湯豆腐

きのうも湯豆腐、一昨日が初湯豆腐で連日だ。
連日でも一週間でもひと月でも冬の間ずっとでも湯豆腐がいい。

子供の頃は、遅く帰る母と囲む食卓になにはなくとも、あたたかい湯豆腐があれば、それで幸せだった。
学生時代はろくなものを食わず、なんとなく家庭の味が恋しい気分になると、大衆食堂の湯豆腐を食った。
小さなアルミの鍋に、白菜だのなんだのがごちゃごちゃいれてあったが、僕は湯豆腐は豆腐だけがいい。
昆布を敷いて、そのうえで豆腐がゆらゆら揺れているのを見ながら、一合60円の燗酒を、一合だけ飲むのが、なんだか粋な感じもしたものだ。

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「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」の久保田万太郎で有名な根岸の「笹乃雪」にも行ったことはあるし、南禅寺の湯豆腐も食ったことはあるけれど、湯豆腐はなんの飾りもない、白い豆腐をあたためて食べる、そのことがたまらなくいいのであって、何處どこの、とか誰それが愛した、とかはよけいなものだ。

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13世紀頃から、ヨーロッパの伝統的社会に生きていた魔術師が、悪魔の婢女としての魔女へと変質していく過程は、魔法や迷信に代って悪魔学が支配していく過程だ。
悪魔主義に依拠して異端が弾圧されていく。
そのプロセスで、妄想であり迷信であったデーモンの実在性が叫ばれるようになる。
悪魔に仕える魔女が実在するという観念が固まる背景には、教会神学者のもつ特有な女性観がある。彼らは女性を悪行の権化にした。パウロ神学に秘められていた女性嫌いが、12世紀以降の清貧に戻る改革派運動によって一挙に表面化した。この改革派運動には性的禁欲が伴っていた。(略)
民衆の信仰の中で、ユーモラスで大らかな人間的遊びの性格を含むデーモンとの情交という習俗は、キリスト教の厳しいエロス抑圧の装置によって消えていった。
十戒においてヤハウェは唯一神であるとされ、善も悪もつくるとされた。
そのヤハウェは、次第に超越者になっていく。
バビロン捕囚期に民族が味わった苦難の体験が、ヤハウェの唯一性と超越性を強化し、神はもっぱら善を行い、悪は神のもとからは生じないという確信ができあがっていく。
この段階、「ヨブ記」において悪の具現であるサタンが現れる。
「歴代誌」上(前300年ごろ)にサタンは、神の同意なしに悪をなすようになる。
ペルシャにうまれたゾロアスター教の影響もうけて、善悪二元主義がヨーロッパ人の倫理観のなかに浸透していく。
新約聖書、「ルカによる福音書」「黙示録」において、サタンは天から堕落した存在と語られ、デーモンの君主の地位に押し上げられ、闇の王国の統治者になった。
サタンとは、ヘブライ語のサタン(Satanas)からきており、妥協しない反抗者の意味をもち、ドイツ語の悪魔(Teufel)もそこからきている。
もともとは「堕ちた天使」でありキリストによく似ていたサタンが、神の絶対的な敵対者になったのだ。
初期の教会は、悪に取り憑かれた恐怖は語らなかった。さし迫るキリストの復活と神の王国の最終的勝利を期待することによって、教会人たちは、キリスト者に対するデーモンの無力を説いた。ところが数世紀経って、キリストの再来がたんなる幻想にすぎなくなったとき、サタンとデーモンは身近な脅威の存在として現れ、中世の中頃には危険な誘惑者、肉体と心の破壊者として描かれるようになったのである。
悪魔との契約を教義として確立し普及させたのは、四世紀の聖アウグスティヌスである。
彼は、マニ教の影響もうけて、神との契約か、それとも迷信や異教の神との契約かのどちらをとるかは、各自の自由意志によるとした。
13世紀のトマス・アクィナスは、アウグスティヌスの契約理論を踏襲したが、些細な迷信行為でも悪魔との契約とし、民衆の間に流布していた単なる迷信まで恐るべき脅威とする。
それが魔女妄想の引き金になった。
とうじローマ法を基礎にした法解釈学が成立していて、それが精密な魔女学を形成する。
Commented by yoko68 at 2024-11-04 15:02 x
佐平次さん、その御本は私には難しすぎて手が出ないなぁ💦

