朝鮮戦争下のソウル
2024年 03月 21日
大きなおはぎ、そのまま食べると下の義歯とからんで大変なことになる。
一昨日、焼き鳥をガブっとやって、危なかった。
やっと食べる前にそれが頭に浮かぶようになって、小さく切ってもらって食う。
テレビで、イチゴパフエが2600円もするのを食うのをみて、バカみたいと言ったら、カミさんがイチゴとアイスクリームで、小さなイチゴパフエを作ってくれた。
どっちも写真を撮り忘れた。
そういったら、今日も作ってくれた、こんどは抹茶のアイスで。

すばらしい青空なのに昼から雨という予報が外れた夕方、「ほれみろ、降る筈がない」って言っただろうと、心の中で気象庁に悪態をついて、図書館に行き、クッツエーを返して、ついでに先週の週刊新潮(書評欄)を、ほんの5分くらい眺めて、外に出たら、暗くなって道路が濡れている。

一昨日、焼き鳥をガブっとやって、危なかった。
やっと食べる前にそれが頭に浮かぶようになって、小さく切ってもらって食う。
テレビで、イチゴパフエが2600円もするのを食うのをみて、バカみたいと言ったら、カミさんがイチゴとアイスクリームで、小さなイチゴパフエを作ってくれた。
どっちも写真を撮り忘れた。
そういったら、今日も作ってくれた、こんどは抹茶のアイスで。

すばらしい青空なのに昼から雨という予報が外れた夕方、「ほれみろ、降る筈がない」って言っただろうと、心の中で気象庁に悪態をついて、図書館に行き、クッツエーを返して、ついでに先週の週刊新潮(書評欄)を、ほんの5分くらい眺めて、外に出たら、暗くなって道路が濡れている。

(ハクモクレンもみんな飛ばされてしまう)
傘もささずにかけだすと、なんども稲妻が光り、ぐあらぐあらぐお~ん!、雷が鳴る。
痛快痛快!帽子とパーカーが濡れたけれど、痛快だった。

くぼたのぞみと斎藤真理子の往復書簡集で教えられた本。
副題にあるように、1950年6月25日に、とつぜん38度線を越えて北朝鮮軍が侵攻して始まった朝鮮戦争において、ソウルにとどまった歴史学者の日記だ。
筆者の金聖七は、1951年10月、故郷の永山に行く途中、暴漢に撃たれて死ぬ。
遺された日記を、妻の李男徳(イ・ナムドク)が、それを生きる支えのようにして、日本語に訳して、新聞紙に包んでしまっておいた。
四十数年後に舘野晢(あきら)が、翻訳出版を思い立って原書版元との交渉過程で、この翻訳もあることが判明、共訳とした。
李男徳の「日本の読者へ」という前書きに、
そしてこうも書いている。
そのなかで、金聖七は、どちらにもつかず、心の自由と独立を守ろうとする。
業火の燃え盛る上に一本張られた糸の上を歩くような危うい日々、かねてからの親友でさえも信用できない。
食糧難もひどくなる。
人びとは、巧みにまたは強引に義勇軍に駆り出される。
集会に参加させらて、そのまま家族と別れを告げることもできないままに。
それが怖いので集会は女性が出るようになる。
ソウル市民百五十万のうちから五十万人を減らそうと、あちこちで転出命令が出て、数十時間の間に、地方の農場や工場や鉱山に送り出される。
まだ90頁しか読んでいないが、朝鮮人が、ようやく日本の酷薄な支配から逃れたと思ったら、ふたたびこのような惨禍に遭わねばならなかったことが、気の毒でならない。
痛快痛快!帽子とパーカーが濡れたけれど、痛快だった。

くぼたのぞみと斎藤真理子の往復書簡集で教えられた本。
副題にあるように、1950年6月25日に、とつぜん38度線を越えて北朝鮮軍が侵攻して始まった朝鮮戦争において、ソウルにとどまった歴史学者の日記だ。
筆者の金聖七は、1951年10月、故郷の永山に行く途中、暴漢に撃たれて死ぬ。
遺された日記を、妻の李男徳(イ・ナムドク)が、それを生きる支えのようにして、日本語に訳して、新聞紙に包んでしまっておいた。
四十数年後に舘野晢(あきら)が、翻訳出版を思い立って原書版元との交渉過程で、この翻訳もあることが判明、共訳とした。
李男徳の「日本の読者へ」という前書きに、
彼の日記は原稿用紙(二百字詰め)に書かれて、「一九五〇年」という表題を背につけ、彼自身の手で綴じられていたのですが、私のは粗末な紙質の小型(ペラ二百字詰め)原稿用紙で、綴じ込みもしないそのままのものです。ところどころ染みの付いている部分は、これを訳しながら泣いた私の涙の痕跡にちがいありません。とある。
そしてこうも書いている。
私たちはいま(1996年)、民族の統一を前にして、過ぎし日の傷痕に触れずに覆い隠してばかりでいいのか、と反問してみる必要に迫られています。民族においても個人におけると同様に、意識の成熟がなされれば、苦痛は克服できると思います。苦痛の徹底的な克服のためにも、苦痛を隠したり回避してはならないのです。北朝鮮の人民軍が、ソウルを統治するや、李承晩大統領に忠誠を誓う人びとは逃げ出すか、さもなければ、金日成やスターリン万歳を云って、生き残る道を探す。
集団的イデオロギーにどれほど染まれば、同族に銃口を向けるようになるのか、人間はなぜ戦争という行為をするのか、という根源的な問いに対しても回答をしなければならないと思います。これこそが人類に与えられた大きな宿題でありましょう。戦争とは人間の狂気であり病いなのです。時間が経過すれば、表面的には治癒されたように見えますが、根本的な治癒がなされなければ、またいつか、どこかで始まるかもしれないのです。
そのなかで、金聖七は、どちらにもつかず、心の自由と独立を守ろうとする。
業火の燃え盛る上に一本張られた糸の上を歩くような危うい日々、かねてからの親友でさえも信用できない。
食糧難もひどくなる。
人びとは、巧みにまたは強引に義勇軍に駆り出される。
集会に参加させらて、そのまま家族と別れを告げることもできないままに。
それが怖いので集会は女性が出るようになる。
ソウル市民百五十万のうちから五十万人を減らそうと、あちこちで転出命令が出て、数十時間の間に、地方の農場や工場や鉱山に送り出される。
まだ90頁しか読んでいないが、朝鮮人が、ようやく日本の酷薄な支配から逃れたと思ったら、ふたたびこのような惨禍に遭わねばならなかったことが、気の毒でならない。
そうです
雷は ぐあらぐあらぐぉ〜〜〜んです!!^^
雷は ぐあらぐあらぐぉ〜〜〜んです!!^^
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> hanarenge2さん、ね、春雷は、春場所の若手の活躍を嘉するかのようでした。
by saheizi-inokori
| 2024-03-21 12:05
| 今週の1冊、又は2・3冊
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Comments(4)