中村哲さんのような人
2024年 10月 06日
小学校の友だち、池田充君から招待状をもらって、彼もいるという昨日、目黒区民センターの絵画展「サロン・ド・フィナール展」を見に行った。
前回はいつだったっけ、あの日も雨だったなあ、あの時の帰り道を逆に辿って目黒駅行きのバスに乗り大鳥神社前で降りる。
こんなに遠かったかと距離感がおかしくなっている。
いろんな行き方があり、散歩の途中でおもわぬときに出くわしたりしているから、記憶がごちゃまぜになっている。
美術館に併設された区民ギャラリーの、それほど広くはない部屋に入って、すぐに池田君の姿を見つけたが、人と話しているので、先ず彼の絵を観る。
A・R・ストーンズ氏を顕彰する一枚。
貧しい野尻湖畔の信濃町の人びとのために、カナダの農機具を教え、いま幻の名産となったトウモロコシの品種改良を行い、ルバーブの栽培も教えた人。
遭難した洞爺丸に乗り合わせて、泳げない日本人に自分の救命具を与えて自らは亡くなった(三浦綾子「氷点」に出てくる)。
池田君は野尻湖の近くに住んで、ストーンズ氏の顕彰碑建立にも参加し、いまも彼の偉業を伝え続けている。
「中村哲さんのような人だったんだよな、貧しい人、困っている人を見るとほっておけなかったんだ」という。
ストーンズ氏のやさしく誠実な人柄がまっすぐに伝わってくる絵だ。
「土を愛し人を愛し神を愛せよ」という字はストーンズ氏の直筆を写したのだという。
ルバーブ、トウモロコシ、農機具の絵のひとつひとつに池田君の感謝の心がこめられている。
背景のブルーも美しい、野尻湖に写った信濃町の青空の色だろうか。
もう一枚は、イスラエルによるガザへのジェノサイドに抗議する絵だ。
アブラハムの子孫、兄弟であるアラブ人とユダヤ人は兄弟のように暮さなければならない(ロスチャイルド)。
イギリスの二枚舌外交の結果、パレスティナ人は抵抗の印にスイカを切って持ち歩いたこと(イスラエルがパレスチナの旗を持ち歩くことを禁じたため)。
我々ユダヤ人はアラブ人の人々に完全な自由を保障すること、そしてアラブの人々にどんな態度で臨むかが民族としての我々の道徳水準を試される試金石となっている(アインシュタイン)。
「イスラエル大使館にも招待状を送ればよかった」と僕。
たまたま二人の女性の出品者が居合わせて、池田君の紹介でお話しを聞きながら鑑賞することができた。
ひとりは、イザナミが黄泉の国に堕ちて雷神を生む神話などをモチーフにして、和紙を使って精妙な線描を見せて、もうひとりは、子どもの頃に深層心理に刻印されたモノを形に作る。
そのほか在原業平の末裔という人が描いた釈迦の線描(黒字に金箔がうかぶ)とか、鉱石の破片を顕微鏡で撮った、まるで人間が描いた抽象画のような写真とか、生命の源を植物に託して描いたような絵とか。
それぞれの出品者の画風が異なる。
それが、なんだか出品者が競って、宇宙・生命の本質を追及して多様な手法で表しているような感じがした。
絵画を観ることによってもたらされる、静かな興奮を鎮めながら、緑の公園を抜けて目黒駅に向かう。
権之助坂でなく、あえて住宅街を歩いてみよう。
田道庚申塔群、庚申待ちを三年18回やりとげたときに青面金剛、日月、三猿などを浮き彫りにした塔を作った。
延宝5年(1677)から正徳3年(1713)にかけて作られたんだって、ちょっと想像してみる、3百年目の農民たちが夜を徹して飲食を共にして語りあっていた様を。
今の若者たちがハロウインで騒ぎ明かすようなものだったのかな。
立ち話をしていた人たちに、目黒駅の方向を尋ねてみると、住宅街は分かりにくいのでと権之助坂の方を教える、「いや、迷ってみたいので、方向だけ確かめたかったのです」、変な爺だね。
うんざりするような坂を見るだけでうんざりしたので、たいらな道を行こうかと、通りかかったお姉さんに、こっちでもいいかと訊くと、こっちです、とキッパリ坂を指す。
人の世は重き荷をしょい坂道を行くが如し、そんなことを誰かが言っていたかどうか、それほど重くもないトートバックを肩に、傘をさして頂上を制覇、三田の地名表示になっている。
こんなところにホテルがいくつもあるとは知らざりき。
目黒駅でアトレのトイレを借りて、バスに座ってスマホをチェックしながら帰宅。
(曙 姫栗最中 白餡 うまくて二つ食ってしまった)
前回はいつだったっけ、あの日も雨だったなあ、あの時の帰り道を逆に辿って目黒駅行きのバスに乗り大鳥神社前で降りる。
こんなに遠かったかと距離感がおかしくなっている。
いろんな行き方があり、散歩の途中でおもわぬときに出くわしたりしているから、記憶がごちゃまぜになっている。