どうもヨーロッパ宗教は理解できなくて、秘密結社フリーメイソンが出てくるとハテナハテナで読み飛ばしてしまうのです。カラマーゾフの兄弟などもそうでした。ヨーロッパ文学はわりと好きなのに、、、悲しいなぁ。
でも佐平次さんの解説はわかりやすく、こんな私でも興味を持って読めます。ありがとうございます♪
Commented by saheizi-inokori at 2024-11-04 17:09
> yoko68さん、自分のメモの要素が強くて、要領を得ないのに、そうおっしゃっていただきありがとう。
旧約聖書や新約聖書が、いろんな人の伝える文章からなっていることは知っていましたが、それらが時代につれて神やサタンの位置づけに変化が生じるというのは、当たり前のようで面白い話だと思いました。
Commented by open-mind1109 at 2024-11-04 19:11
我が家は今夜白菜と水菜をたくさん入れた豆腐鍋でした。
湯豆腐が大好きです。毎日でもいいくらい^^
高校の時魔女裁判に興味を持ち、学校の図書館で関連の本を読みあさりました。
友達が私を探すときは図書館に行けばいいと言われるほど、本が好きだった頃の話です。
でも、本の内容の記憶があまり残っていないのです。
それは私の頭の悪さからですが、思春期の頃から理不尽な差別に納得がいかないそういう小難しくて屈折した女子だったのだと思います。
Commented by saheizi-inokori at 2024-11-04 21:31
> open-mind1109さん、私は図書館を利用し始めたのは、退職してからです。
図書室はあつたと思うのですが。
理不尽な差別を受けられたのですね。辛かったですね。
Commented by jibundenaiwatasi at 2024-11-04 21:47
ポン酢で食べる湯豆腐、大好きです。(^∇^)
Commented by saheizi-inokori at 2024-11-04 22:11
> jibundenaiwatasiさん、私は肉や野菜などをいれた鍋の豆腐はポン酢も使いますが、豆腐だけの湯豆腐は鰹節と葱と酒と醤油のかけ汁で食べるのが一番です。
豆腐はなんにでも、煮ても焼いてもそのままでも合いますね。豆腐百珍ですね。
Commented by at 2024-11-05 06:27 x
万太郎の湯豆腐の句は、キャッチコピーのようにすっと胸に入り、
僕には忘れ難いものとなりました。
晩年、様々な愛憎の果ての句と知ってより一層。
Commented by saheizi-inokori at 2024-11-05 13:14
> 福さん、不謹慎ですが、赤貝を喉につまらせて亡くなったのですね。湯豆腐ならいのちのはてということもなかった?
Commented by barnes_and_noble at 2024-11-07 07:52
最近出版された絵本で『ひき石と24丁の豆腐』というのがあるのですが、素朴なお豆腐、食べたくなりますよ。
Commented by ikuohasegawa at 2024-11-07 09:55
私は昆布だしで豆腐だけの湯豆腐が好みです。
今はカミさんも覚えてくれましたが、気を利かせて色々入れられると不機嫌になります。
Commented by saheizi-inokori at 2024-11-07 13:09
> barnes_and_nobleさん、そうですか、ありがとう。
本屋にあるかな。
Commented by saheizi-inokori at 2024-11-07 13:11
> ikuohasegawaさん、私もおなじ、でもタラや白菜があっても不機嫌にはなりません。
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by saheizi-inokori | 2024-11-04 12:44 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(12)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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