新しい魔女に幸あれ

きのうの夕方の散歩は、北風が冷たくて、パーカーのフードを被って紐をぎゆっとしめて歩いた。

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灯りがついたお店に目がいく。

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暗くなってもママと遊んでいたい子供たち。

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三日月が見守る、谷内六郎の世界。

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一昨日、行った池尻のタイマッサージの店はよかったな。
いぜん急な土砂降りの雨を避けて飛び込んだのもこの店。
やさしい女店員が、乾いたタオルを持って来ていたわってくれた。
マッサージにかかったことはないのだけれど、独特のお粥を食べに寄ったことはなんどかある。
腹の具合がちょっと悪くていつものような、重いものは食欲が湧かないので、なにを食おうかと思ったときに、あ、あそこがある、と思いついたのだった。

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いつものように道に面したスペースで、パンプキンの粥を食い終わって、もう今日はここでゆっくりしたくなって、男の店員にそういうと、「どうぞどうぞ、ごゆっくりしてください、そこは寒くはないですか」という。
マッサージの客たちに遠慮して入らなかった、奥の広いスペースに導いてくれる。
ジャムウ、インドネシアの民間健康薬草、ウコン、ショウガ、シナモン、レモングラス、タマリンドをミルクで煮だしたという、ちょっと苦みのある茶を飲みながら、「魔女とキリスト教」を読みふけった。
お香の香りとタイの音楽が流れて、つぎつぎに女性客が訪れて、ランチを食べていく。
しばらくすると、ジャスミン茶を「どうぞ」と持って来てくれるし、レモンの香りのする水も、頼まなくてもやってきては注いでくれる。
そのつど、ありがとう、いったいなんどありがとうと言っただろうか。

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お粥が利いたか、ジャムウが良かったか、それともありがとうを沢山言ったせいか、体調もよくなったので、900円払って、世田谷公園から駒沢通りまで歩いて、五本木からバスで帰った。

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「魔女とキリスト教」(上山安敏)を読み終えた。
パンを買ったあと、行くつもりもなかった九品仏まで足を延ばして、入るつもりもなかった古本屋によって、そんなつもりもなかったのに、埃だらけ(に見える)書棚に手を延ばして、目次の「魔女の二類型」とか「ユダヤ人迫害と魔女狩り」などの言葉や、パラパラめくって目に入る魔女の絵などに惹かれて、レジでうつむいてアイパッドに見入っていたオジサンに、値を尋ねると「500円ってとこですね」、じゃあください。
そんな本が、こんなにも、知的スリルに満ちて、読書の楽しみを味あわせてくれるとは!

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著者は1925年生まれ、京都大学法学部卒、京都大学名誉教授、「ドイツ近・現代史の法と国家の分析、社会科学とその制度化の問題を研究する一方、深層心理学や神話学、文化人類学の分野にも広く関心を向け、新しいヨーロッパ像の創出をめざす」と奥付(1993年初版)にある。

ベネディクトの「菊と刀」が、日本人とヨーロッパ人の倫理観の違いを「恥の文化」と「罪の文化」という対比で定型化したことに異論を唱えて、「恥の文化」はヨーロッパ人の倫理観の底にも流れているのではないか、異教として退けられた信仰が、キリスト教という外皮の内側で生命を保っている、という。
父性宗教と母性宗教、ヤハウェーモーセ宗教と自然宗教の対立が、ユダヤ人の宗教の構造である。旧約聖書は、倫理性の高いモーセー予言者の合理的宗教と、魔術性、呪術性を強く帯びたオリエント宗教との熾烈な闘いの書と読み替えることができる。
イスラエルが傑出した高い倫理宗教をつくりだした背景には、民族の独立のために、バビロン、フェニキアのような近隣諸国に支配的な母性宗教と対峙しなければならない政治的状況があった。戦争への恐怖ともいえる緊張関係が高度な倫理を生んだと考えられる。
こうして理性的倫理的宗教が支配的になると、民衆の中で信仰の対象であった土俗の神々は、「魔女」におとしめられる。けれどもおとしめられた異教の神々は、その後の歴史の中で消えることはなく、現代人の心の深層に生き続けている。たとえば、フロイトは、魔女はヒステリー患者として生きている、と見た。中世の異端審問官が「魔女」に自白を迫るのは、現代の精神医が患者を前にして外傷(トラウマ)を聞き出すのと同じだというのである。私はそのことを絶えず反芻しながらこの書を書き続けた。

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アダムの前妻リリトは旧約「イザヤ書」では魔女として現れる。
しかし、それを遺したのは男の編集者たちだ、男性優位の視点から都合の悪い部分はカットした。

民間伝承ではリリトを鬼子母神のように、人さらい、人食いの面と出産の保護神という両義性をもっている。
リリトは、アダムへの不服従の罪として、子供殺しの魔女にされたと、ドイツのゲルダ・ヴァイラーはいう。
現代のフェミニズム運動に携わる人たちは、聖書のなかに埋もれていた男女平等の記憶を掘り起そうとしている。
古代以来苛酷な迫害を受けてきた魔女は、こうして「新しい魔女」として蘇った。

「こうして」の中味を解き明かすところが、スリリングなのだ。

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(岡野栄泉 栗むし羊羹 なんとも濃厚、うまいな)

Commented by tanatali3 at 2024-11-08 20:55
魔女の名をかりた異教徒(母性宗教など)の弾圧でしたか。男尊女卑はイスラム教や論語などにも通底しませんか?
Commented by saheizi-inokori at 2024-11-08 21:25
> tanatali3さん、異教徒の弾圧ですが、魔女の実在を信じていたのですね。
初期は農村で始まり、やがて都市部のエリートたちも糾弾されるようにもなる、その頃は名を借りて敵を抹殺することもあったようです。
確かにイスラム教や論語にも通底するのかもしれませんね。
Commented by stefanlily at 2024-11-12 02:30
またまた面白い本に出会ったのですね。
久しぶりにモーパッサン「女の一生」読んだのですが。
教区の村の若い男女のヤラカシにも、理解のある老司祭と後任の若い潔癖な司祭の対比が見事です。
主人公家族に与える影響が小さくはないんですね。
これが、師匠のフローベールはそうでもないのが。
医療の知識があるからかなあ。
スタンダール「赤と黒」もジュリアンが聖職者を目指しているから、宗教に係わる描写がかなりの比率。
 ハローウィンは日本でもかなり浸透してるけど、イースターはサッパリ、ですよね。
 パンプキンの粥とは珍しい。日本のカボチャはsquashなんだそうで。
レモングラス入りの緑茶と飴が佐賀の武雄で名産です。
今度行く機会あるかなー
Commented by saheizi-inokori at 2024-11-12 10:03
> stefanlilyさん、ジュリアンソレル、高校のときに読みました。
面白かったという記憶だけ、読み返すべきか、。
モーパッサンは短篇をいくつか、これも覚えていないな。

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by saheizi-inokori | 2024-11-08 13:21 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(4)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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