マリアの作られ方
2024年 11月 06日
きのうの歯科医では歯根管の根っこの炎症の消毒と、欠けた義歯の修理。
やっと半分読んだ。
僕は学生時代にキリスト教同志会という寮に入っていた(3,4年)。
毎朝6時に寮のちいさなチャペルで礼拝すること、金曜日の夜は先輩やチャプレンに臨席してもらって、説教を聞いて礼拝をすること、日曜日はどこでもいいから教会に礼拝にいくこと。
この三つが義務付けられいて、僕は早禱をよくさぼったほかは、あとの二つはだいたい守った。
その何れでも、聖書の一節が読み上げられたから、聖書に縁がなかったわけではない。
それでも、白状するけれど、新約も旧約もきちんと読みとおしたことがない。
本書で初めて同じ新約なり旧約なりにしても、そこに説かれるキリストの教えは、伝える人によって異なり、時代の変遷によって変化しているということを知った。
パウロと洗礼者ヨハネの間にマリアの評価をめぐって対立があったことなど知らなかった。
聖書が成立したのち、時代によって、キリスト教の解釈が変化していったことは知っていたけれど。
新約聖書はマリアについて、あまり語っていない。
パウロもマルコも、イエスが処女マリアから誕生したことを知らないのだ。
後に書かれた「ルカによる福音書」で、かの有名なベツレヘムにおけるイエスの誕生という叙述があって、これがマリア崇拝の根拠になった。
マリア信仰は、地中海沿岸の太母神信仰や処女童子の信仰にキリスト教が妥協したもので、大衆の宗教観そのものであった異教がキリスト教に浸透して、キリスト教を多神教の宗教に変えたものともいえる。
325年のニカイア公会議で、神とキリストは一体であることが決定されたために、イエスの母を正当化する必要もあった。
431年のエフェソス公会議で、マリアはキリストの母であるのみならず、神の母でもあると決定された。
この決着の背後で、巨大な買収工作が行われたそうだ。
旧約聖書に出てくるイヴは、マリアとの対照が際立たされて、女性一般に対する蔑視がイヴに投影されていき、それとは逆にマリア像が聖化されていった。
「アヴェ・マリア(AveMaria)=マリアに幸あれ」の中で「イヴ・Eva」が倒置されて、反イヴの意味があるという。
司祭への男女平等参加を実現したヴァルド派やカタリ派は、マリア崇拝を認めず、男性優位のローマ教会からは異端とされる。
教会は聖別された清純な女性像をつくる一方で、サタンに仕える背徳の魔女を用意したのだ。
女性は処女と魔女に分裂したのだ。
それは霊肉二元論に対応して、肉体は常に悪く、此岸的=自然的原理を、魂は常に善く、彼岸的=精神的原理を体現した。
これぞアナログ、芸術的ともいえる手仕事だ。
寝る間も休む間も惜しむ、補綴に人生をかけている先生に感謝する。
毎日いろんな方のブログにお邪魔していて、季節季節で柿仕事や梅仕事や栗仕事など、めんどうなことをおやりになっているのに感服することが多い。
僕は糠味噌をやっていたけれど、いつの間にかやめてしまったな。
この季節、思い出すのは子供の頃、母が近所のおばさんたちと一緒にやつていた沢庵づけ、野沢菜づけ、キムチづけのことだ(まいとし全部を漬けるのではなかったけれど)。
平日は会社勤めだつたから日曜日(土曜日も会社)の天気の良い日、おばさんたちもそれに付き合ってくれたのだろう。
長靴を履いて、ホースで引いた水をざあざあ流して、大根や野沢菜や白菜を洗って干す。
共同作業はそこまでだつたのかな。
おばさんたちは賑やかにくっちやべり、笑い声が絶えなかった。
いつもいつもということではなかったかもしれない。
楽しいイベントとしてやつていたのかもしれない。
プラスティックの食器に絵づけをする内職もみんなでワイワイやつていた。
手作りの紙粘土で指人形を作って遊んだりもしていた。
懐かしいなあ。
豊かな貧乏の時代だった。やっと半分読んだ。
僕は学生時代にキリスト教同志会という寮に入っていた(3,4年)。
毎朝6時に寮のちいさなチャペルで礼拝すること、金曜日の夜は先輩やチャプレンに臨席してもらって、説教を聞いて礼拝をすること、日曜日はどこでもいいから教会に礼拝にいくこと。
この三つが義務付けられいて、僕は早禱をよくさぼったほかは、あとの二つはだいたい守った。
その何れでも、聖書の一節が読み上げられたから、聖書に縁がなかったわけではない。
それでも、白状するけれど、新約も旧約もきちんと読みとおしたことがない。
本書で初めて同じ新約なり旧約なりにしても、そこに説かれるキリストの教えは、伝える人によって異なり、時代の変遷によって変化しているということを知った。
パウロと洗礼者ヨハネの間にマリアの評価をめぐって対立があったことなど知らなかった。
聖書が成立したのち、時代によって、キリスト教の解釈が変化していったことは知っていたけれど。
新約聖書はマリアについて、あまり語っていない。
パウロもマルコも、イエスが処女マリアから誕生したことを知らないのだ。
後に書かれた「ルカによる福音書」で、かの有名なベツレヘムにおけるイエスの誕生という叙述があって、これがマリア崇拝の根拠になった。
マリア信仰は、地中海沿岸の太母神信仰や処女童子の信仰にキリスト教が妥協したもので、大衆の宗教観そのものであった異教がキリスト教に浸透して、キリスト教を多神教の宗教に変えたものともいえる。
325年のニカイア公会議で、神とキリストは一体であることが決定されたために、イエスの母を正当化する必要もあった。
431年のエフェソス公会議で、マリアはキリストの母であるのみならず、神の母でもあると決定された。
この決着の背後で、巨大な買収工作が行われたそうだ。
西方教会は、マリア像から太母神的な古い要素を捨てさり、処女受胎の理念にまで昇華することで新しいマリア像をつくりあげた。グノーシス主義から善悪二元主義を採り入れ、神の世界と悪魔の世界を峻別し、こうして、コスモロジーとしてのマリア像からはじきだされた性的なもの、倒錯的なもの、オルギア的なものをすべて、魔女のサバトという妄想に押し込んだといえよう。いっぽう東方キリスト教は、初期キリスト教時代の土俗的な習俗レベルのマリア像を守り続けた。
旧約聖書に出てくるイヴは、マリアとの対照が際立たされて、女性一般に対する蔑視がイヴに投影されていき、それとは逆にマリア像が聖化されていった。
「アヴェ・マリア(AveMaria)=マリアに幸あれ」の中で「イヴ・Eva」が倒置されて、反イヴの意味があるという。
(12世紀の)神学者たちが、誘惑者イヴからマリアを解放することによって、ある意味で女性の復権を図ったことは確かだ。だが、彼らがマリア崇拝によってめざしたのは、女性一般の名誉回復ではなく、修道尼の純潔性であった。修道院の外の、野鄙な女性たちは蔑視された。
司祭への男女平等参加を実現したヴァルド派やカタリ派は、マリア崇拝を認めず、男性優位のローマ教会からは異端とされる。
教会は聖別された清純な女性像をつくる一方で、サタンに仕える背徳の魔女を用意したのだ。
女性は処女と魔女に分裂したのだ。
それは霊肉二元論に対応して、肉体は常に悪く、此岸的=自然的原理を、魂は常に善く、彼岸的=精神的原理を体現した。
by saheizi-inokori
| 2024-11-06 09:17
| 今週の1冊、又は2・3冊
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