ながもち
2024年 04月 27日
そのことははっきり思い出すのに、肝心の一行で完結するインパクトのある内容が思い出せない。
だいぶ前にこのブログを毎日読んでいるとおっしゃる方(知人)から、ブログも健康も大事にするために、もう少しブログの文章を短くしたらどうかという御忠告をもらった。
そのときは、別にブログを書くことが健康に影響するほどの負担にはなっていない、と笑い話半分で答えた。
しかし、ブログに何を書こうかということが夢のテーマになるくらいだから、ブログを書くことがストレスになっているのかもしれないな。
以前は、読んだ本の感想など、書くのが楽しみで、とくに下書きなどもせずに、思いついたままいろいろと長い文章を書きつらねたのに、年をとったせいか、本の内容を説明することが面倒になって、自分の感想だけを、それもみゃくらくもなく書きつけるようなことが多くなった。
お読みいただく方の迷惑にならないように、もう少しちゃんとしなけばと、改めて反省する次第。
くぼたのぞみの訳した、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの短編集。
同じコンビによる長編「アメリカーナ」はたっぷり楽しませてもらった。
このところ、くぼたのぞみと斎藤真理子に導かれて、ナイジェリアと韓国を行ったり来たり、ときに彼女たちの話の尻尾にぶらさがりたくて、対話のなかで畏敬の的だった藤本和子についてイスラエルにも行ってきた。
そうだ、アディ―チェのナイジェリア(とアメリカ)に飛ぶ前に、藤本のシオニズムに対する理解を書き留めておこう。
というのは、今のイスラエルによるガザ大虐殺をめぐって、あれは本来のユダヤ人ではなく、グローバリストと結ぶシオニストたちの所業だという陰謀論のような言説が見られるからだ。
イスラエルの極右大臣スモトリッチがハマースとの交渉を批判して「ガザ地区の完全な破壊を」を訴えたそうだが…
— 早尾貴紀 (@p_sabbar) April 26, 2024
オスロ合意を結んだ労働党のラビン首相が「朝目覚めたらガザ地区が海に飲み込まれて消えていれば良いのに」と発言したことを思い起こそう。極右の問題ではない。シオニズムの根本問題だ。 https://t.co/bzqUIFjOyJ
藤本は、イスラエルは1948年の独立宣言のずっと以前から、民族解放運動としてのパレステイナ帰還と、難民としてのユダヤ人の避難地としての役割との、二重性を背負っていたといい、正統派からは異端とされる「実践的メシアニズム」を唱えたアルカライとカリシャーを先駆者とするシオニズムの歴史を概観する。
そして、つぎのようにいう。
近東に帝国主義的な視線を向けたヨーロッパが、パレスティナにおけるユダヤ人の集団的居住を、彼らの欲望をとげる一つの手段として考えたことを疑う者はいない。(バルフォァ自身は少しちがうようだが)シオニズムの運動がそのヨーロッパ帝国主義の歴史的転換期と重なっていたことを疑う者はいない。そのことからいえば、ヨーロッパはアラブの民族主義運動も、自らの欲望に合わせてせいいっぱい利用してきた。ユダヤ人もアラブ人も、西欧のそのリアルポリテイックにもみくちゃにされてきた。
しかし、アラブの民族主義をイギリスやフランスが利用したからこそ、アラブ民族主義が存在しえたのではないのと同様に、ユダヤ人のパレステイナへの帰還も、イギリスやフランスやドイツが、ユダヤ人のシオニズムを利用したからこそ存在しえたのではなかった。アラブ人には、その歴史の内的過程が、歴史的生命力が、弁証法があったからこそ、独立を勝ちとろうとする民族運動が生れたのである。同様に、シオニズムも持続する歴史の過程の、民族的表現の一つであった。それはまた、ヨーロッパのナショナリズムに強引に結びつけられた先祖帰り運動でもなかった。
外的な問題と内的な問題は、おそらく通底している。
それらの問題と向き合う姿勢に、民族的実存の試練が隠されている、と書く。
1930年生まれ(独立戦争を経験しない)若者の小説のなかに、ふたたび主体的な歴史にふみ入ろうとした者たちの希望と苦悩をみる。
彼らはときに、「こんなことのために二千年祈り続けてきたのではなかった」と、自らの思想の社会的、道徳的挫折について叫び声を上げる。またあるときは暗い闇の前に立ちつくしているように見える、とも。
私がクツクツ笑っている間、膝の上の猫が小刻みに揺れていましたから、声を出さなかったけれど、腹筋を使って大笑いしていたみたいです。
夢のように消えた一行に乾杯!
訪問、ありがとうございます。記事を読ませて貰いました。とても読み応えのある内容です。私のブログは、画像だけの味気ない記事ばかりですので、恥ずかしく思います。訪問してくれたおかげで、此方のブログに気付けたのですが、これを機会に時々お邪魔させてください。読み逃げになるかも知れませんが…。