自慢話
2024年 03月 06日
前回は夏だったか、年になんどかの後輩二人との自由ケ丘ランチ会が続いている。
8年後輩のM君が、会場選びや予約もしてくれる。
鮨屋は初めて、大きなカウンターが満員で、その一番奥に三つの席がとってあった。

三年後輩のK君は将棋の達人、だからいつも藤井八冠の話をふると話が弾む。
大学の文化祭で、升田幸三と学生の対局を企画して、彼が升田名人(だったか)の家を訪問したら、ちゃんと家にあげてくれたが、わしは素人とは指さないのです、といって断ったという。
駒を指すしぐさをしながらそういったと仕方噺。
後日談があって、将棋連盟から原田康夫(とうじ八段)なら学生と対局してもよい、と言ってきたのは、きっと升田さんが手を回したのだ。
最強の学生たちが、角落ちでさしたが、だれも歯牙にもかけられなかったという。

その話から、僕が囲碁初段になった話(名古屋鉄道管理局時代に「本因坊列車」というお座敷列車を企画して、そのときの下見で熱海に名古屋棋院の酒井八段と行をともにしたときに、戯れに盤を囲んで、五分もうったら認定してくれた、まったくの八百長認定)をして、その仲立ちをした部下のM氏(囲碁の達人)のことに話が飛び、ついついそのM氏が国鉄を退いたあとに自家出版で、半生記を書き、そのなかで、不肖僕を「生涯にであった大卒エリートで、最高の人だった」とあったのをみつけて、二年足らずの付き合いの中で、無口のMさんが、まさかそんなことを思っているとは夢にも思わなかった、という話をしてしまった。

M氏がそういった理由は、とうじ名古屋駅で繁忙期にカラ超勤を支給するという悪慣行があったのを、内部告発で新聞にすっぱ抜かれたときに、記者会見で、その責任は現場ではなくて、悪慣行があると知っていながら、それを黙認し続けていた管理局の私にある、次期の繫忙期には全廃するということで、組合にも通告していたと説明、聞かれもしない過去の支給実績もすべて公開した。
国鉄解体の前夜、東京や大阪など全国各地で似たような内部告発があいつぎ、そのつど管理局の幹部は「初めて知って驚いた、早急に善処する」という言い方をしていた。
僕の場合も本社からは、管理局の責任を認めると局長、さらには本社の関係部局にまで責任追及が始まるから、と現場の責任にしろ、と強い指示があった。
しかし、そんなことが僕にできる筈がなかった。

スクープした新聞記者は、僕が逃げを打つようであれば、もっと追及するつもりで材料も用意していたが、あまりにもキレイさっぱり責任を認めたので、もうこの件は追及しないと広報課にいってきたそうだ。
こんな話をしてしまったのは、裏金議員たちの「秘書が、会計担当者が」の破廉恥、無責任に対する怒りがあったからだろう。

M氏は直属上司の課長に、この件はお前が処理しろとかぶせられて、どうしたらいいのかと途方にくれていたら、部長の僕がプレス、本社説明、組合、会計検査院などすべてについて、たった一人でなんのあとクサレもないように処理したので、「最高の人」と感じたのだろう(ほかにも似たような切ったハッタが何件かあって、最後は任期途中で臨海鉄道に出向を命じられた、それらのことも含んで)。
ふたりが、裏金議員たちの真逆ですね、と褒めてくれたのはよかったけれど、あとになると、いつまでも何十年も前のことを繰り返して大人げないことをしたと、別れるときに「今日はしゃべり過ぎたね」と謝った。
思い出話で人の名前が次々に出てこなくなって、内心こりゃあひどくなったと思ったが、最後には全部思い出されてやれやれだった。
鮨屋なのに、寿司は出てこないのかと思うほど、つぎつぎに料理が出て(写真のほか、天婦羅の盛り合わせ、味噌汁、デザートも出た)、熱燗も二合飲んで、腹いっぱいになった。

