イスラエルは癌細胞
2024年 06月 06日
呑川緑道を歩いていたら、大きな桜の木の根元に針のようなものを、何本も差し込んでいる。

世田谷区の名のはいった作業服の二人に尋ねると、木の老化度合を測定しています、いま、結果が出てくるので見てください、とのこと。

見せてもらうと、ああ、左側がかなりやられている。
「倒れてくると危ないですね、なんかを注入して強化することはできないのですか」「これ(上の大きな枝)を伐ればなんとかもつかもしれません」「残念ですね、せっかく見事な枝なのに」、ご苦労様ですと言ってその場を後にした。

久し振りに来たら、橋の手前の川が埋め立てられてブルトーザーが入っている。
なにをするのか、と立て看板を見たら裏返しになっていて、工事の目的がわからない。
変なものをつくらせるような区長ではないと思うが、ちょっと心配。

お上のやることを信用できなくて、いちいち疑惑の目をむけるのは因果なことだ。
「お上の事には間違いはございますまいから」、鷗外の「最後の一句」に出てくる、無法な裁きで獄門にされかかっている父親の命乞いにきた娘の痛烈な言葉だ。
3・11の時だったか、このブログで、政府批判をしていたら、コメントがあって、政府のやることだから精一杯のことをしていると思うし、新聞にそう書いてあるのだから信用すべきだ、というようなことをいわれて、そうか、そういう人も(大勢)いるのだな、とちょっと驚いた。

2004年に四方田犬彦がエルサレムから西岸のパレステイナ自治政府があるラマラ―の、ビル・ゼイド大学に文化研究家のスレイマン・エルラバデイ教授を訪ねたときの、教授の話。
たぶん、知識人は体制批判をしなければならない、ということすら弁えていない恥知らず。
さもあれば、テレビと新聞で物事を判断する多くの国民が、お上の言うことに疑いをもたないのも別段不思議はないのかもしれない。

四方田「見ることの塩」に、早尾貴紀というヘブライ大学研究員が登場する。
ヘブライ語に長け、アラビア語でも充分に意思疎通ができる俊秀で、ヘブライ大学の日本人留学生が、万事にユダヤ社会への帰属を前提とし、アラブ的なものを恐れるなかにあって、東エルサレムのパレステイナ人の集落で、詩人・ジャーナリストとして知られるサミーハ・アル・カーシムの息子とともに住むというユニークな存在だった。
この早尾氏が、四方田のガイドとして、西岸のみならず、2002年にイスラエルによる虐殺があったばかりのジェニンへも行を共にするのだ。
僕は早尾氏の名前を知ったのは去年、ガザに対するイスラエルの大虐殺をホロコーストと呼んで、彼の地の歴史を解き明かしつつも、厳しい批判と現地情勢をX上で、繰り返しているのを読んでのことだった。
四方田の本で、早尾の名前を見て、なんだか旧知に接したような感じがした。

(甲府、澤田屋「くろ丸」)
四方田はイスラエル国家を、禍々しい癌腫瘍を連想させるという。
それは入植地の存在、ぽつりぽつりと斑点のように点在し、それが臓器から臓器へと自在に転移する癌細胞の大元だ。
同じことを、音楽家のダニエル・バレンボイム、10歳からイスラエルに移住したアシュケナジーム、が議会でウオルフ賞を受賞した際の、議会における授賞式のスピーチで公言する。

世田谷区の名のはいった作業服の二人に尋ねると、木の老化度合を測定しています、いま、結果が出てくるので見てください、とのこと。

見せてもらうと、ああ、左側がかなりやられている。
「倒れてくると危ないですね、なんかを注入して強化することはできないのですか」「これ(上の大きな枝)を伐ればなんとかもつかもしれません」「残念ですね、せっかく見事な枝なのに」、ご苦労様ですと言ってその場を後にした。

久し振りに来たら、橋の手前の川が埋め立てられてブルトーザーが入っている。
なにをするのか、と立て看板を見たら裏返しになっていて、工事の目的がわからない。
変なものをつくらせるような区長ではないと思うが、ちょっと心配。

お上のやることを信用できなくて、いちいち疑惑の目をむけるのは因果なことだ。
「お上の事には間違いはございますまいから」、鷗外の「最後の一句」に出てくる、無法な裁きで獄門にされかかっている父親の命乞いにきた娘の痛烈な言葉だ。
3・11の時だったか、このブログで、政府批判をしていたら、コメントがあって、政府のやることだから精一杯のことをしていると思うし、新聞にそう書いてあるのだから信用すべきだ、というようなことをいわれて、そうか、そういう人も(大勢)いるのだな、とちょっと驚いた。

2004年に四方田犬彦がエルサレムから西岸のパレステイナ自治政府があるラマラ―の、ビル・ゼイド大学に文化研究家のスレイマン・エルラバデイ教授を訪ねたときの、教授の話。
1980年代まではまだイスラエル側の大学と共同でシンポジウムを開催したり、研究者どうしで対話をすることができたのだが、今ではとうてい考えられなくなった。今の日本の”知識人”の多くは、恥知らずだ。
知識人というのは、それがいかなる体制のもとであってもその体制を批判しなければならない人間であり、自分はアラファト体制への疑問をつねに公言してきた。だがイスラエルの知識人の大半は体制を支援する側に立って、残余は無感動しか示さない。これは恥ではないだろうか。
たぶん、知識人は体制批判をしなければならない、ということすら弁えていない恥知らず。
さもあれば、テレビと新聞で物事を判断する多くの国民が、お上の言うことに疑いをもたないのも別段不思議はないのかもしれない。

四方田「見ることの塩」に、早尾貴紀というヘブライ大学研究員が登場する。
ヘブライ語に長け、アラビア語でも充分に意思疎通ができる俊秀で、ヘブライ大学の日本人留学生が、万事にユダヤ社会への帰属を前提とし、アラブ的なものを恐れるなかにあって、東エルサレムのパレステイナ人の集落で、詩人・ジャーナリストとして知られるサミーハ・アル・カーシムの息子とともに住むというユニークな存在だった。
この早尾氏が、四方田のガイドとして、西岸のみならず、2002年にイスラエルによる虐殺があったばかりのジェニンへも行を共にするのだ。
僕は早尾氏の名前を知ったのは去年、ガザに対するイスラエルの大虐殺をホロコーストと呼んで、彼の地の歴史を解き明かしつつも、厳しい批判と現地情勢をX上で、繰り返しているのを読んでのことだった。
四方田の本で、早尾の名前を見て、なんだか旧知に接したような感じがした。

四方田はイスラエル国家を、禍々しい癌腫瘍を連想させるという。
それは入植地の存在、ぽつりぽつりと斑点のように点在し、それが臓器から臓器へと自在に転移する癌細胞の大元だ。
同じことを、音楽家のダニエル・バレンボイム、10歳からイスラエルに移住したアシュケナジーム、が議会でウオルフ賞を受賞した際の、議会における授賞式のスピーチで公言する。
イスラエルはそもそも植民地国家として考えられてはいなかったはずだ。この地域でのユダヤ人入植者は、人体にあって刻々と変化してゆく癌のようなものだ。分離壁のような行為は、抗争の本質をめぐる理解の欠如を証し立てている。
by saheizi-inokori
| 2024-06-06 11:35
| 今週の1冊、又は2・3冊
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