男の長電話

四国の友人から電話がかかってきた。
めったにないことだから、ちょっと恐る恐る「やあ、佐平次だよ」というと、テレビで下山事件のことを見ていて、僕がどうしてるかなあ、と思ったという。
大学同期で、同じキリスト教の寮にいて、彼は医学部だから二年あとで卒業、そのあとすぐに故郷の父親がやっている精神病院を継いで、不慣れな経営にも携わりながら、患者のために、音楽コンサートをひらくなどすべてをなげうつようにして尽くして来た。
神谷徹のストロー笛のコンサートを見るために四国に飛んだのは、もう12年も前のことだ。


まさに日々「手に来る技」に励む、篤実な信仰(無教会派)の徒でありつづけて、今も「やっといい先生がきてくれたので」理事長の座は譲ったけれど、緑内障で片眼がみえなくなっているのに、診察は続けているという。
ガタがきた病棟も改装できて一安心だという声には力がある。
吃音があるので、一言一言ゆっくり話す、それがいっそう彼の誠実さ、慎重さを印象づける。

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お互いの健康のことを話すうちに、彼が三つのときに、麻疹から肺炎、腎不全になって、死にかかったときの病床で見た幻視、恐ろしい口を開いた大魚、棺桶を担いだ行列などのことを「僕が絵を描けるのなら今でもはっきり描ける」、奇跡的に回復して障子をあけてみたときに、目に飛び込んできた一面の菜の花と蓮華の花の美しさも忘れられないという。
死から救い出してくれた神の趣旨は、生きて人のために生きよ、ということだと思ってやってきた、だから大きな病気にもならず、81歳になれたのは、神の思し召しだと思う、と語る言葉も謙虚な響きしかない。

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つくづく、君はえらいと思うよ、ほんとによくやったね、と僕も心からの言葉を発する。
すると、驚いたことには、「君の方がよほどよく頑張ったと、いつも思っている」などというではないか。
なんのことかと尋ねると、僕がなんども左遷されて、思いもしない仕事をやらされても、腐らずに取り組んで成果もあげたといって、初めて駅ビルの仕事をやったときに、原宿の下着売り場に行って、女性の下着をみたり触れたりすることに「度胸をつけた」という、昔した笑い話を例にあげる。
そういわれると、急にその頃のことが蘇って、ついつい思い出話(別ブログ、「花も嵐も踏み越えて鉄道人生44年」に書いた)にふけってしまう。

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彼は僕の命の恩人なのだ。
若い頃、上がり症、震え症で、大勢の人の前で話をしたり、組合との集団交渉の矢面に立ったりするときに手が震えてどうにもならず、いっそ国鉄をやめて丸ビルの前で仕事をしている靴磨きになろうとか、ひどいときは死んでしまおうかとすら思った。
そのとき、新橋で偶然上京していた彼と遭遇、居酒屋で苦しみを訴えると、君のような一見明朗活発で仕事もテキパキやるような人が自殺する事例は少なくない、といって、森田正馬の系統の鈴木知準という先生を教えてくれた。
臆病なので病院に行くことはせずに、鈴木先生の主宰する「生活の発見」という会に入って月報や森田先生の本を読んだりした。
上がらないようにしようと思わず、上がっても震えてもいいから、自分のやるべきことをやることに集中しろ、という教えを守っているうちに、上がり症そのものは直らなかったが、大事な会議でもきちんと発言できるようになった。
まあ、それがあの葛西敬之との大議論になるなどして、なんども飛ばされる原因にもなったのだけれど。

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あの頃、彼に遇わなければ、悩みつづけて鬱病になったことは間違いない(その頃でも不眠や不安で胸がどきどきした)し、ふつうの精神科にいけば薬を処方されて、いっとき眠れるようになっても基本の生き方が変わらなければ、だんだん症状も悪化し、自殺に追い込まれた可能性も否定できない。
そういう肉体の死もさることながら、物おじして、言うべき時に発言もせず、自信のないまま大勢に流された人生を送ったら、それは精神の死だったと思う。

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あらためて電話の向こうの友人に感謝した。
40分近い長電話、いつもは3分以内で終わる僕の電話だが、長電話のベスト3になった。
一番は中学の恩師、認知症になって同じ話を繰り返す先生につきあって、二時間を超えた。
二番は小学校の恩師、思い出話でやはり一時間以上話していた。
そして、きのうの友人との電話、思えば三つとも恩人との電話だった。

Commented by etinarcadiareni at 2024-04-30 12:06
sahfeijiさんの記事や言葉から感じられる
優しさの理由が少しわかった気がしました。

ナチュラルに、落ち込みそうな人を金魚掬いの網みたいに、金魚に気付かれないくらいの軽やかさで、救い上げられている。
(救おうと意図されている訳ではないと思いますが)

気がつける感覚というか、経験値というか。

私もそういう、人を威圧しない柔らかさを身につけていこう。と思います。
Commented by dokkkoi at 2024-04-30 13:03
こんにちは。

ついほろっとしてしまいました。
いい友人に恵まれましたね。
お互いを認め合って心を許し合って友情を培ってきた様子がみえるようです。
下山事件のニュースを見るたびに、国鉄マンだった父を思い出し、佐平次さんのことが心に浮かびます。
80歳をすぎて、昔の友の様子を案ずる友達ってありがたいですね。
Commented by eblo at 2024-04-30 13:28
下山事件の番組、私も観ました。
朝鮮戦争時の場面から次のアメリカの戦争が浮かびました。
勿論saheiziさんのことも。
詳しいことは何も知らなくても国鉄民営化には反対でした、
中曽根内閣だから悪事に違いない、人員整理で事故が増えそう、その程度でしたけど。

おそらく職員の一部であろう人たちを攻撃の対象にした橋下政治が今の維新に繋がっていることと
国鉄民営化までの流れが同じような気がしています。
人権を軽んじる風潮の先駆けだったかもしれません。
Commented by yoko68 at 2024-04-30 13:50 x
素敵なお話ですね。
人はたくさんの思い出を紡いで生きているのかしら。

神谷徹先生懐かしい。母校の先生でした。当時も真面目な顔をして不思議な音を出す愉快な方でした。
あの音色を聴くと思わず心が温かくなり、自然と笑みが溢れるのですよね。

つい懐かしくてコメントしちゃいました。
Commented by saheizi-inokori at 2024-04-30 14:59
> etinarcadiareniさん、過分なお言葉、痛み入ります。
金魚すくいの、私のは網でなく紙なのですぐに破れてしまいます。
Commented by saheizi-inokori at 2024-04-30 15:02
> dokkkoiさん、日頃ずっとご無沙汰しているのに、とつぜん電話で話してみると、いかに彼を有難く思っていたかを改めて認識しました。
Commented by saheizi-inokori at 2024-04-30 15:04
> ebloさん、新自由主義の先駆け・モデルが国鉄民営化ですね。
それには戦う組合つぶしも必須事項となっています。
出札も改札も、線路保守もみんな委託されていきました。
Commented by saheizi-inokori at 2024-04-30 15:05
> yoko68さん、そうでしたか、神谷さんに教わったのですか。
ほんとに柔和な方でした。
Commented by mumonngamaTNK at 2024-04-30 16:56
いいお話しですね。僕は、小学生、いや中学中頃までの事が記憶にありません。今で言う発達障害だったのかも知れません。亡くなつた母に言わせると、いつも砂場で遊んでいたそうです。担任が、男性なのか女性なのかすら覚えていません。中学2年の時に脱脂粉乳をこぼし、担任に思いっきり背負投で投げられたのは覚えています。丸顔でブタの様なせんせいでした。
そのショックでその後の事は覚えていますが、いまだに名前を覚えるのは苦手です。つまらん事を書いてしまいました。
Commented by stanislowski at 2024-04-30 17:23
読んで何とも言えない気持ちになりました。
岐路に立った時、大事な節目に出会う人々の巡り合わせが人生を豊かにというか、神々に守られていると常々感じています。

不思議ですが私は叔父が守護霊と感じて生きてきました。叔父の子どもの誰より、まさか姪っ子が現在、下山事件に関心を抱いているとは思いもしないでしょう。松川裁判を読んでいて、失踪の二日後に伊達駅事件があったことを知りました。あの時真ん中にいた叔父を想いなぜか目頭が熱くなりました。
私が佐平次さんに惹かれるのはそのせいでしょうね!
Commented by saheizi-inokori at 2024-04-30 17:35
> mumonngamaTNKさん、辛いという記憶もないのですね。
ブタ先生、酷いですね。でも結果として記憶力が戻ったのでしょうか。
Commented by saheizi-inokori at 2024-04-30 17:38
> stanislowskiさん、叔父さんが真ん中に!?
どんなドラマがあつたのでしようか。
そちらのブログ、イイネもコメントも反応しなくなっています。
Commented at 2024-04-30 20:40
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by jyon-non3 at 2024-05-01 07:21
いいお話を聞かせていただきました。

