九品仏商店街に寄ってみた
2024年 10月 25日
きのうは、パンを買いに自由ヶ丘へ、二日続きの自由ヶ丘だ。
いぜんは都立大学のパン屋だったが、このところここに宗旨替え、予約しておいてでかける。
せっかく出てきたので、九品仏に向かう。
閻魔さんにお賽銭をあげると、恐ろし気な声で「誰しも清い心と汚い心をもっている。要は心をコントロールすることだ。心を気にかけず、心を持つことを忘れるな」みたいなことを宣う。
よくわからない。
参道にある区民センターが期日前投票所になっていた。
男たちの茶話会、あまり参加したいとも思わない。
古本屋でみつけたこの本、
九品仏商店街も味のある店(建物)があちこちにある。
小さなカフエ、誰もいない店でちょっと待っていたら髭のオジサンが現れた。
入口の椅子に坐ってもいいというので、ここでカフエオレを啜りながら、加藤秀俊「社会学」を読む。
「縁」という言葉が分からなければ日本社会はわからない。
「結ぶ」、言葉の由来は本居宣長にある。
三角形の握り飯を「おむすび」と呼ぶのは、忍者が親指と人差し指で三角形を作って「印をむすぶ」のに似ているから、あの印によって、空間にひとつの区切り・「結界」ができあがる。
「むすぶ」ことは、時空間にケジメをつけることと考えてもよい。
人が気にする「みんな」、それを準拠集団(reference group)という。
「みんな」は新陳代謝する。
菊谷の本に比べて、気軽にエッセイを読むように読みやすい。
ときどき、外に目をやると、ジイサン、バアサン、オクサン、オッサン、オネエチャン、アンチャン、かわいいボクやアタシたちが、いろんな表情で通り過ぎていく。
選挙カーも、なんか叫んでいる。
「社会」=「世間」が通り過ぎていく。
10月末の夕方であることが信じられないような、涼しい気持のよい風が吹いてくる。
シンガポールのホテルの中庭の風を想う、あの風はいまも、世界からきた人たちを慰めているのだろうか。
菊谷和宏「『社会』の底には何があるか」の最終章「現代日本を生きるために」。
「国」「民主主義」などの「制度」は人の作ったもので、フイクションであり実在ではない。
なのに、「国」と「社会」、「国民」と「個人」を混同して、その区別を曖昧にしているから、日本の<私>は、混乱し、病んでしまっている。
その混乱は「会社」「学校」「家族・親族」などの日常的なものにも及び、我々の多くが、立場を、役割を生きようとしている。
立場や役割は、取替可能で誰でもいいものなのに、それを一生懸命に果たそうとして、我々は、制度の一構成要素として、「誰のものでもない人生」を生きることになる。
人びとが、フイクションの人生を生きているから、「どんな悪人、奇人でも同じ人間」という共有された「社会の底」が抜けてしまっているのではないか。
スキャンダルや犯罪、ときには過誤ですら、徹底的に「悪」として糾弾され続ける(忘れるまで)。
歯止めが利かないのは、「否定できない所与の事実」を見失っているために、何が現実かがわからなくなっているからだ。
それどころか、そのような「所与の現実」などそもそも無いのだと、価値と認識の相対主義に居直り、あげくはそれが多様性なのだと開き直る。
自分自身の固有の人生を自律的な意志を持って創造することが、本来の意味における「生きる」ことだ。
それは、難しいことではなく、今日何をするか、どこに行き、何を食べるか、あるいは何もしないか、そうした日常的の細々したことを「流される」ことなく、自覚して行うということに過ぎない。
殺すなかれ。
他者との対話を絶つなかれ。
それが「底」を保つことになるのかな。
(虎屋の羊羹)
いぜんは都立大学のパン屋だったが、このところここに宗旨替え、予約しておいてでかける。
せっかく出てきたので、九品仏に向かう。
閻魔さんにお賽銭をあげると、恐ろし気な声で「誰しも清い心と汚い心をもっている。要は心をコントロールすることだ。心を気にかけず、心を持つことを忘れるな」みたいなことを宣う。
よくわからない。
参道にある区民センターが期日前投票所になっていた。
男たちの茶話会、あまり参加したいとも思わない。
古本屋でみつけたこの本、
30年以上前に3296円の定価、古本屋の売価がないので、レジで「安ければ買いたい」と差し出すと、なんか調べて「500円というところです」、「いただきます!」。
九品仏商店街も味のある店(建物)があちこちにある。
小さなカフエ、誰もいない店でちょっと待っていたら髭のオジサンが現れた。
入口の椅子に坐ってもいいというので、ここでカフエオレを啜りながら、加藤秀俊「社会学」を読む。
「縁」という言葉が分からなければ日本社会はわからない。
「結ぶ」、言葉の由来は本居宣長にある。
三角形の握り飯を「おむすび」と呼ぶのは、忍者が親指と人差し指で三角形を作って「印をむすぶ」のに似ているから、あの印によって、空間にひとつの区切り・「結界」ができあがる。
「むすぶ」ことは、時空間にケジメをつけることと考えてもよい。
人が気にする「みんな」、それを準拠集団(reference group)という。
「みんな」は新陳代謝する。
菊谷の本に比べて、気軽にエッセイを読むように読みやすい。
ときどき、外に目をやると、ジイサン、バアサン、オクサン、オッサン、オネエチャン、アンチャン、かわいいボクやアタシたちが、いろんな表情で通り過ぎていく。
選挙カーも、なんか叫んでいる。
「社会」=「世間」が通り過ぎていく。
10月末の夕方であることが信じられないような、涼しい気持のよい風が吹いてくる。
シンガポールのホテルの中庭の風を想う、あの風はいまも、世界からきた人たちを慰めているのだろうか。
菊谷和宏「『社会』の底には何があるか」の最終章「現代日本を生きるために」。
「国」「民主主義」などの「制度」は人の作ったもので、フイクションであり実在ではない。
なのに、「国」と「社会」、「国民」と「個人」を混同して、その区別を曖昧にしているから、日本の<私>は、混乱し、病んでしまっている。
その混乱は「会社」「学校」「家族・親族」などの日常的なものにも及び、我々の多くが、立場を、役割を生きようとしている。
立場や役割は、取替可能で誰でもいいものなのに、それを一生懸命に果たそうとして、我々は、制度の一構成要素として、「誰のものでもない人生」を生きることになる。
人びとが、フイクションの人生を生きているから、「どんな悪人、奇人でも同じ人間」という共有された「社会の底」が抜けてしまっているのではないか。
スキャンダルや犯罪、ときには過誤ですら、徹底的に「悪」として糾弾され続ける(忘れるまで)。
