天然ウナギ
2024年 07月 27日
オリンピックの開会式の模様を流しながら大掃除。
ときどき手を休めて、「お、かっこいい」と見入ったりもした。
ちょうど掃除がすんで、体操をはじめるころに、金属製の馬にまたがった騎手がセーヌ川の上を疾走してくるのは、とくにかっこよかった。
東京オリンピックは、コロナ禍をおしてむりやり強行したアベ、森、小池などの顔がちらついて開会式なんか!という気持ちがあったせいか、ニュース番組でチラ見するその演出もドンくさい感じがした。
それでなおさらパリがカッコいい、と思うのかもしれない。
でもフランス国内にも、オリンピックどころじゃないだろ、と白眼視する人たちもいるのだろうか。
きのうはいつもの寿司屋同期会。
前回、とつぜんの歯痛で欠席したので、次回の予定を知らないでいたら、おととい幹事が電話で出欠を訊いてきた。
幹事はいつもおなじU君、かならず事前に確認の電話をくれるのだが、曰く、もう忘れっぽくなったので、電話確認は勘弁してくれ、これからは自己責任でということになった。
ラインで、と言っても「そういうの苦手」というだろうな。
いつもは歩いて行くのだが、途中までバスに乗った。
降りるとM君も降りてきた。あとから乗りこんだのを気がつかなかったのだ。
このまま会場に行くと、20分くらい早くついて、お店は時間きっかりにしか開かない。
僕はその時間をあたりの散歩にあてようと思っていたのに、彼はそれは勘弁してくれという。
朝刊の週刊現代の広告に「怒りっぽい世田谷じいさん」という見出しがあったのを思い出して、立ち読みをする。
おっとりした老人が多いというイメージの世田谷で、なにかといえば直ぐ怒る老人が増えている、という埒もない話、老化を防ぐには、、のマクラ記事だった。
8人のうち3人が欠席したのは、いろいろ理由があるけど、暑さのせいかもしれない。
僕は逆流性食道炎騒動以来、なかで一度だけMちゃんがきた時に、ワインを飲んだきり、ほぼ一ヶ月禁酒で過ごした。
40度のぬる燗で、おそるおそる一口、ああ、じつにうまい。
ゆっくり呑み、食べるのも、極力ゆっくりよく噛んで食った。
ゆっくりの方がうまい。
そうとうゆっくりのつもりだったが、よくみればみんなの方がもっとゆっくりではないか。
昭和40年入社、懐旧談が多い、だんだん露悪的「いまだから話そう」みたいな話が出て、思えば昔はよかったとなる。
国鉄末期、赤字のなかで「よかった」ことが多かったことが、ますます経営悪化を招いたのかもしれない。
それでも僕たちの「良かった」の程度は、先輩たちのそれに比べたら微々たるものであった。
民間に就職した友人たちに比しても。
俺たちはみんな、アルハラの被害者であり加害者でもあったなあ、というけど、僕は酒を強いた記憶はない、また、酒の強い先輩上司に酒の付き合いで泣かされたこともない。
そんなことを想いながら、やはり、もう一本頼む。
早世した友人の思い出話。
同期ですべてを仕切った葬式の後、有志で新宿のクラブ(故人行きつけ)に行って、僕が泣いたとMがいう。
日本シリーズの日に葬式を手伝ったことはありありと覚えているが、そのあと、みんなで呑みに行ったこと、まして、泣いたことなどすっかり忘れていた。
仙台で見習い時代、寮の同じ部屋にいて、彼は都立西高出身のお坊ちゃん、僕は長野出で、大学時代も寮に暮らしたガサツな男、なにかと衝突することが多かった。
自分の至らなさが少しはわかるようになって、もっと親しくしようと思っていたのに、逝ってしまった。
後に遺された奥さんが亡くなったときは、彼女との付き合いもなかったけれど、葬儀に参列もした。
そんなことを想い、語り、故人の「悪気のない」悪事も披露された。
きのうのベスト、琵琶湖の天然鰻、白焼き、レモンをしぼって山葵で食う。
香ばしさと上品な脂が、なんともいえない。
ほんの一切れというような小ささが僕にはちょうどよかった。
もどりまではいかない、気仙沼あたりで遊んでいたカツオ。
ニンニク醤油、僕はカツオときたら目がない、でもどちらかと云えば生姜で食う初ガツオの方が好き。
これは初ガツオのほのかな苦みも残しつつ脂ものった逸品であった。
ウニが出ると必ず北海道勤務をした男がバフンウニをたらふく食った話をする。
