氷雨行
2025年 01月 07日
氷雨というのだろう、冷たい雨の中を散歩にでた。








きのうも「万物の黎明」を少し読めた。
年末年始はカタツムリの歩みだ。
「未開人」は純朴で無知、こういうステロタイプの考え方はルソーの「人間不平等起源論」が普及した誤った考えだ。
前五万年から前一万五千年頃、後期旧石器時代の人類は「保険数理的知性」―もしそうしなかったら自分たちの社会がどうなるか―を働かせて、たとえば、腕のいい猟師が組織的にけなされていなかったら、あるいは象の肉が(実際に獣を殺した人間ではなく)無作為に選ばれた人間によって集団に分配されていなかったら、この社会はどうなるのか、を理解していた。
周期的な生活パターンを持った人々は、農耕をする時期に、「仮の」権力者と彼のために壮大な宮殿を設けて、狩猟の時期になると、権力者を殺したり宮殿を破壊するような民族も少なからず存在した。
その間だけ、急に物質的欲望の虚しさを説く現代のクリスマスや庶民が権力者の仮面を被って騒ぐ祭などに、そうした記憶が残されている。
そうしたカーニヴァルを楽しむ中世の農民は、中世の知識人よりもはるかにたやすく平等な人間による社会を想像することができた。
こうした考古学的・人類学的発見が、今まで僕たちに刷り込まれた、人類の「進歩」、狩猟生活→農耕生活→都市の形成にともなって権力者が登場して不平等が発生した、という考え方が間違っていることを教える。
僕たちの祖先のさまざまを知ることはワクワクする。
人間は、歴史の始まりから、なにをなすべきか命令されることを嫌うという自己意識はもっていたようにみえる。
ゴンチチの番組に出てきた曲。
「てやんでえ、べらぼうめ、やんけ」、河内のおっさんが江戸弁を真似る。
テレビドラマ「べらぼう」、面白そうだね。
すっかりご無沙汰の落語、「二階ぞめき」「お直し」「百川」、、いろいろ思い出させる。

(徳島・茜庵 きなりとましろ)
乾燥続きの東京には恵みの雨、豪雪に苦しむ青森などの皆さんには申し訳ないけれど。

雫の美しさに見とれてしまう。
水を得た桜並木が薄暮にも生き生きとしてみえる。
なんだか薄い桜色が透けて見えるようだ。


小沢一郎の大邸宅の脇を歩くと、こんな維持するだけでも厖大な経費や人手のかかる家屋敷を持つ政治家は、いくら国民の生活第一などと言っても、信用する気にはなれないと思う。

誰が供えたのだろう。

子供食堂もやつてる学習塾のポスターが変わっていた。

たまに行くカフェ、さすがに空いているようだ。
イアフォンで土曜日の朝のゴンチチ番組再放送を聞きながら歩く。
4日もこれを聞きながら初大掃除をやつたのだが、ベランダやトイレにいるときは聞こえなかつたから、初めて聞くことも多い。
手作りの音楽という言い方についてミカミさんが、「癖きつい」ような言い方で「好かない、ほんとにいい曲は、そんなことをわざわざ言わなくても、みんな手作りじゃないか」、ふ~ん面白いことをいうなあ。
ミカミさんは、またある曲について、「美しい和音を続けても、最後どこかで、美しくない音を出さないと終わらないのが音楽なのだが、この曲は最後まで美しい和音でやれたというのが素晴らしい」と評価する、それにも、ふ~ん、そんなものなのかと、面白い。

たまには古道具、ビンテージの店にも入ってみる。アンティークまではないけれど。

最後はスーパー・ストアに、白菜を買う。
4分の1カット、198円(税抜き)をアレコレ見比べ、迷うことしばし。
担当者が商品を足しながら、「きようは白菜が出るなあ、これで四回目」、寒い晩に鍋は一番だね、我が家も鶏鍋、さあ、帰ろ。
きのうも「万物の黎明」を少し読めた。
年末年始はカタツムリの歩みだ。
「未開人」は純朴で無知、こういうステロタイプの考え方はルソーの「人間不平等起源論」が普及した誤った考えだ。
前五万年から前一万五千年頃、後期旧石器時代の人類は「保険数理的知性」―もしそうしなかったら自分たちの社会がどうなるか―を働かせて、たとえば、腕のいい猟師が組織的にけなされていなかったら、あるいは象の肉が(実際に獣を殺した人間ではなく)無作為に選ばれた人間によって集団に分配されていなかったら、この社会はどうなるのか、を理解していた。
周期的な生活パターンを持った人々は、農耕をする時期に、「仮の」権力者と彼のために壮大な宮殿を設けて、狩猟の時期になると、権力者を殺したり宮殿を破壊するような民族も少なからず存在した。
その間だけ、急に物質的欲望の虚しさを説く現代のクリスマスや庶民が権力者の仮面を被って騒ぐ祭などに、そうした記憶が残されている。
そうしたカーニヴァルを楽しむ中世の農民は、中世の知識人よりもはるかにたやすく平等な人間による社会を想像することができた。
こうした考古学的・人類学的発見が、今まで僕たちに刷り込まれた、人類の「進歩」、狩猟生活→農耕生活→都市の形成にともなって権力者が登場して不平等が発生した、という考え方が間違っていることを教える。
僕たちの祖先のさまざまを知ることはワクワクする。
人間は、歴史の始まりから、なにをなすべきか命令されることを嫌うという自己意識はもっていたようにみえる。
もしそうだとすれば、当初の問い(人間の不平等の起源はいつか)をすくなくとも磨き上げることはできるはずだ。すなわち、本当に謎であるのは、首長や王、あるいは王妃がいつ登場したかではない。彼らを笑い飛ばすことができなくなったのはいつなのか、なのだ。
ゴンチチの番組に出てきた曲。
「てやんでえ、べらぼうめ、やんけ」、河内のおっさんが江戸弁を真似る。
テレビドラマ「べらぼう」、面白そうだね。
すっかりご無沙汰の落語、「二階ぞめき」「お直し」「百川」、、いろいろ思い出させる。

雨上がりましたね。私も今日は、もつ鍋の予定(^^)。鍋は安くてあったまって健康にも良い!ですね。べらぼう、楽しみです。
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> hibiscus2025さん、洗濯物を外に出しました。鍋は翌朝雑炊にしてダブルで楽しみます。
今日もまた美味しそうなお菓子と可愛いお皿ですね
昨晩、鍋は普通の鶏でしたが きりたんぽ が有るとかで、ささがきごぼうの入った きりたんぽ鍋もどきでした。
満腹であったまって満足しました。
満腹であったまって満足しました。
by saheizi-inokori
| 2025-01-07 11:05
| よしなしごと
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