受験国語が苦手
2024年 06月 20日
サンチの食欲減退、いろんな薬を飲ませるのが一苦労だ。
少しは食べる缶詰とかリンゴにまぜてやっても、キレイに薬だけ吐き出してしまう。
二人がかりで強引に口を開かせて、喉の奥に押し込むのだが、猛烈な勢いで顔をふり、口を閉ざそうとするのでなかなかうまくいかない。
食べてくれえ、吞んでくれえ。
月曜日の東京新聞夕刊に角田光代の「偏愛日記」が、載っていて、この回は「小説は読み手のもの メッセージはありません」と題して、作家として「この小説にこめたメッセージはなにか」と聞かれるのがいちばん困るとあった。
小説は出版されたのちは読み手のもので、どういう読み方をしようと、それは読み手の自由だ。
だから、読み手が「勝手に」メッセージを受け取ることはできても、書き手がこめるのはむずかしい。
国語のテストで、自作が出題された作家が「主人公の気持は」「作者の言いたいことは」、次のうちどれみたいな問題を解こうとして不正解だったという事例は多い。
書いた本人でさえ、正解がわからずに、いや正解なんてわからないこそ、小説を書いているのだろう。
角田も受験勉強で、国語の問題の解き方を教わり、衝撃を受けたという。
それは「読む」読みかたではなくて「解く」読みかた。直近の指示語と名詞を組み合わせて論理的に答えを導き出す。
それは、小説の読みかたではない、と。
僕も、本が好きで、文章を書くのも好きな子供だったのに、高校生になって受験国語の問題にはとまどった。
旺文社の「傾向と対策」とか、文化放送だったかの受験番組で、正解を導き出すためのノウハウを教わって、それからは、得意科目になったけれど。
それは志望校に合格するための身すぎ世過ぎとでも言うべきもので、そうやって読む小説は面白くもなんともない。
だから、今頃になって、教科書に載っていた小説を読むと、あ、こんなに面白かったのかと驚くことがある。
受験のための国語は、漢字とか文法とか古文の読解などにとどめる方が文学嫌いが減るかも知れない。
漱石はどんな題名の小説を書いたか、みたいな常識問題もあってもいいか。
ミシェル・ウルベックの「服従」、おもしろがって、読んでいたら、デジャブ、読んだことがある感がしてきた。
自分のブログを検索したら、やっぱり、三年前に読んでいた。
おりしも、フランスは総選挙で時機を得た小説だけど、再読するほどの食欲はわかなかった。
駒場の古本屋で200円で買ってきた本、図書館に返さなくてもいいから、もう少し経ってから読もう。
代りに、我が家の書棚で、長いこと積読になっていた、ラファエル・コンフィアン「コーヒーの水」を読むことにした。
1999年出版、前世紀から積読、引越しのたびに処分を免れて、ついてきた、ついにその辛抱が報われるときがきたぞ、コーヒーの水さん。
コーヒーの水という名の千里眼の女が主人公らしい。
カリブ海マルティニック島のクレオール語で小説や詩を書いていた男の、フランス語の小説。
読み始めると、すぐに魔法の国、神話の世界に行ったような気になる。
メッセージなどを気にせず楽しめそうだ。
少しは食べる缶詰とかリンゴにまぜてやっても、キレイに薬だけ吐き出してしまう。
二人がかりで強引に口を開かせて、喉の奥に押し込むのだが、猛烈な勢いで顔をふり、口を閉ざそうとするのでなかなかうまくいかない。
食べてくれえ、吞んでくれえ。
月曜日の東京新聞夕刊に角田光代の「偏愛日記」が、載っていて、この回は「小説は読み手のもの メッセージはありません」と題して、作家として「この小説にこめたメッセージはなにか」と聞かれるのがいちばん困るとあった。
小説は出版されたのちは読み手のもので、どういう読み方をしようと、それは読み手の自由だ。
だから、読み手が「勝手に」メッセージを受け取ることはできても、書き手がこめるのはむずかしい。
国語のテストで、自作が出題された作家が「主人公の気持は」「作者の言いたいことは」、次のうちどれみたいな問題を解こうとして不正解だったという事例は多い。
書いた本人でさえ、正解がわからずに、いや正解なんてわからないこそ、小説を書いているのだろう。
角田も受験勉強で、国語の問題の解き方を教わり、衝撃を受けたという。
それは「読む」読みかたではなくて「解く」読みかた。直近の指示語と名詞を組み合わせて論理的に答えを導き出す。
それは、小説の読みかたではない、と。
僕も、本が好きで、文章を書くのも好きな子供だったのに、高校生になって受験国語の問題にはとまどった。
旺文社の「傾向と対策」とか、文化放送だったかの受験番組で、正解を導き出すためのノウハウを教わって、それからは、得意科目になったけれど。
それは志望校に合格するための身すぎ世過ぎとでも言うべきもので、そうやって読む小説は面白くもなんともない。
だから、今頃になって、教科書に載っていた小説を読むと、あ、こんなに面白かったのかと驚くことがある。
受験のための国語は、漢字とか文法とか古文の読解などにとどめる方が文学嫌いが減るかも知れない。
漱石はどんな題名の小説を書いたか、みたいな常識問題もあってもいいか。
ミシェル・ウルベックの「服従」、おもしろがって、読んでいたら、デジャブ、読んだことがある感がしてきた。
自分のブログを検索したら、やっぱり、三年前に読んでいた。