僕の仙台の思い出の肴は、ホヤだ、いまあんなホヤは食えなくなった。
握ってもらうのは、シンコをダブルで頼んだ。
それだけ、マグロも海苔巻きもいらない、十分満ち足りてシジミの味噌汁をすすった。
帰りは同じ方向の三人がタクシーに相乗り、途中で二人おろして、家の前で降りようとしたら着信、助手席に乗った男が財布をシートに置き忘れた由、そのまま取って返して厚ぼったい財布を渡す。
電話が間に合ってよかったね。
ときどき手を休めて、「お、かっこいい」と見入ったりもした。
ちょうど掃除がすんで、体操をはじめるころに、金属製の馬にまたがった騎手がセーヌ川の上を疾走してくるのは、とくにかっこよかった。
東京オリンピックは、コロナ禍をおしてむりやり強行したアベ、森、小池などの顔がちらついて開会式なんか!という気持ちがあったせいか、ニュース番組でチラ見するその演出もドンくさい感じがした。
それでなおさらパリがカッコいい、と思うのかもしれない。
でもフランス国内にも、オリンピックどころじゃないだろ、と白眼視する人たちもいるのだろうか。
きのうはいつもの寿司屋同期会。
前回、とつぜんの歯痛で欠席したので、次回の予定を知らないでいたら、おととい幹事が電話で出欠を訊いてきた。
幹事はいつもおなじU君、かならず事前に確認の電話をくれるのだが、曰く、もう忘れっぽくなったので、電話確認は勘弁してくれ、これからは自己責任でということになった。
ラインで、と言っても「そういうの苦手」というだろうな。
いつもは歩いて行くのだが、途中までバスに乗った。
降りるとM君も降りてきた。あとから乗りこんだのを気がつかなかったのだ。
このまま会場に行くと、20分くらい早くついて、お店は時間きっかりにしか開かない。
僕はその時間をあたりの散歩にあてようと思っていたのに、彼はそれは勘弁してくれという。
カフエに行くほどでもないし、目の前のコンビニに入って、M君は冷たいお茶を、僕は持っていった水筒の水を飲みながら、店内見物して過ごした。
彼はコロナ明けで、病身の奥さんが施設に退避しているので、一人で冷凍食品を使ったりもしている。
セブンのコロッケは捨てたものじゃないと、フアミマで、声が高い、殿中でござるだ。
彼はコロナ明けで、病身の奥さんが施設に退避しているので、一人で冷凍食品を使ったりもしている。
セブンのコロッケは捨てたものじゃないと、フアミマで、声が高い、殿中でござるだ。
若い頃からのグルメのいうことだから信用できそうだ。
朝刊の週刊現代の広告に「怒りっぽい世田谷じいさん」という見出しがあったのを思い出して、立ち読みをする。
おっとりした老人が多いというイメージの世田谷で、なにかといえば直ぐ怒る老人が増えている、という埒もない話、老化を防ぐには、、のマクラ記事だった。
8人のうち3人が欠席したのは、いろいろ理由があるけど、暑さのせいかもしれない。
僕は逆流性食道炎騒動以来、なかで一度だけMちゃんがきた時に、ワインを飲んだきり、ほぼ一ヶ月禁酒で過ごした。
40度のぬる燗で、おそるおそる一口、ああ、じつにうまい。
ゆっくり呑み、食べるのも、極力ゆっくりよく噛んで食った。
ゆっくりの方がうまい。
そうとうゆっくりのつもりだったが、よくみればみんなの方がもっとゆっくりではないか。
昭和40年入社、懐旧談が多い、だんだん露悪的「いまだから話そう」みたいな話が出て、思えば昔はよかったとなる。
国鉄末期、赤字のなかで「よかった」ことが多かったことが、ますます経営悪化を招いたのかもしれない。
それでも僕たちの「良かった」の程度は、先輩たちのそれに比べたら微々たるものであった。
民間に就職した友人たちに比しても。
俺たちはみんな、アルハラの被害者であり加害者でもあったなあ、というけど、僕は酒を強いた記憶はない、また、酒の強い先輩上司に酒の付き合いで泣かされたこともない。
そんなことを想いながら、やはり、もう一本頼む。
早世した友人の思い出話。
同期ですべてを仕切った葬式の後、有志で新宿のクラブ(故人行きつけ)に行って、僕が泣いたとMがいう。
日本シリーズの日に葬式を手伝ったことはありありと覚えているが、そのあと、みんなで呑みに行ったこと、まして、泣いたことなどすっかり忘れていた。