歯止めが利かないのは、「否定できない所与の事実」を見失っているために、何が現実かがわからなくなっているからだ。
それどころか、そのような「所与の現実」などそもそも無いのだと、価値と認識の相対主義に居直り、あげくはそれが多様性なのだと開き直る。
自分自身の固有の人生を自律的な意志を持って創造することが、本来の意味における「生きる」ことだ。
それは、難しいことではなく、今日何をするか、どこに行き、何を食べるか、あるいは何もしないか、そうした日常的の細々したことを「流される」ことなく、自覚して行うということに過ぎない。
殺すなかれ。
他者との対話を絶つなかれ。
それが「底」を保つことになるのかな。
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k_hankichi at 2024-10-25 16:29
良い名前の古書店ですねえ。
そしてこの言葉、良いですね!
自分自身の固有の人生を自律的な意志を持って創造することが、本来の意味における「生きる」こと。
そしてこの言葉、良いですね!
自分自身の固有の人生を自律的な意志を持って創造することが、本来の意味における「生きる」こと。
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saheizi-inokori at 2024-10-25 19:04
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tsunojirushi at 2024-10-25 19:06
おお、もっけいどうの店主N氏は、殿様の友人なのです。お買い上げくださったなんて私まで嬉しいです。二枚目ですよね。
パン屋さんは高級そうなお店ですね…。商店街の中ほどの「ヌフ(9)」という小さなお店のパンも美味しいですよ。
パン屋さんは高級そうなお店ですね…。商店街の中ほどの「ヌフ(9)」という小さなお店のパンも美味しいですよ。
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saheizi-inokori at 2024-10-25 19:19
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tsunojirushi at 2024-10-25 20:31
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saheizi-inokori at 2024-10-25 21:20
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at 2024-10-25 22:43
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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stefanlily at 2024-10-26 01:06
面白そうな本(表紙も)と思ったら、人文書院ですか。
欧州の魔女狩りに伴って、黒猫も酷い目に遭ったけど案外少なかったのは英国だそうです。悪名高きヘンリー八世ですが、前妻と離婚する為とカソリックが領土を多く持っていたから、カソリック辞めて英国国教会立ち上げたと。
ヤマザキ等の大量生産のパンまで値上げしたから、なるべくパン屋さんで買うようにしてます。
長崎県諫早市出身の中村投手がヤクルトでお世話になります。
虎屋の羊羹ってお高いそうですが…(゚o゚)/
欧州の魔女狩りに伴って、黒猫も酷い目に遭ったけど案外少なかったのは英国だそうです。悪名高きヘンリー八世ですが、前妻と離婚する為とカソリックが領土を多く持っていたから、カソリック辞めて英国国教会立ち上げたと。
ヤマザキ等の大量生産のパンまで値上げしたから、なるべくパン屋さんで買うようにしてます。
長崎県諫早市出身の中村投手がヤクルトでお世話になります。
虎屋の羊羹ってお高いそうですが…(゚o゚)/
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saheizi-inokori at 2024-10-26 16:40
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saheizi-inokori at 2024-10-26 16:43
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hanamomo60 at 2024-10-26 19:51
こんばんは。
ただいまストーブに点火しました。
かなり冷えてきました。
九品仏という地名クホンブツと読むのですね。
とらやの夜の梅、羊羹の中に入っている小豆の粒が梅に関係あるのかな~。
深沢に友人がおります。
いつでも来てねと言われているけどいけないまま長いこと経ちます。
自由が丘のお菓子を時々送ってくれます。
ただいまストーブに点火しました。
かなり冷えてきました。
九品仏という地名クホンブツと読むのですね。
とらやの夜の梅、羊羹の中に入っている小豆の粒が梅に関係あるのかな~。
深沢に友人がおります。
いつでも来てねと言われているけどいけないまま長いこと経ちます。
自由が丘のお菓子を時々送ってくれます。
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saheizi-inokori at 2024-10-26 20:37
> hanamomo60さん、こちらもだいぶ冷えてきました。
虎屋、切り口に小豆が梅のように見えるというのですが、私にはそう見えなかったです。
深沢は広い世田谷区のなかでも広いのです。
自由が丘のお菓子、黒船かな、それとも蜂の家?
ほかにもいろいろありますね。
虎屋、切り口に小豆が梅のように見えるというのですが、私にはそう見えなかったです。
深沢は広い世田谷区のなかでも広いのです。
自由が丘のお菓子、黒船かな、それとも蜂の家?
ほかにもいろいろありますね。
by saheizi-inokori
| 2024-10-25 11:54
| 今週の1冊、又は2・3冊
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