昼から赤い顔になったので、別れたあと一人でドトールに行った。
若い女性ばかり、右も左もノートをとって何か勉強している。
一年生くらいの女の子とその弟を連れたお母さんは、女の子だけ残して出て行って、女の子はひとりでパソコンに見入っている。
凡そ一時間ほどして、またママと弟が帰ってきたら「ああ、せっかくいいところなのに」と女の子。
僕は、佐藤究の「幽玄F」を読み始めて、外が暗くなるまで読みふけった。

8年後輩のM君が、会場選びや予約もしてくれる。
鮨屋は初めて、大きなカウンターが満員で、その一番奥に三つの席がとってあった。

三年後輩のK君は将棋の達人、だからいつも藤井八冠の話をふると話が弾む。
大学の文化祭で、升田幸三と学生の対局を企画して、彼が升田名人(だったか)の家を訪問したら、ちゃんと家にあげてくれたが、わしは素人とは指さないのです、といって断ったという。
駒を指すしぐさをしながらそういったと仕方噺。
後日談があって、将棋連盟から原田康夫(とうじ八段)なら学生と対局してもよい、と言ってきたのは、きっと升田さんが手を回したのだ。
最強の学生たちが、角落ちでさしたが、だれも歯牙にもかけられなかったという。

その話から、僕が囲碁初段になった話(名古屋鉄道管理局時代に「本因坊列車」というお座敷列車を企画して、そのときの下見で熱海に名古屋棋院の酒井八段と行をともにしたときに、戯れに盤を囲んで、五分もうったら認定してくれた、まったくの八百長認定)をして、その仲立ちをした部下のM氏(囲碁の達人)のことに話が飛び、ついついそのM氏が国鉄を退いたあとに自家出版で、半生記を書き、そのなかで、不肖僕を「生涯にであった大卒エリートで、最高の人だった」とあったのをみつけて、二年足らずの付き合いの中で、無口のMさんが、まさかそんなことを思っているとは夢にも思わなかった、という話をしてしまった。

M氏がそういった理由は、とうじ名古屋駅で繁忙期にカラ超勤を支給するという悪慣行があったのを、内部告発で新聞にすっぱ抜かれたときに、記者会見で、その責任は現場ではなくて、悪慣行があると知っていながら、それを黙認し続けていた管理局の私にある、次期の繫忙期には全廃するということで、組合にも通告していたと説明、聞かれもしない過去の支給実績もすべて公開した。
国鉄解体の前夜、東京や大阪など全国各地で似たような内部告発があいつぎ、そのつど管理局の幹部は「初めて知って驚いた、早急に善処する」という言い方をしていた。
僕の場合も本社からは、管理局の責任を認めると局長、さらには本社の関係部局にまで責任追及が始まるから、と現場の責任にしろ、と強い指示があった。
しかし、そんなことが僕にできる筈がなかった。

スクープした新聞記者は、僕が逃げを打つようであれば、もっと追及するつもりで材料も用意していたが、あまりにもキレイさっぱり責任を認めたので、もうこの件は追及しないと広報課にいってきたそうだ。
こんな話をしてしまったのは、裏金議員たちの「秘書が、会計担当者が」の破廉恥、無責任に対する怒りがあったからだろう。

M氏は直属上司の課長に、この件はお前が処理しろとかぶせられて、どうしたらいいのかと途方にくれていたら、部長の僕がプレス、本社説明、組合、会計検査院などすべてについて、たった一人でなんのあとクサレもないように処理したので、「最高の人」と感じたのだろう(ほかにも似たような切ったハッタが何件かあって、最後は任期途中で臨海鉄道に出向を命じられた、それらのことも含んで)。
ふたりが、裏金議員たちの真逆ですね、と褒めてくれたのはよかったけれど、あとになると、いつまでも何十年も前のことを繰り返して大人げないことをしたと、別れるときに「今日はしゃべり過ぎたね」と謝った。
思い出話で人の名前が次々に出てこなくなって、内心こりゃあひどくなったと思ったが、最後には全部思い出されてやれやれだった。
鮨屋なのに、寿司は出てこないのかと思うほど、つぎつぎに料理が出て(写真のほか、天婦羅の盛り合わせ、味噌汁、デザートも出た)、熱燗も二合飲んで、腹いっぱいになった。