仙台で見習い時代、寮の同じ部屋にいて、彼は都立西高出身のお坊ちゃん、僕は長野出で、大学時代も寮に暮らしたガサツな男、なにかと衝突することが多かった。
自分の至らなさが少しはわかるようになって、もっと親しくしようと思っていたのに、逝ってしまった。
後に遺された奥さんが亡くなったときは、彼女との付き合いもなかったけれど、葬儀に参列もした。
そんなことを想い、語り、故人の「悪気のない」悪事も披露された。
きのうのベスト、琵琶湖の天然鰻、白焼き、レモンをしぼって山葵で食う。
香ばしさと上品な脂が、なんともいえない。
ほんの一切れというような小ささが僕にはちょうどよかった。
もどりまではいかない、気仙沼あたりで遊んでいたカツオ。
ニンニク醤油、僕はカツオときたら目がない、でもどちらかと云えば生姜で食う初ガツオの方が好き。
これは初ガツオのほのかな苦みも残しつつ脂ものった逸品であった。
ウニが出ると必ず北海道勤務をした男がバフンウニをたらふく食った話をする。
僕の仙台の思い出の肴は、ホヤだ、いまあんなホヤは食えなくなった。
握ってもらうのは、シンコをダブルで頼んだ。
それだけ、マグロも海苔巻きもいらない、十分満ち足りてシジミの味噌汁をすすった。
帰りは同じ方向の三人がタクシーに相乗り、途中で二人おろして、家の前で降りようとしたら着信、助手席に乗った男が財布をシートに置き忘れた由、そのまま取って返して厚ぼったい財布を渡す。
電話が間に合ってよかったね。
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unjaku at 2024-07-27 13:53
saheijiさん こんにちは。
オリンピックの開会式、見ちゃいましたよ!
saheijiさんと同じで、金属製の馬が疾走するシーンは、
格別に素晴らしかったなぁ!!
おかげで、東京オリンピック開会式のどんくささを否が応でも
思い出してしまった。ああ・・朝から胸糞悪い。
今日は夕方からさっそくバレーボールの試合を見る。
私もこの1か月、ほとんどアルコールをのんでいない。
なんか物足りない、食欲もわかない。
麦茶か冷えた水を飲んでるくらい。
夏痩せするかなぁ?水太りかなぁ?
西の空には、元気な入道雲が空高く湧き上がっている。
オリンピックの開会式、見ちゃいましたよ!
saheijiさんと同じで、金属製の馬が疾走するシーンは、
格別に素晴らしかったなぁ!!
おかげで、東京オリンピック開会式のどんくささを否が応でも
思い出してしまった。ああ・・朝から胸糞悪い。
今日は夕方からさっそくバレーボールの試合を見る。
私もこの1か月、ほとんどアルコールをのんでいない。
なんか物足りない、食欲もわかない。
麦茶か冷えた水を飲んでるくらい。
夏痩せするかなぁ?水太りかなぁ?
西の空には、元気な入道雲が空高く湧き上がっている。
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saheizi-inokori at 2024-07-27 14:53
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ikuohasegawa at 2024-07-29 07:40
「懐旧談が多い、だんだん露悪的「いまだから話そう」みたいな話が出て、思えば昔はよかったとなる。」我が集まりも同様です。
その後は健康・不健康、医者、薬。ですよ。
その後は健康・不健康、医者、薬。ですよ。
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by
saheizi-inokori at 2024-07-29 10:12
> ikuohasegawaさん、ちょっと前まではどれほど自分が大変な病気持ちかを競い合ったのに、いまは軽さを自慢するようになりました。
by saheizi-inokori
| 2024-07-27 13:38
| 気になる店・ひと皿
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Comments(4)