酒癖

記事の埋め草におやつの写真を載せていたら、それを載せた皿についてのコメントをいただいた。
菓子自体には僕も大いに興味があるけれど、皿のことはさらさら考えもしなかった。

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(淡路辨天堂 シュークリーム)

落語には、皿や茶碗が大事な役割で登場している。
茶屋の亭主がわざととぼけて名器で猫に飯を食わせて、目利きの客が猫を譲ってくれ、ついてはその皿もいっしょに、というと、この皿は名器だから、こっちの安物をもっていけという、名器をおとりにする「猫の皿」。
落ちぶれた乞食にご飯をやるから、面桶を出せというと、乞食が出したのは朝鮮渡来の名器、驚いた亭主に、如何に落ちぶれてもこれだけは手離せなかったというところから、乞食の素性が知れる「大仏餅」。
「井戸の茶碗」も落ちぶれた浪人がただひとつ大事にしていた茶碗が二つとない名器だったという噺。
鑑定名人との名が高い男が「はてな」と首をかしげるだけで、その茶碗は高い値がつく、その名人が茶店の茶碗を眺めてなんども「はてな」を繰り返すのを見ていた客が、もっていたもの全部と引き換えに譲り受けたけれど、それは名器でもなんでもないふつうの茶碗、ただどこにも傷がないのにお茶が漏るのが不思議で「はてな」を繰り返したというのが「はてなの茶碗」。
「お菊の皿」は、ごぞんじ番町皿屋敷を下敷きにした滑稽噺だ。

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会津坂下で一人暮らしをしていたときの朝飯は、フライパンに卵やホウレン草などを炒めて、台所でそのまま立ち食いをして出かけたこともなんどかある。
今でも納豆を容器のままかきまわして、そこから食すことも多い。
ことほど左様に、名器はおろか立派な食器などに縁のない人間ではあるけれど、見るだけで心地よい茶碗や皿はある。
コーヒーや茶の渋をきれいに落とした、まっしろな肌も気持ちがいい。
なかなか落ちないけれど。

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一息入れるコーヒータイムみたいな感じで拾い読みをしているが、傑作選とあるだけに読み始めると、どれも面白い。

喫茶店文学、っていうのは、たとえば神保町の「ラドリオ」を仕事場にしたような編集者・伊達得夫の話や、新宿・風月堂でウエイトレスをやり、そこで会った男と結婚した山崎朋子の自叙伝の一部みたいなのから、安田武の中学時代に遊びに行った本郷・落第横丁の「青木堂」「ブラック・バード」「鉢の木」(これはレストラン)の思い出などから、喫茶店を舞台にくりひろげられた文学運動をスケッチした埴谷雄高の「「夜の会」のこと」などなど、多岐にわたる。

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中原中也が「思い出す牧野信一」という、縊死した牧野の追悼文に、
牧野は酔うと仕方がないというのが牧野さんの周囲の人達の定説であったのであろう。そういう定説というものを云い出す方は案外呑気に云い出すのであるが、云われる方は辛いものである。おまけに牧野さんが酔うと発しはじめるのなぞは、当人に自制力がないよりも、周囲が彼にとってはあまりにも不真面目に見える所から起こるのであったと考うべき点もあるのであるから、そういう定説が呑気に繰返されることは辛かったのである。
と書いている。
この文章には、中原が牧野に初めてあった場所は、西銀座の「きゅべる」の二階だったとあって、そのときの同人雑誌の仲間二十人ほどがざわざわしているなかで、遅れて(かなり酔って)入ってきた牧野は、「僕、邪魔しないからねえ、邪魔はしないからねえ」と、ちょっとツカない挨拶をして坐った、とある。

