認知症vs直木賞
2024年 03月 11日
カーテンを開ける、湯を沸かす、日めくりをめくる、シクラメンの鉢を日当たりに置く、ルンバをセットする、目薬をさして血圧を測る、洗濯機を起動する、、いろんなルーテインのなかに、いつもやらないこと、たとえば昨日の洗濯物をしまうこと、などが入ると、、ほ~ら、お湯が冷たい、ポットに水を入れただけで起動し忘れていた。

日曜日の駒沢公園、陸上競技場はサッカーの試合が終わったようだ。

幟の選手、誰も知らない、一人一人の幟があるなんて、大相撲や寄席みたいだな。

競技場の外にある回廊、小さな子を連れたママが入って行ったので、僕もついていく。
しばらくすると、親子が戻ってきたので行き止まりなのかもしれない。
まあ、行けるところまで行ってみよう。

正面の入り口に出たので、そこから出ると、係の男性が、礼儀正しく「お疲れさまでした」とお辞儀をする。
関係者と見られたのだろうか。

バレーボールの競技場前では、若い男女がダンスの練習をしている。
鳥山某という漫画家の作品を読んだことのない僕は、ダンスと言えば「お遊戯」か「フオークダンス」だ。
ああ、ウエスタン酒場で、ウエスタンのダンスを教わったことがあるなあ、あれもフオークダンスに似ていた。

「テスカトリポカ」読了、フーと息を吐く、読み応えのある大作だった。
作者、渾身の力をこめて書いたと、その気迫が伝わるような作品といえる。
しかし、僕にはしつこすぎる、とくにアステカの神話の繰り返し(太字)が。
臓器密売、とくに日本の無国籍の児童のそれをめぐる話は、読みたくない気持ちになる。
しかし、世界では現実にこれ以上悲惨な児童虐待・虐殺が、我が日本の親分・アメリカの支援のもと繰り広げられているのだ。
眼をそむけることは許されないのかもしれない。

直木賞と山本周五郎賞のダブル受賞、それだけの価値があるのだろうか。
直木賞受賞の際の、審査員たちの講評を読んでみた。
絶賛するのは、三浦しをん、「圧倒的な傑作だ」「世界に満ちる暴力性の問題を徹底追及する本作は、暴力と理不尽を越える希望をも、ちゃんと提示してくれている」。
宮部みゆき、「直木賞の長い歴史のなかに燦然と輝く黒い太陽」「(最近書きにくくなっている現代の)きわめてまっとうな勧善懲悪の物語」「私は読後、参りましたと感嘆することしかできなかった、傑作です」。
林真理子、「並外れた筆力、偏執的な知識と書き方に圧倒され驚いた」「この作家は、調べていくことに快楽を感じているはずで、その快楽は読み手にも伝わっていく」。
角田光代、「この凄惨な小説にちりばめられたうつくしさも、私には見たことのない、触れたこともない種類のものだ」。
否定的なのは、北方謙三、「よくあるアクション小説の域を出ていない。非人間的にさえ見える暴力が、なぜか読む側の痛みを誘発してこない」。
浅田次郎、「登場人物のおのおのが、当たり前の人間感情を欠くのである」「死は文学の欠くべからざるテーマにはちがいないが、死をかくも丹念に描くことはむしろ、人間不在の反文学としか思えなかった」。
伊集院静、「最後まで小説として読めなかった」「小児の扱いがこれほど安易になされて、文学の品格は問われないのか」。
桐野夏生は肯定的、高村薫は、やや懐疑的。
こうして比べてみると、それぞれ当たっているところがある。
さらに!血圧手帳を見ると、昨夜就寝前の測定を忘れている。
食器を片付けたあと飲むことにしていた漢方薬が切れてしまったので、夜のルーテインがまだ定まっていないのだ。
固有名詞、人名が出てこないのが普通になった。
認知症外来に行く時なのか。
行ってどうなる。
食器を片付けたあと飲むことにしていた漢方薬が切れてしまったので、夜のルーテインがまだ定まっていないのだ。
固有名詞、人名が出てこないのが普通になった。
認知症外来に行く時なのか。
行ってどうなる。

日曜日の駒沢公園、陸上競技場はサッカーの試合が終わったようだ。

幟の選手、誰も知らない、一人一人の幟があるなんて、大相撲や寄席みたいだな。

競技場の外にある回廊、小さな子を連れたママが入って行ったので、僕もついていく。
しばらくすると、親子が戻ってきたので行き止まりなのかもしれない。
まあ、行けるところまで行ってみよう。