人を大切になさるサヘイジさんのお人柄がよく伝わりました。

私も大切にしている方がたが胸の中にいます。

その方達にまもられているなと。・・

今は亡き人、今も在る人色々ですが。

なので落ち着いて暮らしていける気がしています。

山野草の様な楚々とした花々が綺麗ですね。🥀

何時もお写真が美しいなと。・・

今日もどうぞお元気で。

Commented by kogotokoubei at 2024-05-01 07:58
きっと、40分が4分くらいに感じる、長電話だったんじゃないですか。
佐平次さん、そしてご友人のような人ばかりだったら、社会はずっと住みやすくなるのに、と思うばかりです。
Commented by saheizi-inokori at 2024-05-01 09:52
> 鍵コメさん、下山さんの息子は先輩として国鉄にいて水戸の管理局長もしてました。
なんどか宴席で一緒になりました、磊落に見えました。
今日はイイネができるかな、日によってできるのです。
Commented by saheizi-inokori at 2024-05-01 09:55
> jyon-non3さん、今思えば感謝すべき人はもっともっといるのです。
その恩にも気づかずに生きてきたことに慙愧の念が湧きます。
写真はスマホで居合抜きのようにパッと撮っています。
Commented by saheizi-inokori at 2024-05-01 09:59
> kogotokoubeiさん、ほんと、こんなに時間がかかっていたとはびっくりでした。
私は別として、彼のような人こそ地の塩というべきです。
Commented by めぐ at 2024-05-01 11:36 x
人が生きて行く事、働くという事についていつも考えさせてくださるのが佐平次さんのブログです。
生きるためには食べなくてはならないわけですし家庭を持っていれば子供の教育についてもそうです。
戦後の物資が無い頃の苦労を親た親
たちの世代から聞きましたがその後消費は美徳のようになり 働いてくれた人達のこと感謝して使うという事を教えない世代が 派遣という制度を作りました。
キャリアプランニングとは名ばかりで結婚も子供を持つことも諦めてしまう人が増えました。少し上の世代の人たちが嘆くのを聞き出したのもあの頃からです。
奇跡のような佐平次さんのご家族。かつては真面目に生きて働けば手に入れていたはずの家族の景色です。
下山事件とか戦後の黒い霧色んなことについての番組を見て アメリカにNOを言えなかった戦争を始めて負けて 責任を取らなかった事がピタゴラスイッチみたいになって 今があるような気がします。
Commented by saheizi-inokori at 2024-05-01 14:12
> めぐさん、奇跡のような家族、驚きのことばです。
きわめて一般的な普通の家族だと思っていました、今もなお。
ピタゴラスイッチ、初めて聞きました。まだその番組を見られるのでしょうか。
Commented at 2024-05-01 19:15 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by kitaoni22 at 2024-05-01 21:49
かけがえのない良き友人ですね。
キリスト教の寮とは同志会の寮の事でしょうか⁈
夫もその昔その寮にお世話になっていた事が有りました。
その頃の友人とは今でも良き友で其の友と会う時は老人なのにまるで学生の頃のような無邪気な顔になるのを夫は気付いてないようです♪
Commented by saheizi-inokori at 2024-05-02 09:48
> 鍵コメさん、下山さん、いかにもお坊ちゃんという感じがしましたね。
あの頃のお偉いさんはよく遊んだようです^^。
Commented by saheizi-inokori at 2024-05-02 09:57
> kitaoni22さん、わ!そうですよ、同志会、昭和40年卒業です。
小西先生に内村鑑三の「一日一生」に添え書きをしたのを卒業のときにいただいたのに、その教えから離れた人生を過ごしてきてしまいました。
とうじのメンバーであうことも耐えて久しいです。
金曜会や予餞会にも欠席続き、しかしとても懐かしく思う落第生です。
Commented by haru_rara at 2024-05-02 10:02
森田正馬、鈴木知準、登場するお名前に、私自身のかつての悩み、病のときを思い出しました。
うつになり人生ストップ状態になったとき、辿り着いた精神科のドクターに教えられて森田正馬を知ったのです。
その診療所に神谷徹さんも来られました。
今も年に一度はそのドクターと話したくて訪ねます。

下山事件のドラマは再放送も見ました。知らないこと、知るべきことがたくさんあります。
Commented by saheizi-inokori at 2024-05-02 10:06
> haru_raraさん、あ、正馬でしたね、直さなくちゃ。
私は森田、鈴木のどちらにもお会いしたことはないのです。
でも彼らも人生の恩人です。
恩人の名前を間違えてはいけませんね。
Commented by saheizi-inokori at 2024-05-02 10:10
> haru_raraさん、まさたけ、と読むのですね。
私の生れる五年前に亡くなっていました。
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by saheizi-inokori | 2024-04-30 11:46 | よしなしごと | Trackback | Comments(27)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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