そこで、あれ、待てよ、僕はスマホに訊ねる。
すると、西川清史の「泥酔文士」に、30歳で逝った「汚れちまった悲しみに」の詩人が、いったん酒が入ると手がつけられないようなひどい酒癖だったとあり、大岡昇平の思い出話や檀一雄の「小説 太宰治」の一節が載っていた。
尊敬する中原にとことん絡まれて逃げ出す太宰、友人として中原を懲らしめようと棍棒を持って待ち構える檀一雄。
中原は牧野にことよせて自分のことを書いていたようだ。
喫茶店文学としては「きゅべる」の名前しか登場しないけれど、詩人の孤独な魂を感じることができた。

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僕がいったことがある喫茶店でいちばん高かったのは1000円のコーヒーを飲ませた。
いまでは、そこらのカフエでもそのくらいのコーヒーは珍しくないけれど、30年ほども前のことだ。
とくにコーヒーが特別にうまいとは思わなかったが、それは僕がとくにまずいものは識別できるけれど、平均以上だとみんなうまいと思う味覚の持主だからだ。
そして、その店には、ずらっとコーヒーカップが並べてあり、その一つ一つが高価なものらしかった。
でも僕に出されたのは、ふつうにみえるカップ、もしかすると名器だったかもしれないけれど、僕には違いが分からなかった。
こんなことを書いても喫茶店文学にはならないね。

Commented by tsunojirushi at 2024-05-15 19:41
茶渋、過炭酸ナトリウム+熱湯で、さほどこすらずスッキリ落ちます。
もしも、お使いでなかったら、お試しください
m(_ _)m
Commented by k_hankichi at 2024-05-16 09:00
喫茶にまつわる様々な話、面白かったです。
器もいろいろ役に立つのですね。
落語にも確かに皿や器にまつわる話が多いです。「落語と器」という小篇が書けそう。
Commented by nanamin_3 at 2024-05-16 09:10
あ、また読んでみたい本が増えてしまった。
そういえば、80年代ごろに「カフェバー」なるものが出現し、その頃からホテル以外でも高価なコーヒーを飲ませる店が出現しましたね。私がそういう店で最初に飲んだ高価なコーヒーは800円でした。ブレンドが250円から350円の時代です。美味しいとか不味いとかいう記憶は、私にもありません。値段に圧倒されて(笑)。
Commented by saheizi-inokori at 2024-05-16 09:17
> tsunojirushiさん、あ、そうでした、やってみます、ありがとう!
Commented by saheizi-inokori at 2024-05-16 09:26
> k_hankichiさん、千利休の時代からお茶を飲みながら大事な話をしましたね。
今の私が行くようなカフエは社交の場にはなってないなあ。
「お茶する」の言葉はいつごろからか?
笑い話にしてしまうのを「御茶にする」ともいうなあ。
茶は侮りがたいですね。
Commented by saheizi-inokori at 2024-05-16 09:30
> nanamin_3さん、カフエバーって、酒が主体じゃなかったですか。
私は居酒屋か、喫茶店のどっちかにして欲しい派です^^。
Commented by nabetsuma at 2024-05-16 11:00
初めまして。
weloveaiさんからお知らせいただきました。
相方の本の紹介、ありがとうございました。
とてもうれしいです〜 感謝です〜
Commented by saheizi-inokori at 2024-05-16 12:27
> nabetsumaさん、相方?西川さん?面白そうな本ですね。
全部読んでみようかな。
Commented by etinarcadiareni at 2024-05-18 09:23
有名無名、価格に関わらず、好みに合う器だと、
同じ物も美味しく感じるから、味覚って面白いです。

落語(末廣亭も)に行きたいと思いながら、
一歩が踏み出せずにいましたが。

こちらのブログに来ていたら、
知らずジワジワと沁みて、
一歩のハードルが下がって来ていますw
Commented by saheizi-inokori at 2024-05-18 11:41
> etinarcadiareniさん、末広亭は建物にも情緒がありますね。
非日常空間でおおいに笑って元気になりましょうよ!
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by saheizi-inokori | 2024-05-15 12:43 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(10)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori