春風駘蕩

寒暖差が大きいと体調に影響するとテレビで云ってたのを、せせら笑ってみていたが、どうやら今朝の怠さはそれかもしれない。
それでも、土曜日だから、便器磨きからもろもろの大掃除をして、仕上げにストレッチをしたら、だいぶ軽快した。

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きのうは、カミさんがサンチを見ていてくれるというので、昼飯後すぐに散歩に出た。
やってきたバスに乗り、下馬六丁目で下車、学芸大前を通り過ぎて、碑文谷公園に出た。
野球場の向こうではテニスに興じる女性たちの声がにぎやかだ。

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ポニーが幼い子供たちが乗るのを待っている。

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池を一周、大きなギターを抱えて座る男の子と、自転車に乗ったまま、話をする子、春休みか。
自転車を置いて、その横でしゃがみ込む、中年の男。
着物を着たママと可愛いドレスの女の子を撮るおばあさん(?)。
幼い子供を遊ばせるママたち。
暖かい日差しを浴びた公園は春風駘蕩。

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(数年前に足の形に合わせてインソールを作ってもらった店)

踵を返して、学大商店街をクロスして、駒沢通りの一本北の細い道を歩きながら、けっきょく祐天寺の、古民家カフエに出た

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隣りに母と娘らしき二人連れ、ほとんど話をしないで、ランチをとる。
鯖らしき焼き魚を黙々と一時間以上かけてキレイに食べていた。

僕はカフエラテで、「もう死んでいる十二人の女たちと」の「じゃあ、何を歌うんだ」と「私たちは毎日午後に」を読む。
前者は1980年の光州事件、後者は福島原発事故に作家がどう向き合うのかを、小説にしている。
前衛というのだろうか、隠喩や独特の文体で、晦渋といってもよいかもしれない。
1985年光州生まれの作家は光州事件を知らない。
知らない事件に、謙虚に真摯に向き合うこと、世界中で起きたほかの虐殺とどう違うのか、同じなのか、英語で語られるか韓国語で語られるかによって、事件の色合いまで変わってくるようだ。

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難解な二作を読んだ後、佐藤究の「テスカトリポカ」に移る。
メキシコの麻薬戦争の描写から、一転舞台は川崎に移り、暴力団の幹部とメキシコから逃げてきた女性の間に生まれた息子の悲惨な生い立ち、それにもかかわらず、怪力無双の少年に育ち、非道な両親を殺してしまう、かと思えば、再び舞台はメキシコに戻り、アステカ王国の神官の血を引く祖母に、アステカの神々を祀る秘法を教わった麻薬ギャング団のトップ四兄弟の話になる。
550頁の長篇の120頁を夢中になって読んだ。

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by saheizi-inokori | 2024-03-09 12:03 | こんなところがあったよ | Trackback | Comments(0)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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