正面の入り口に出たので、そこから出ると、係の男性が、礼儀正しく「お疲れさまでした」とお辞儀をする。
関係者と見られたのだろうか。

バレーボールの競技場前では、若い男女がダンスの練習をしている。
鳥山某という漫画家の作品を読んだことのない僕は、ダンスと言えば「お遊戯」か「フオークダンス」だ。
ああ、ウエスタン酒場で、ウエスタンのダンスを教わったことがあるなあ、あれもフオークダンスに似ていた。

「テスカトリポカ」読了、フーと息を吐く、読み応えのある大作だった。
作者、渾身の力をこめて書いたと、その気迫が伝わるような作品といえる。
しかし、僕にはしつこすぎる、とくにアステカの神話の繰り返し(太字)が。
臓器密売、とくに日本の無国籍の児童のそれをめぐる話は、読みたくない気持ちになる。
しかし、世界では現実にこれ以上悲惨な児童虐待・虐殺が、我が日本の親分・アメリカの支援のもと繰り広げられているのだ。
眼をそむけることは許されないのかもしれない。

直木賞と山本周五郎賞のダブル受賞、それだけの価値があるのだろうか。
直木賞受賞の際の、審査員たちの講評を読んでみた。
絶賛するのは、三浦しをん、「圧倒的な傑作だ」「世界に満ちる暴力性の問題を徹底追及する本作は、暴力と理不尽を越える希望をも、ちゃんと提示してくれている」。
宮部みゆき、「直木賞の長い歴史のなかに燦然と輝く黒い太陽」「(最近書きにくくなっている現代の)きわめてまっとうな勧善懲悪の物語」「私は読後、参りましたと感嘆することしかできなかった、傑作です」。
林真理子、「並外れた筆力、偏執的な知識と書き方に圧倒され驚いた」「この作家は、調べていくことに快楽を感じているはずで、その快楽は読み手にも伝わっていく」。
角田光代、「この凄惨な小説にちりばめられたうつくしさも、私には見たことのない、触れたこともない種類のものだ」。
否定的なのは、北方謙三、「よくあるアクション小説の域を出ていない。非人間的にさえ見える暴力が、なぜか読む側の痛みを誘発してこない」。
浅田次郎、「登場人物のおのおのが、当たり前の人間感情を欠くのである」「死は文学の欠くべからざるテーマにはちがいないが、死をかくも丹念に描くことはむしろ、人間不在の反文学としか思えなかった」。
伊集院静、「最後まで小説として読めなかった」「小児の扱いがこれほど安易になされて、文学の品格は問われないのか」。
桐野夏生は肯定的、高村薫は、やや懐疑的。
こうして比べてみると、それぞれ当たっているところがある。
しかし僕の感想は、北方、浅田、伊集院に近い。
saheiziさんが認知症外来へ行かなくちゃならないのなら
病院はぱんぱんになって崩壊します
子供の虐待とか理不尽な扱いはみたくないですね
でも現実にはいろんな事が起きているのでしょうね
考えるだけで胸苦しくなります
病院はぱんぱんになって崩壊します
子供の虐待とか理不尽な扱いはみたくないですね
でも現実にはいろんな事が起きているのでしょうね
考えるだけで胸苦しくなります
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講評だけ読みますと、女性陣には好評で、男性陣には不評のようですね。
偶然でしょうか?
偶然でしょうか?
> vitaminmincさん、なるほど、言われてみれば、、なぜでしょうね。むしろ男性のほうが好んで読みそうなヴァイオレンス、ギャングアクションなんですがね。
そうか、そういうキメツケはセクハラかな。
そうか、そういうキメツケはセクハラかな。
saheiziさんの感想が、北方、浅田、伊集院に近いのなら、読むのは止めます。
> ikuohasegawaさん、面白かったのですよ、ただ作品の評価になると、、ということです。
数日前のコメントに返信しながら、同様の疑問を映画やドラマに抱いてしまいます。
リアリティーは必要ですが、その塩梅でしょうか。
中南米の従業員と一緒に働き、その手の話は良く聴いたものです。
小説技法としてあえて強調する必要性に疑問を感じるのです。
リアリティーは必要ですが、その塩梅でしょうか。
中南米の従業員と一緒に働き、その手の話は良く聴いたものです。
小説技法としてあえて強調する必要性に疑問を感じるのです。
> tanatali3さん、どれが芸術なのか、鑑賞する人の受け取り方次第なのかな、難しいですね。
by saheizi-inokori
| 2024-03-11 11:30
| 今週の1冊、又は2・3冊
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Comments(10)