佐藤嘉尚 「潜る人 ジャック・マイヨールと大崎映晋」(文藝春秋) |
マイヨールは日本が好きで特に世界的な水中カメラ撮影(本のカバーは映晋が世界水中写真コンテストでアカデミー賞を受賞した海女の写真)の先駆者である大崎映晋を兄とも親友とも慕い映晋のダイビングの弟子・成田均を”ドルフイン・ブラザー”と呼んで実の兄弟のように親しんだ。お互いに言葉は通じなくても気持ちがよく分かるのをジャックはイルカとの交情にたとえた。70年に76メートルという当時の世界記録を伊豆半島・富戸で達成したのは映晋・成田のサポートによる。

子供の頃から海にもぐることを何よりも愛した大崎とマイヨールの人生をたどりどのように彼らがめぐり合いどのように交友を深めて行ったか。
読んでいると「やはり高貴な血筋というのはあるんだなあ」とヘンな感想を抱いてしまうのが大崎の人生だ。15世紀半ばには東北一円を支配下に置いたこともあったという「大崎一族」、その末裔が映晋だ。すでに落ちぶれて財産もなく大崎一族といっても誰も分からなくなっていても映晋の伸び伸びとやりたいことをやる行きかた、自らの利を図るのではなく地方の海女などをいつくしむ生き方、マルチ人間として苦労はしても行くところ可ならざるはなく日本のトップ(正力、五島昇、日高孝次、石原慎太郎、、みんな彼を顧問にしたがった)ばかりか世界に知己をつくっていく。「大地」の著者、パール・バックが「大津波」のロケに来たときはすっかり意気投合して毎晩遅くまで話し込む。
海女の風俗・習慣などの話が入り口になり、話題は縦横無尽、東西南北、上下左右、あらゆる方向に自由に跳び回り
海に囲まれた日本が実際には「海洋国家」としての文化を大事にせず国際的にはお粗末極まりないことを嘆きつつ獅子奮迅の活躍をする。
50年かけて「世界水中考古学事典」を脱稿する(90年)。単行本にすれば百冊はあるだろうという原稿、無数の図版。未だに出版元が決まらないのだ。
宮内庁の依頼で皇居のお堀にもぐって石垣が水面下でどのように作られているかを調査する。石垣を支えているのは松の丸太を重ねて作った筏であることが分かる。その松の木が腐敗するどころか化石化するほど固くなっていることを発見するのだ。400年を超えてびくともしない構造は先人たちの素晴らしい土木技術・哲学(世界に誇るべき)があったことを明らかにする。
映晋より7つ若く上海に生まれたジャック・マイヨール。やはり幼い頃から水中が大好き。一箇所にじっとしていない。世界中をヒッチ・ハイク、放浪する。どこに行ってももぐる。女性が好きですぐ仲良くなるが同時に複数のひととは付き合わない。”純情”だって!

30歳のときにマイアミ水族館でイルカの調教を頼まれる。そこでクラウンというメスのイルカに一目ぼれする。
調教師というけれども自分がクラウンに教えられることなんて何もないことに気がついた。むしろ逆に、水の中をどうやれば彼女のように優雅に美しく素早く泳ぐことが出来るのかを、自分が教わりたいのだ。彼は
「人類は万物の霊長である」という考えをキッパリと捨て、調教師などではなくジャック・マイヨール個人として、まっさらな裸の自分になってクラウンの領域にこちらから謙虚にいれさせてもらうという姿勢に成ることを決意してダイビング・スーツを脱ぎ手ぶらでプールに入る。それを待っていたかのようにクラウンはジャックに泳ぎ方を、水の中に溶け込む方法を教え始めた。グラン・ブルーの世界が開いたのだ。
50メートル以上もぐると人間は死ぬ、といわれていた。それを次から次へと記録を更新して76年ついに100メートルに到達。人類で始めて100メートルを超えたことはアームストロング船長の月着陸と並べて賞賛される快挙であった。
しかし死と常に向き合い海の美しさ、イルカたちの素晴らしさを感じれば感じるほどジャックの「ホモ・デルフイネス」主義の考え方ー海と地球の現状と将来に対する危惧に基づくーが深まっていく。
もし、われわれ人間の思考と精神に、われわれのきょうだいであるイルカたちのインスピレーションが少しでもあったなら、傷ついてしまったわれわれ共通の惑星地球は、またパラダイスに戻ることが出来るだろう
人間がこの惑星で生き延びていくためには、われわれがすでに手にしたテクノロジーを半分手放す勇気と決断と努力が必要だジャックが成田に建ててもらった館山の家に来て海で遊び疲れると二人はしょっちゅう”ドルフイン・コンタクト”で話をした。そのときのジャックの印象に残った言葉を成田がメモした中の一部だ。
われわれは海でもっと遊ばなければいけない。なぜならわれわれは海の生物から進化したものだから、母なる海に抱かれていれば、これからわれわれがどう生きて行けばよいかが見えてくるだろうからだ。
ジャックは99年「HOMO DELPHINUS<The Dolphin within Man>」という超豪華本を出版する。それをもってジャックは映晋のところにやってくる。
私はいま日本と日本人に最後の地球の望みをつないでいるのです。ジャックが今まで一番癒された国は日本だといい、その日本でこの本を出版したい。力になってくれと言う。
映晋は画策するが出版社は首を縦に振らない。
2001年エルバ島でジャックは首をくくって死ぬ。74歳。病院の霊安室に駆けつけた成田はそこに葬儀屋とジャックの家の管理人しかいないのを見て寂しすぎると思う。
成田はジャックの死の意味を考え続ける。ふたつだけ思いつく。
ひとつは、ジャック・マイヨールはジャック・マイヨールであることに疲れ切ったのだ、ということ。もうひとつは、ジャックの死は日本の武士の「諫死」のようなものだったのではないかということだった。ジャックは、大好きな地球と人類と、もしかしたらとりわけオレたち日本人を諫めるために、死んだのではないだろうか。
しかし、お別れの言葉では、そういうことには触れないで、ジャックがいかに日本人に愛され、そしていかに日本および日本人を愛したか、を話した。
俺は著者・カショーさんと若干のお付き合いがあった。秋田出身のシャイなロマンチスト。「面白半分」という雑誌を編集・発行したり(「四畳半襖の下張り」で猥褻裁判)ペンションを経営したり伊能忠敬をしのんで歩け歩けのイベントをしかけたり・・愉快な行動人。この本は最初のうちは居住まいを正しているが段々興に乗ってくるとカショーさんの”地”がのぞいてくる。特にちょっとスケベなこととか(パール・バックと上下左右の話って?)。それにしてもカショーさん、よほど映晋に惚れましたね。


「潜る人」という、タイトルだけではなんだかよく分からない本を著者の方から頂戴し、一気に読了しました。副題は「ジャック・マイヨールと大崎映晋」、帯のあおりは「あのジャック・マイヨールの世界記録を支えた日本人がいた・・・・・・スリルと冒険に満ちた水中交遊録...... more

衣笠選手大好きです。どうしてるんでしょうね。
「日本人の心と建築の歴史」を今日これから読みます。
それにしてもsaheizi-inokoriさん、何時寝ているのですか?