おりしも、フランスは総選挙で時機を得た小説だけど、再読するほどの食欲はわかなかった。
駒場の古本屋で200円で買ってきた本、図書館に返さなくてもいいから、もう少し経ってから読もう。
代りに、我が家の書棚で、長いこと積読になっていた、ラファエル・コンフィアン「コーヒーの水」を読むことにした。
1999年出版、前世紀から積読、引越しのたびに処分を免れて、ついてきた、ついにその辛抱が報われるときがきたぞ、コーヒーの水さん。
コーヒーの水という名の千里眼の女が主人公らしい。
カリブ海マルティニック島のクレオール語で小説や詩を書いていた男の、フランス語の小説。
読み始めると、すぐに魔法の国、神話の世界に行ったような気になる。
メッセージなどを気にせず楽しめそうだ。
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tsunojirushi at 2024-06-20 12:45
深く共感します。
まさしく、Don't think. Feel.ですね。
読み手その人だけに生まれる反応こそが、面白いのだと思っています。
まさしく、Don't think. Feel.ですね。
読み手その人だけに生まれる反応こそが、面白いのだと思っています。
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nanamin_3 at 2024-06-20 14:02
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saheizi-inokori at 2024-06-20 16:02
> tsunojirushiさん、だからほんとはナンベン繰り返して読んでもいいのですけどね。日々こちらも変化するから。
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saheizi-inokori at 2024-06-20 16:03
> nanamin_3さん、無味乾燥にバラしてしまうのですね。
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etinarcadiareni at 2024-06-20 16:23
最近、あらゆる作品の考察がネットで出回るので、
自分の見方や、読み方が、間違えていたのではないか。とか。
読解力が無い(これは事実だけど)ので、小説などの作り手に、少し申し訳ない気持ちを抱きつつ、好きに読んで、受け取っていたけれど。
記事のように、語って頂けると、気が楽になり、読みやすくなりました。
(アートのように、何故だか、わからないと、読んじゃいけない気持ちになるのです。)
自分の見方や、読み方が、間違えていたのではないか。とか。
読解力が無い(これは事実だけど)ので、小説などの作り手に、少し申し訳ない気持ちを抱きつつ、好きに読んで、受け取っていたけれど。
記事のように、語って頂けると、気が楽になり、読みやすくなりました。
(アートのように、何故だか、わからないと、読んじゃいけない気持ちになるのです。)
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saheizi-inokori at 2024-06-20 17:54
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たま
at 2024-06-20 19:15
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かの蜻蛉日記を”とんぼにっき”と答えて笑われた国語大嫌い人間でした由
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福
at 2024-06-21 06:23
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丸谷才一が小林秀雄の評論を受験問題にすることの愚を指摘していました。
ある接続詞の使い方がどうにも解せない、とか言いながら。
当の小林も、姪っ子が持参してきた文章を、
よくわからんもんだと訝りながら読むと、自分のものだった、
そんな落語のマクラのようなことを書いていました。
ある接続詞の使い方がどうにも解せない、とか言いながら。
当の小林も、姪っ子が持参してきた文章を、
よくわからんもんだと訝りながら読むと、自分のものだった、
そんな落語のマクラのようなことを書いていました。
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saheizi-inokori at 2024-06-21 10:32
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saheizi-inokori at 2024-06-21 10:33
by saheizi-inokori
| 2024-06-20 11:46
| よしなしごと
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