宗教ゼロ状態

夢は毎晩見ないということはないが、けさのようにリアルな夢は珍しかった。
込み入ったストーリーだが、それなりに辻褄があっていて、しかし現実にはなかったことだしあり得ないことだ。
面白いからブログに書こうと思っていたが、トイレに行ったら小便といっしょに流れていってしまった。
たいてい「うまくいかない」夢が多いのだが、すべてがうまくいっていたのだから、流してしまうのが惜しい気持がする。
昨夜もそうだったが、亡くなった人が登場する夢も多くなった。

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ルンバのドック入りが長びいているので毎朝のダイソンでの掃除が続く、この間は右腕がつってひどかったけれど、もうそういうことはないのは鍛えられたからか。

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掃除がすんで、思い立ってキッチンの流しをピカにした。
ピカピカにしたかったけれど、経年(流しと僕の)のせいもあってピカにしかならない。

そのあと、あまりに天気がいいので、ストレッチにしくタオルマットなどの洗濯もした。
いつものように洗面所とトイレも磨いて、外は青空、好い気持、朝飯もうまい。

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トッドの「西洋の敗北」、あと少しで読了。
ヨーロッパ、アメリカがなぜダメになったかの話の語り口は分かりやすく(過ぎるけど)て、講談を読むように面白い。
しかし、その指摘が日本にも当てはまることを考えると暗い気持にもなる。

トッドの分析モデルの中心にあるのは、宗教、とくにその崩壊だ。
18世紀から20世紀にかけてキリスト教がまるでプレートが剝がれるように崩壊していく中で、その代替物として、フランスでは、急進社会主義、社会主義、共産主義、ド・ゴール主義の原型になり、イギリスでは、労働党と保守党の原型になり、ドイツでは、社会民主主義、ナチズム、キリスト教民主同盟の原型になり、アメリカでは、プロテスタンティズムが人種的感情と相互に影響し合いながら社会生活の基盤となった。
これらの、諸々の政治イデオロギーの形を取った集団的信仰が、個人を組織化し、構造化する。

宗教の崩壊は段階を踏む。
第一の段階を、トッドは「宗教のゾンビ状態」と呼ぶ。
宗教的実践と宗教的統率の弱体化(ex・ミサへの出席率と新任聖職者の減少)は、世俗化の第一段階では、宗教は消滅するけれど、その宗教の習慣と価値の本質的部分は存続(とくに集団として行動する能力)する。
集団的信仰は、人々がともに行動するために共有する考え方というだけにとどまらず、他人に認められた道徳律を個人に教えこむことで、個人を変化させて、「超自我=理想の自我」あるいは「良心(他者の尊重)」をもつ「個人」を形成する。

宗教崩壊の最後の段階は「宗教のゼロ状態」で、国民国家が解体され、グローバル化が勝利するのはこの時だ。
代替となるいかなる集団的信仰も失った個人(アトム)からなる宗教の絶対的虚無状態である。
個人は解放されるのではなく、虚無によって矮小化する。
「虚無」は、反動としていろんなものを生み出すが、もっとも月並みなのは、「無」をあがめるニヒリズムである。
ニヒリズムはヨーロッパやアメリカに偏在し、個人主義的核家族型の人類学システムであるフランス、とくにイギリスとアメリカ(家族的枠組みの残滓すらない)において、最も完成した形である。

西洋がなぜロシアに敗北するのか?
なぜ西洋は世界で孤立したのか?
なぜ今もなお、アメリカやイギリスはウクライナに長距離ミサイルの使用を許すような馬鹿げたことを強行するのか?
いろんな疑問に対する答えの根っこには、西洋が宗教的ゼロ状態―ニヒリズムに陥ったことがあるように、思われる。

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(仙太郎 薯蕷 すっ栗)

Commented by urontei at 2024-11-22 12:45
「無」をあがめるニヒリズム・・・
それが「もっとも月並み」であるということも含めて、ものすごく腑に落ちます。
Commented by eblo at 2024-11-22 13:42
随分前に故人の夢について書かれているのを読みました。
亡くなってすぐは脳が刺激を受けているのであまり夢には出てこない。
それを忘れる頃になると、忘れてはいけないという潜在意識が働いて夢になる。
当たっているかどうかは知りませんが。
故人の「もう忘れてもいいよ」という合図かもしれないと思っています。
Commented by saheizi-inokori at 2024-11-22 15:27
> uronteiさん、アメリカのイスラエルに対する非道なサポートもニヒリズムの現れと考えれば腑に落ちる、でも許せませんね。
Commented by saheizi-inokori at 2024-11-22 15:30
> ebloさん、なるほど。
でも私は毎朝仏壇に手を合わせ瞑目して故人たちの顔を順番に思い浮かべます。
その人たちも夢に出てくるのですよ。
Commented by tanatali3 at 2024-11-22 18:30
米国ではミサへの出席率の低下はベビーブーマー世代からかもしれません。義両親を毎日曜日教会へ連れていったものですが、我らの年代は近所で行く人が少なくなりました。ブロンクス地区の北部、黒人のミドルクラス家族は、日曜日スーツ姿で出かける姿を見たことがあります。それと、ブロンクス南部の教会のミサのゴスペルは独特です。ウエストチェスターのユダヤ人地区は、やはり正装して家族で出かけますが、宗教上・週末の車利用は禁止のため、みなさん徒歩。私達の住む1万3千人程度の町に教会は4つ、市が建国されて4百年弱、20世紀初頭、宅地開発され、100年を経てミサへ出かける人々は減少傾向なのでしょう。それでもクリスマスやイースター時は駐車場が満杯になります。同様に、中西部・南部の教会もクリスマス時期や日曜日のミサは駐車場は満杯でした。義母のおかげで各地の教会を訪れました。
南部の礼拝の儀式はなかなか、オペラ歌手の讃美歌や神父の説教も力強いものでした。
Commented by saheizi-inokori at 2024-11-22 18:52
> tanatali3さん、地域によってさまざまなのですね。
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by saheizi-inokori | 2024-11-22 12:13 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(6)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori