黒ミサの始まり

寒くて足にブランケットをかけて本を読んだ。
鼻水もでるし、雨がざあざあ音をたてて降るし、たまには散歩をさぼろうと、いったんは決心したのに、トイレに行こうと立ちあがったら、やっぱり行きたくなった。

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水を跳ね飛ばしながら走ってくる車から、できるだけ離れるようにして、冷気の中を歩くのは、あんがいいい気持だ。

子どもの頃から雨が嫌いじゃなかった、窓の外に降る雨を眺めているのも良いし、傘をさして外を歩くのも悪くはなかった。
とうじは泥んこ道だったから長靴を履いて歩くのだったけれど。
その代わり、車はめったに来なかったな。

働いている母を駅まで傘をもって迎えに行ったこともたびたび、自転車の後ろにのせて帰ってきた。
僕はカッパを着ていたのだったか、それとも母がさしかけてくれたのだったか。
細かいところを思い出そうとしていると、そもそも雨の中を迎えに行ったのだろうか、と自信がなくなってくる。
古い本にかぶせたパラフィン紙が、何年ぶりかに引っ張り出してみると、はかなくバラバラに砕けていく、そんな風に古い記憶も砕け散っていく。

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日体大は秋の文化祭(とはいわないのかもしれないが)の一日目の仕舞時、騒ぎ足りない若者たちが、降りしきる雨の中ではしゃいでいる。

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僕の高校文化祭のときは、属していた新聞部の部室に泊りこんだ。
なにも起きないのだが、何か起きそうでワクワクしたなあ。

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明けて今朝は文句なしの青空、3日分の洗濯物が温かな日差しを浴びている。

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「魔女とキリスト教」(上山安敏)のつづき。

原始キリスト教は、ミラノ勅令(313年)でローマ帝国の公認宗教になったけれど、異教に心服する人々の心をつかまえるために、つぎつぎと妥協をかさねた。
伝統的な祝祭日を踏襲したり、土着信仰の聖地に教会をたてたり、伝統的な儀式が採用されもした。
中世後期になると、事態が一変し、キリスト教化できない神の姿体は「妖怪(ウンホルト)」とされた。
この妖怪こそ悪魔に仕える魔女だった。

民族の移動と都市商人の増加がキリスト教の布教を助けた。
商業を営み旅をする商人は、残してきた家族と部族の安全を、商業都市にある教会に求めた。
民族の大移動で、ノマドとなった人間は、定住地の聖泉、聖樹木、聖なる森を捨てざるを得なくなり、古い社会の解体によって、古い信仰観念を衰退に向かわせた。
民族移動は強い指導者を必要とし、国王の出現を有利にした。

キリスト教が都市宗教として、商人、知識人を有力な信徒として獲得する一方で、停滞性の強い農村では異教崇拝が守られるという二重構造がみられた。

上山は、魔女信仰はアルプスを境とする北方型と南方型に分かれるのではないかという。
北方の魔女は一人ぼっちであり、人びとが生活する共同体から離れた森や荒地に棲む、異界の住人であり「損害を与える呪術者」だった。
北方は男性的支配が強く、狩猟と戦争に慣れているゲルマン人は、霊と父と子の三位一体説をとるキリスト教と集団心理において一致していた。
ドイツでは男性結社が支配していたので、女性結社はできなかった。

一方で農業と植物採取に従事する地中海沿岸では、北方に比して女性的で、魔女たちは、サバト(魔女の集会)、夜間空中飛行、悪魔との契約、性的オルギアの要素が濃い(13世紀以降)。
ケルト・ゲルマンと南欧ないし南東欧の二つの文化潮流が合流したことから、異端審問が引き起こされ、その勢いから、16,7世紀の魔女パニックが生じた。

魔女集団にみる性的オルギアや狂騒的踊りをともなう祝祭は、すぐれて南欧的で、「サバトから黒ミサへ」の線が考えられる。
さらに南フランスにはユダヤ人とサラセン人が満ちていて、ユダヤ人のラビが公教育の学校や地域の至るところで、キリスト教徒とアラビア人をつないでいた。
サバトの名称は、ヘブライ語のシャバト(祝祭日)から来ており、新約聖書では、サタンのシナゴーク(集い)をシャバトという意味で使っている。
中世の魔女やサバトの儀式の典型的な地域である南フランスでは、ユダヤ=カバラ的密学とスペインから浸透したイスラム教ムーア人の魔術という伝統的潮流がキリスト教文化と混合していた。
この地域を中心として、魔女のサバト信仰がヨーロッパの各地に広がりを見せた。そのさい、サバトは各地域のフォークロアと習合しながら変種を生んだのである。(略)
イギリスにも独特のサタン崇拝があって、20世紀にロンドンが黒ミサの中心になったといわれるけれども、それはいずれもフランスの黒ミサの亜流の性格をもつものであり、しかも儀式への参加者の多くが、上流階級や知識人に属しており、黒ミサはサロン化していた。
キリスト教をパロディ化した黒ミサは、もとは俗界にあって夜の礼拝儀式として行われていたサタン崇拝が、次第に教会に浸透したものだ。
黒ミサは限られた階層、教会聖職者、貴族の間に拡まり、ついにはルイ14世の宮廷内で儀式が行われるに至り、一大スキャンダルとなった(1679年)。
いわば、乱交パーテイ、新生児や早産児の温かい血を使う、「教会の儀式をことごとく転倒し、キリスト教の性観念を揶揄している」黒ミサの内容が説明されているが、ここには引かない。

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(琥珀糖)

Commented by doremi730 at 2024-11-04 01:42
「神田古本まつり」行ってきました♪
Commented by kadakura at 2024-11-04 07:16
今に至るまで連綿と続く幼児虐待の姿が描かれている貴重な
ご本だと感じました。

それが暴かれる日がすぐそこまで来ていると思います。

陰謀論と言われればそれまでなのですが、日本では報道
されないだけで、エプスタイン島でのセレブの悪行は既に
公けになっています。日本人もその島に行ってます(;'∀')

ちなみに、渋谷ではあの南瓜のイベントを中止したとか。
善き選択と思っています。

ハロウィンの時期、海外では大勢の子どもたちが行方不明に
なるそうで、まさに悪魔のイベントなのです。
日本人は一種のファッションとして楽しむ人が多いようです。
何も知らずに悪魔の恰好をして楽しんでいる。
洗脳されてるって感じてました。

saheijiさんが、バチカンやセレブ達の悪行をどこまでご存じ
なのか分かりません。いわゆる常識的な方々から見れば、
この人何言ってるの?と思うようなコメントです。
承認されなくても全然平気です。

ただお伝えしたくて書きました(・ω・)ノ




Commented by saheizi-inokori at 2024-11-04 13:29
> doremi730さん、贅沢な貧乏、私は日暮里の古本屋で買いました。
まだ全部は読んでないなあ。
Commented by saheizi-inokori at 2024-11-04 13:32
> kadakuraさん、その話はなんどか読みました。
どうも信じ切れなくて、それでそちらのブログにもコメントしなかったのです。
20世紀にロンドンが黒ミサの中心だというのですから、そういうものが、完全になくなっているとは思いませんが。
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by saheizi-inokori | 2024-11-03 13:30 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(4)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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