに共鳴したからだ。
そこを引く。
ギンタブスの議論はある種の神話創作であり、それが彼女の研究が学術世界から一掃された理由でもある。しかし、男性の学者が同じような神話づくりをしたばあい―みてきたように、かれらはひんぱんにそうしてきているわけだが―、かれらは批判されないばかりか、権威ある文学賞を受賞したり、その名を冠した記念講演会が開かれたりするものだ。ほとんどまちがいなく、ギンタブスは、わたしたちのような男性の書き手によって完全に支配されてきた(そしていまなおそうである)大きな物語(グランド・ナラテイブ)のジャンルに介入し、かなり意識的にそれを転覆したとみることができよう。しかし、彼女に与えられたのは、文学賞でもなければ、名誉ある考古学者という評価でもなかった。そのかわりに、彼女がえたものは、死後のほぼ全面的な誹謗中傷であり、さらに悪いことには軽蔑であった。すくなくとも、ごく最近までは。赤字にしたのは僕だ。
これから、この赤字の話を楽しみに読むのだ。
国光!!
うわ~懐かしい!
私も子供の頃食べていました。
存在すら忘れていました。
うわ~懐かしい!
私も子供の頃食べていました。
存在すら忘れていました。
1
> i-shoku-jyuさん、鳴子、紅玉、国光、葡萄はタネありのデラウェアか本ブドウ、懐かしいですね。
モーパッサン短編集Ⅱの中に「ポールの恋人」というのがあって、レズビアンを題材にしてます。
どれを取っても、翻訳者の青柳瑞穂曰く「生活そのもののような生々しい体臭がふんぷんとしていて」なんですね。
モーパッサンをもってしても、アメリカのフォークナーやヘミングウェイに比べれば「やっぱりおフランスかなあ」の気取りはあるけど。
良い悪いではなくてね。
公民館に吉村昭「桜田門外の変」があったんで、少し読みました。
いつものきっちり取材して資料読みこんだ結晶。
いきなり門閥派の兄弟が囚われて、籠で連行される緊迫した場面から。
誰が主役か分からないけど…凋落した徳川吉宗と勢いのある井伊直弼かな?
あと下級武士?の鉄之介。
吉村昭原作映画が公開中ですね。松坂桃李、人気俳優ですから、彼自身やファンが吉村に興味持ってくれると良いな。
どれを取っても、翻訳者の青柳瑞穂曰く「生活そのもののような生々しい体臭がふんぷんとしていて」なんですね。
モーパッサンをもってしても、アメリカのフォークナーやヘミングウェイに比べれば「やっぱりおフランスかなあ」の気取りはあるけど。
良い悪いではなくてね。
公民館に吉村昭「桜田門外の変」があったんで、少し読みました。
いつものきっちり取材して資料読みこんだ結晶。
いきなり門閥派の兄弟が囚われて、籠で連行される緊迫した場面から。
誰が主役か分からないけど…凋落した徳川吉宗と勢いのある井伊直弼かな?
あと下級武士?の鉄之介。
吉村昭原作映画が公開中ですね。松坂桃李、人気俳優ですから、彼自身やファンが吉村に興味持ってくれると良いな。
何にでも「最初の人」がいた、急にそんなことが頭に浮かびました。
雑草を始めて食べて安全を証明した人間、穀物を食べてお腹が膨れることを知り農耕に進んだ人間、餅に生えたカビを食べてみた人間・・・。
遥か遥か昔の名もない人間たちにとっては命がけだったんでしょう。
始めて原爆を作れば永久に名を残せるのに、人類に恩恵を与えた人間は永久に名無し。
雑草を始めて食べて安全を証明した人間、穀物を食べてお腹が膨れることを知り農耕に進んだ人間、餅に生えたカビを食べてみた人間・・・。
遥か遥か昔の名もない人間たちにとっては命がけだったんでしょう。
始めて原爆を作れば永久に名を残せるのに、人類に恩恵を与えた人間は永久に名無し。
> ebloさん、本書は、その初めての人歴史観に否定的に見えます。狩猟採集民は、ある意味ではみんな一斉に雑草雑穀を食べたのじゃないかな。
栽培化家畜化はやってみたりやめてみたりしながら3千年かけて完了したというのです。
栽培化家畜化はやってみたりやめてみたりしながら3千年かけて完了したというのです。

つまらないレベルの低い話ですが、会社の独身寮にいた大昔のことが蘇りました。
家から持ち帰った切り餅がカビてしまいました。貧しかったからもったいなかったんですね。
それを洗濯機で洗ったら、ピッカピカになりました。大発見で自分でも驚き、みんなに教えてあげました。
今そんなことをしたら怒られますね。
家から持ち帰った切り餅がカビてしまいました。貧しかったからもったいなかったんですね。
それを洗濯機で洗ったら、ピッカピカになりました。大発見で自分でも驚き、みんなに教えてあげました。
今そんなことをしたら怒られますね。
> Tadachikaさん、そうでしたか、びっくり!あの頃の自分に教えてやりたい、でも洗濯機も水道もない家でした^^。

遅いコメントになり、失礼。
福田和也『甘美な人生』に折口信夫に関する文章があります。
「正月の鏡餅は、生き御魂が訪れる神体であるし、餅である」
折口は内在的な自己同一性を否定し、一切のものを神々や魂の来訪と出発の根源であると考えている・・・
成る程と感じ入りました。
福田和也『甘美な人生』に折口信夫に関する文章があります。
「正月の鏡餅は、生き御魂が訪れる神体であるし、餅である」
折口は内在的な自己同一性を否定し、一切のものを神々や魂の来訪と出発の根源であると考えている・・・
成る程と感じ入りました。
> 福さん、なるほど、それを神と観念するもしくは体感するのですね。
by saheizi-inokori
| 2025-01-11 13:10
| 今週の1冊、又は2・3冊
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Comments(14)