美術館に併設された区民ギャラリーの、それほど広くはない部屋に入って、すぐに池田君の姿を見つけたが、人と話しているので、先ず彼の絵を観る。
A・R・ストーンズ氏を顕彰する一枚。
貧しい野尻湖畔の信濃町の人びとのために、カナダの農機具を教え、いま幻の名産となったトウモロコシの品種改良を行い、ルバーブの栽培も教えた人。
遭難した洞爺丸に乗り合わせて、泳げない日本人に自分の救命具を与えて自らは亡くなった(三浦綾子「氷点」に出てくる)。
池田君は野尻湖の近くに住んで、ストーンズ氏の顕彰碑建立にも参加し、いまも彼の偉業を伝え続けている。
「中村哲さんのような人だったんだよな、貧しい人、困っている人を見るとほっておけなかったんだ」という。
ストーンズ氏のやさしく誠実な人柄がまっすぐに伝わってくる絵だ。
「土を愛し人を愛し神を愛せよ」という字はストーンズ氏の直筆を写したのだという。
ルバーブ、トウモロコシ、農機具の絵のひとつひとつに池田君の感謝の心がこめられている。
背景のブルーも美しい、野尻湖に写った信濃町の青空の色だろうか。
もう一枚は、イスラエルによるガザへのジェノサイドに抗議する絵だ。
アブラハムの子孫、兄弟であるアラブ人とユダヤ人は兄弟のように暮さなければならない(ロスチャイルド)。
イギリスの二枚舌外交の結果、パレスティナ人は抵抗の印にスイカを切って持ち歩いたこと(イスラエルがパレスチナの旗を持ち歩くことを禁じたため)。
我々ユダヤ人はアラブ人の人々に完全な自由を保障すること、そしてアラブの人々にどんな態度で臨むかが民族としての我々の道徳水準を試される試金石となっている(アインシュタイン)。
「イスラエル大使館にも招待状を送ればよかった」と僕。
たまたま二人の女性の出品者が居合わせて、池田君の紹介でお話しを聞きながら鑑賞することができた。
ひとりは、イザナミが黄泉の国に堕ちて雷神を生む神話などをモチーフにして、和紙を使って精妙な線描を見せて、もうひとりは、子どもの頃に深層心理に刻印されたモノを形に作る。
そのほか在原業平の末裔という人が描いた釈迦の線描(黒字に金箔がうかぶ)とか、鉱石の破片を顕微鏡で撮った、まるで人間が描いた抽象画のような写真とか、生命の源を植物に託して描いたような絵とか。
それぞれの出品者の画風が異なる。
それが、なんだか出品者が競って、宇宙・生命の本質を追及して多様な手法で表しているような感じがした。
絵画を観ることによってもたらされる、静かな興奮を鎮めながら、緑の公園を抜けて目黒駅に向かう。
権之助坂でなく、あえて住宅街を歩いてみよう。
田道庚申塔群、庚申待ちを三年18回やりとげたときに青面金剛、日月、三猿などを浮き彫りにした塔を作った。
延宝5年(1677)から正徳3年(1713)にかけて作られたんだって、ちょっと想像してみる、3百年目の農民たちが夜を徹して飲食を共にして語りあっていた様を。
今の若者たちがハロウインで騒ぎ明かすようなものだったのかな。
立ち話をしていた人たちに、目黒駅の方向を尋ねてみると、住宅街は分かりにくいのでと権之助坂の方を教える、「いや、迷ってみたいので、方向だけ確かめたかったのです」、変な爺だね。
うんざりするような坂を見るだけでうんざりしたので、たいらな道を行こうかと、通りかかったお姉さんに、こっちでもいいかと訊くと、こっちです、とキッパリ坂を指す。
人の世は重き荷をしょい坂道を行くが如し、そんなことを誰かが言っていたかどうか、それほど重くもないトートバックを肩に、傘をさして頂上を制覇、三田の地名表示になっている。
こんなところにホテルがいくつもあるとは知らざりき。
水素ステーション、初めて見る。
こういう店、シンガポールでもたくさん見たな。
目黒駅でアトレのトイレを借りて、バスに座ってスマホをチェックしながら帰宅。
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tsunojirushi at 2024-10-06 16:07
「やさしく誠実」でありたいと切望します。
全然ダメですが。
さっき、お書きになられてた等々力のお蕎麦屋さん(天板焼きになったと見えた)の業態を調査(食べたかっただけ)してきました。面白いことがわかりました。今度、ブログに書いてみますね。
全然ダメですが。
さっき、お書きになられてた等々力のお蕎麦屋さん(天板焼きになったと見えた)の業態を調査(食べたかっただけ)してきました。面白いことがわかりました。今度、ブログに書いてみますね。
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irugi0322go at 2024-10-06 16:24
見慣れた母子像にロックオンしちゃいました
長男宅サポートで月に数度権之助坂を上り降りしてます
目黒美術館に併設されている区民ギャラリーにいらしたんですね
私もその隣の図書館に孫を連れてよく訪れています
長男宅サポートで月に数度権之助坂を上り降りしてます
目黒美術館に併設されている区民ギャラリーにいらしたんですね
私もその隣の図書館に孫を連れてよく訪れています
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jyariko-2 at 2024-10-06 16:41
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eblo at 2024-10-06 17:26
saheiziさんのようなへそ曲がりにはナビより私が使っていたものの方が合うかも。
出発地点への方角と距離しか出ません。
方向音痴に関しては誰にも負けない自信があります。
ただ、流石に犬の散歩の度に迷子になるのも…。
ということで探して、結局ナビではなくこれを選びました。
器械に命令されて歩きたくないですよね。
ということは、私もへそ曲がり?
出発地点への方角と距離しか出ません。
方向音痴に関しては誰にも負けない自信があります。
ただ、流石に犬の散歩の度に迷子になるのも…。
ということで探して、結局ナビではなくこれを選びました。
器械に命令されて歩きたくないですよね。
ということは、私もへそ曲がり?
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saheizi-inokori at 2024-10-06 18:35
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saheizi-inokori at 2024-10-06 18:41
> irugi0322goさん、前回は中目黒から行って大鳥神社経由で帰りました。青葉台に住んでいたこともあるのですが、目黒美術館近辺を知ったのは最近のことです。
坂道がややシンドイけれど、また歩こうと思います。
坂道がややシンドイけれど、また歩こうと思います。
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saheizi-inokori at 2024-10-06 18:44
> jyariko-2さん、一茶を愛しストーンを尊敬し、故郷を愛し続ける池田君を私は敬愛します。
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saheizi-inokori at 2024-10-06 18:47
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mackworld at 2024-10-06 19:08
■中華食堂がよかですなぁ、量もたっぷりのがっつり系で若者や学生さんには喜ばれていそう。団塊世代にはちときついかも。
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saheizi-inokori at 2024-10-06 20:38
> mackworldさん、わっしにもきつそうです。
A・R・ストーンズ氏がルバーブの栽培を教えた方なのですか。
かなり前に太田愛人著『辺境の食卓』でジャムを作ったと書いてあって初めて知って印象的でした。
その後もルバーブを見ましたしジャムも食べました。
中村哲さんのような人に日本も助けられていたのですね。
かなり前に太田愛人著『辺境の食卓』でジャムを作ったと書いてあって初めて知って印象的でした。
その後もルバーブを見ましたしジャムも食べました。
中村哲さんのような人に日本も助けられていたのですね。
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saheizi-inokori at 2024-10-07 11:03
by saheizi-inokori
| 2024-10-06 14:15
| こんなところがあったよ
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