おばあちゃん化
2024年 11月 02日
五時半ころにトイレに起きて又寝をしたら、外が雨のせいもあって、とてもいい気持に眠れて、七時過ぎまで寝てしまう。
まだまだ寝ていたいし、頭がちょっと重たいけれど、大掃除の土曜日だ。
エイヤッと起き上がる。
雨で湿ったガラス窓は、ハア~っと息を吹きかけたようで汚れが落ちやすい。
きのうは葬儀の後、稲田堤の駅前のガード下のカフエで一休みしながら、ブログの記事を書いた。
歩きはじめると、葬儀出席という目的から解放された目に、来る時には気づかなかった風景が見えてくる。
いいな、安くて明るい、焼き立てのパンの匂いのするカフエの隣にこんな本屋があって。
保育園の動物たちにも、今頃気づく。
このパチンコ屋には、朝気づいた、開店を待つ男が二人ドアの前に佇んでいた。
葬儀に行く人、パチンコをしようと並ぶ人、と思いつつ先を急いだのだった。
とうふ、とあるけれど、店先にクルミ餅などが安売りされているのに釣られて、中に入ってみるとお菓子や総菜などもいろいろ売っている。
クルミ餅と草餅に食指が動いたけれど、賞味期限が明日までと言うので、四つ入りはカミさんが食べなかったら食べきれないと諦めて、代りに、おから、豆乳、全粒粉、黒ゴマで作った小さな煎餅みたいな「夜たべるおやつ」というのを一袋買った。
身体にいいものばかり、夜でも罪悪感なしに食べられるそうだ。
僕は今、これを書くために、袋を破って一つ二つ食べてみたが、香ばしくて甘くて、ゴマの味もして、後を引きそうだ。
居酒屋や飲食店もあって、なかなか味のある小径を抜けて、JR稲田堤駅に出て、朝ちらっとみた周辺地図をもう一度、近寄ってよく見ると、京王稲田堤駅への道(さっき来た道)が、よくわかる。
案内がなかったなどと書いて(↓)すまなかったけど、できることなら、あの道の入口にそれとわかる案内がほしい。
電車に乗って、葬儀のことを思い返す。
平服でとあったので、敢えて喪服をやめて、昔の紺の背広(ズボンがちゃんと穿けた)に青地のネクタイで行ったら、みんな喪服だったこと。
おなじ思いで、苦労して焦げ茶のジャケットを着ていった姪が、帰りに送ってもらった義姉夫妻の車のなかで、義姉にぶーたれていたこと。
その姪の声を助手席で聞いていると、早世した義姉(姪の母)と妹(義姉)が喋っているかと思ったこと。
食事のときに、姪が「さいきん、すっかりおばあちゃん化してきた、いろんなことで、おばあちゃんと同じだと思うことが多い」と笑いながら話したこと。
たとえば、刺身を食べるときに醤油を小皿に注ぐのに、刺身を食べ終わったときに、すっかりきれいになっているくらいな量を注ぐことなどを、ほら、こうだよ、と祖母が姪に見せてやる振りをしながら、話してくれたこと。
葬儀会場に入った時、屏風で隠れたロビーに先着の人たちが談笑していた。
そのなかに義弟の声が聞こえて、ああ、来てるんだ、と思ったこと。
それなのに、喪服ばかりで見分けがつかない人々のなかに彼がいなかったこと。
そして、姪(遺族)から、義弟は前夜のお通夜に来たと聞いたこと。
誰があんなに義弟に似た声や喋り方をしたのか、義弟と血のつながった人は、故人の遺した子息しかいない。
二人兄弟の弟は、僕と喋っていたから、あれは社会人になっている長男の声だったのだろう。
その長男が、食事の前に挨拶を、(小声で)している、その横顔が娘に似ていたこと。
長男の母(姪)と娘は、前から似ていると言われていたこと。
その娘に、おばあちゃん化した姪は「〇おばちゃん(亡妻)にそっくりになった」といったこと。
そんなことをとつおいつ考えていたら、とつぜん「人様の大事な子供」という言葉が浮かんできた。
新入社員の家族を招いて、パーテイをやったことがある。
新人女性の、おじいちゃんが来てくれた、80を優に超えていらっしゃった。
孫が可愛くてたまらないという感じだった。
そんなことも思い出した。
(大津、叶匠寿庵 「復刻 紅葉最中」、ボリュームたっぷり)
まだまだ寝ていたいし、頭がちょっと重たいけれど、大掃除の土曜日だ。
エイヤッと起き上がる。
雨で湿ったガラス窓は、ハア~っと息を吹きかけたようで汚れが落ちやすい。
きのうは葬儀の後、稲田堤の駅前のガード下のカフエで一休みしながら、ブログの記事を書いた。
歩きはじめると、葬儀出席という目的から解放された目に、来る時には気づかなかった風景が見えてくる。
いいな、安くて明るい、焼き立てのパンの匂いのするカフエの隣にこんな本屋があって。
保育園の動物たちにも、今頃気づく。
このパチンコ屋には、朝気づいた、開店を待つ男が二人ドアの前に佇んでいた。
葬儀に行く人、パチンコをしようと並ぶ人、と思いつつ先を急いだのだった。
とうふ、とあるけれど、店先にクルミ餅などが安売りされているのに釣られて、中に入ってみるとお菓子や総菜などもいろいろ売っている。
クルミ餅と草餅に食指が動いたけれど、賞味期限が明日までと言うので、四つ入りはカミさんが食べなかったら食べきれないと諦めて、代りに、おから、豆乳、全粒粉、黒ゴマで作った小さな煎餅みたいな「夜たべるおやつ」というのを一袋買った。
身体にいいものばかり、夜でも罪悪感なしに食べられるそうだ。
僕は今、これを書くために、袋を破って一つ二つ食べてみたが、香ばしくて甘くて、ゴマの味もして、後を引きそうだ。
居酒屋や飲食店もあって、なかなか味のある小径を抜けて、JR稲田堤駅に出て、朝ちらっとみた周辺地図をもう一度、近寄ってよく見ると、京王稲田堤駅への道(さっき来た道)が、よくわかる。
案内がなかったなどと書いて(↓)すまなかったけど、できることなら、あの道の入口にそれとわかる案内がほしい。
電車に乗って、葬儀のことを思い返す。
平服でとあったので、敢えて喪服をやめて、昔の紺の背広(ズボンがちゃんと穿けた)に青地のネクタイで行ったら、みんな喪服だったこと。
おなじ思いで、苦労して焦げ茶のジャケットを着ていった姪が、帰りに送ってもらった義姉夫妻の車のなかで、義姉にぶーたれていたこと。
その姪の声を助手席で聞いていると、早世した義姉(姪の母)と妹(義姉)が喋っているかと思ったこと。
食事のときに、姪が「さいきん、すっかりおばあちゃん化してきた、いろんなことで、おばあちゃんと同じだと思うことが多い」と笑いながら話したこと。
たとえば、刺身を食べるときに醤油を小皿に注ぐのに、刺身を食べ終わったときに、すっかりきれいになっているくらいな量を注ぐことなどを、ほら、こうだよ、と祖母が姪に見せてやる振りをしながら、話してくれたこと。
葬儀会場に入った時、屏風で隠れたロビーに先着の人たちが談笑していた。
そのなかに義弟の声が聞こえて、ああ、来てるんだ、と思ったこと。
それなのに、喪服ばかりで見分けがつかない人々のなかに彼がいなかったこと。
そして、姪(遺族)から、義弟は前夜のお通夜に来たと聞いたこと。
誰があんなに義弟に似た声や喋り方をしたのか、義弟と血のつながった人は、故人の遺した子息しかいない。
二人兄弟の弟は、僕と喋っていたから、あれは社会人になっている長男の声だったのだろう。
その長男が、食事の前に挨拶を、(小声で)している、その横顔が娘に似ていたこと。
長男の母(姪)と娘は、前から似ていると言われていたこと。
その娘に、おばあちゃん化した姪は「〇おばちゃん(亡妻)にそっくりになった」といったこと。
そんなことをとつおいつ考えていたら、とつぜん「人様の大事な子供」という言葉が浮かんできた。
どんな人にも、自分によく似た親や祖母や兄妹や従妹などがいる。と。
そしてみんなが、その人の幸せを願い、不幸には集まって泣くのだ。
現役時代、僕はそういう「大事な我が家の○○ちゃん」を預かって一緒に仕事をしていた。
その自覚をもっていたか、おまえは?
