慈善という贅沢
2024年 04月 11日
イフェメルはタクシーに乗りこむ時に、運転手がナイジェリア人でないことを祈るのだ。
ナイジェリア人の運転手なら、彼女の訛りを聞くと、喧嘩でも吹っかけるみたいに、自分は修士号取得者でタクシーはあくまで副業、娘がラトガース大学で学部長から表彰を受けたといいたがるだろう。あるいはむっつりと不機嫌に車を走らせて、おつりを手渡しながら彼女の「ありがとう」を無視する。そうやって同国人の看護師か経理士か医者か知らないが、こんな小娘に見下される屈辱をなだめるのだ。アメリカにいるナイジェリア人のタクシー運転手は全員、自分は本当はタクシー運転手ではないと思い込んでいた。アメリカ人とおなじような英語をしゃべることは、難しいけれど憧れだった。
しかし、ある日「訛りがなくてアメリカ人の英語のようだ」と褒められたときに、イフェメルは、アメリカ人とおなじように話すことで褒められるということに違和感を覚えて、元のナイジェリア人の訛りで話すことにしたのだ。
ウジュおばさんが、まだナイジェリアにいて将軍の妾だった頃、ラゴスのヘアサロンでスタッフたちが寄ってたかってひれ伏すように挨拶し、ハンドバッグや靴を褒めちらすのを見たイフェメルが、「あの女たち、いまにもおばさんに両手を差し出して、拝むためのうんこをそこにどうぞっていい出しそうだったね」というと、彼女は吹き出してから、
いい、私たちはごますり経済のなかで生きてるの。この国の最大の問題は腐敗じゃないわね。問題は、多くの有能な人がごまをすらないために、本来いるべきではない場所にいることよ。あるいはだれにごまをすればいいかわからないか、ごまのすり方を知らないためにね。わたしはラッキーなことに正しいやつにごまをすってる。といった。
しかし、将軍が死んだら、その親族たちが押しかけてきて、家財からなにから奪おうとしたので、彼女はアメリカに脱出して、医師になるために辛酸をなめることになる。
将軍は彼女の望むものはなんでも与えたが、彼女自身の口座に金を振り込むことだけはしなかったのだ。
添い寝をして触らせるのだ。
百ドルもらったあと、嫌悪感から引きこもりになってしまう。
最愛のオビンゼからのメールに答えることも出来なくなって、アドレスまで変えてしまう。
みんなとてもよく似た人たちで、気のきいた無難な服を着て、気のきいた無難なユーモアのセンスの持ち主で、「すばらしい(ワンダフル)という語をやたらに口にした。
彼らは、アフリカのいろんなところに寄付をしたことを話しあう。
イフェメルは彼らをじっと見つめた。そこには慈善事業に対するある種の贅沢があった。自分には共感できないし、もつこともない贅沢だ。「慈善」を当然のものと見なすこと、知りもしない人向けの慈善にふけること――ひょっとするとそれは、昨日もっていて、今日ももっていて、当然のこととして明日ももちつづけることから来ているのかもしれない。イフェメルは彼らのそこが羨ましかった。(中略)まだ半分しか読んでない、まだ半分も残っている。
イフェメルは突然、無性に、受け取る国ではなくてあたえる国に生まれたかったと思った。もてる者であるがゆえに、あたえたという恩恵に浴することのできる人間だったらいいのに、あふれんばかりの同情と共感をもつことができる側の人間だったらいいのにと思った。
おまけ、僕も同感。
最近の渋谷についての記事「渋谷はもう「若者の街」じゃない…イケてた街が「楽しくなくなった」納得の理由」。
— ミド建築・都市観測所(前川國男建築ネットワーク) (@maekawa_net) April 9, 2024
「渋谷の圧迫感がストレスだ」「街にいるだけで、消費を促されているようでウンザリする」
本当にそうですよね。渋谷は再開発でダメになった典型的な事例です。https://t.co/nxxGG1yQ7i
という部分、あるなぁ。。と思いました。
丁度、色々、自分の想いを見つめ直している所でした。
渋谷は、確か、若者の街から、大人の街にしたくて新しくしていたのだった気がするので、当初の目的通り?かもしれません。
綺麗になった宮下公園の手前に、ポツネンと残されたのんべい横丁が、残っていて嬉しいけど、寂しかったです。
渋谷、変わっちゃったのですか。
面白そうな本ですね!
アメリカのアッパーミドルクラス…米軍のofficer's wives clubというのがあるんですが、夫の出世の為に奉仕活動するんだとか。帰国した友人が保護猫犬活動に参加してたけど、彼女の夫が上官ではないからか、奥様方に召使いのように扱われてたんですね…意外とアメリカのほうが同調圧力多いぽいですね。