新入社員の家族を招いて、パーテイをやったことがある。
新人女性の、おじいちゃんが来てくれた、80を優に超えていらっしゃった。
孫が可愛くてたまらないという感じだった。
そんなことも思い出した。
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tsunojirushi at 2024-11-02 17:14
あの「駅から駅」の道は、知らないと不安になると思います。そもそも乗換駅としては遠いですし。
こちらから仕事で劇団民藝さんの稽古場へ通ったことがあって…。初回はまったく同じ感想を持ちました。
発声は、遺伝子よりも後から(聞いて真似て)学ぶ要因が大きいと言いますよね。犬に育てられた猫が犬の声で鳴くみたいに…。
こちらから仕事で劇団民藝さんの稽古場へ通ったことがあって…。初回はまったく同じ感想を持ちました。
発声は、遺伝子よりも後から(聞いて真似て)学ぶ要因が大きいと言いますよね。犬に育てられた猫が犬の声で鳴くみたいに…。
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saheizi-inokori at 2024-11-02 18:59
> tsunojirushiさん、ね、私がボケというわけでもないですよね。
きのう義弟と似た声の子はお互いに会ったことがないかもしれません。
その子の母が義弟の姪、義弟の姉の娘です。
それが似るというのは、遺伝のようにも思いますが、真似て似るというのも面白いです。調べてみようかな。
きのう義弟と似た声の子はお互いに会ったことがないかもしれません。
その子の母が義弟の姪、義弟の姉の娘です。
それが似るというのは、遺伝のようにも思いますが、真似て似るというのも面白いです。調べてみようかな。
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yoko68
at 2024-11-02 21:04
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saheizi-inokori at 2024-11-02 21:29
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doremi730 at 2024-11-02 22:35
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ymomen at 2024-11-02 23:52
わたしは父方の祖母に似てきたと叔母たちに言われ、いま鏡を見れば、母を見るようになりました。
血の繋がっていないふたりがわたしになっているというのが不思議です。
郷里の古い隣人は娘を見て、わたしの父にそっくりだと言いました。
そうやって魂はわたしたちのなかに残るのではないかと思います。
血の繋がっていないふたりがわたしになっているというのが不思議です。
郷里の古い隣人は娘を見て、わたしの父にそっくりだと言いました。
そうやって魂はわたしたちのなかに残るのではないかと思います。
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gophe at 2024-11-03 00:01
稲田堤、学生の頃住んでおりました。
この保育園の隣にあったファミレスでバイトしていたんですよ。
田舎から上京してきて初めての一人暮らし。
オラも今日から東京人になるっぺよ・・・と鼻息荒くしてたら住所は川崎市でした。
この保育園の隣にあったファミレスでバイトしていたんですよ。
田舎から上京してきて初めての一人暮らし。
オラも今日から東京人になるっぺよ・・・と鼻息荒くしてたら住所は川崎市でした。
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tanatali3 at 2024-11-03 02:58
私の場合、声は兄に似ていると言われます。tsunojirushi さんの説を初め知りましたが、さもありなんかな?
それでも遺伝子は身体的、後天的に、どこか受け継がれていくような気がします。
それでも遺伝子は身体的、後天的に、どこか受け継がれていくような気がします。
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yossina-lani at 2024-11-03 06:57
武蔵小杉から調布の野川へ桜を見にいくときに
京王稲田堤で乗り換えました。
初めてだったけど、知らない人の後ろをついていきました。
(たまに選ぶ人を間違えてついていき、迷子になることもあるけど、笑)
鍼治療に桜上水に通院していますが、そこも啓文堂書店が入っていたような
京王の駅って、みんなそんな感じなのかしら。
>平服で
そう、皆さんシッカリと喪服なのよね・・・
京王稲田堤で乗り換えました。
初めてだったけど、知らない人の後ろをついていきました。
(たまに選ぶ人を間違えてついていき、迷子になることもあるけど、笑)
鍼治療に桜上水に通院していますが、そこも啓文堂書店が入っていたような
京王の駅って、みんなそんな感じなのかしら。
>平服で
そう、皆さんシッカリと喪服なのよね・・・
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saheizi-inokori at 2024-11-03 10:06
> doremi730さん、そうですか、私の父は若い時に亡くなったので、そういうことは期待できそうもないな。
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saheizi-inokori at 2024-11-03 10:08
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saheizi-inokori at 2024-11-03 10:13
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saheizi-inokori at 2024-11-03 10:14
> tanatali3さん、後天的に受け継がれる遺伝子、なんか面白い小説の題名になりそうですね。
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saheizi-inokori at 2024-11-03 10:15
> tanatali3さん、氏より育ち、ってことかも。
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saheizi-inokori at 2024-11-03 10:20
by saheizi-inokori
| 2024-11-02 13:44
| よしなしごと
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