昼から赤い顔になったので、別れたあと一人でドトールに行った。
若い女性ばかり、右も左もノートをとって何か勉強している。
一年生くらいの女の子とその弟を連れたお母さんは、女の子だけ残して出て行って、女の子はひとりでパソコンに見入っている。
凡そ一時間ほどして、またママと弟が帰ってきたら「ああ、せっかくいいところなのに」と女の子。
僕は、佐藤究の「幽玄F」を読み始めて、外が暗くなるまで読みふけった。

凄い!佐平治さん!
私こんな上司に憧れます。
といってももはや無理ですが。
私も少し自慢しちゃおうかな。
その昔、私の敬愛する人が市議選に出馬して、見事当選!!
若い男の子引き連れてポスター張りしたり、
「うるさいからやめて!」と怒鳴られた街頭演説。
その日は二度目の出来事で、私にお呼びがかかって、
少し弱気になった候補のお尻たたいて
「何言ってるんですか! ここでやめたら士気が下がります。
何としてもやってもらいます。」というわけで、知り合いの駐車場へ移動して
街頭演説やってもらいました。
「あなたのおかげで助かりました。」と候補が頭を下げるので、
「投票日まであと二日あります。泣くのはその後にしてね。」
大変お世話になった候補に後輩の私が檄を飛ばして、何とか乗り切りました。
当選した後も、様々な意地悪に遭遇しました。
ハイ・・陰に回って全部後始末しました。
いやいや、人間のもつ嫉妬や嫌な部分をたくさん見せられましたが、
立場が変わると、いやでも今までとは違う人間の裏側を見せられるものです。
あの時は良い勉強をいたしました。
私こんな上司に憧れます。
といってももはや無理ですが。
私も少し自慢しちゃおうかな。
その昔、私の敬愛する人が市議選に出馬して、見事当選!!
若い男の子引き連れてポスター張りしたり、
「うるさいからやめて!」と怒鳴られた街頭演説。
その日は二度目の出来事で、私にお呼びがかかって、
少し弱気になった候補のお尻たたいて
「何言ってるんですか! ここでやめたら士気が下がります。
何としてもやってもらいます。」というわけで、知り合いの駐車場へ移動して
街頭演説やってもらいました。
「あなたのおかげで助かりました。」と候補が頭を下げるので、
「投票日まであと二日あります。泣くのはその後にしてね。」
大変お世話になった候補に後輩の私が檄を飛ばして、何とか乗り切りました。
当選した後も、様々な意地悪に遭遇しました。
ハイ・・陰に回って全部後始末しました。
いやいや、人間のもつ嫉妬や嫌な部分をたくさん見せられましたが、
立場が変わると、いやでも今までとは違う人間の裏側を見せられるものです。
あの時は良い勉強をいたしました。
3
佐平次さんを政治家は見習え、と言いたいエピソードですね。
先輩のみならず、良き後輩にも恵まれていたことが伝わるお話でした。
先輩のみならず、良き後輩にも恵まれていたことが伝わるお話でした。
> kogotokoubeiさん、数は少なくとも、そういう人がいることが嬉しいのです。

よくぞそこまで腹を括られたものだと感銘いたしました。
まさにいま国会で問われている裏金問題等、責任感の欠如と厚顔無恥に呆れるばかりです。
まさにいま国会で問われている裏金問題等、責任感の欠如と厚顔無恥に呆れるばかりです。
> tanatali3さん、とくに腹を括るというような気負いはなかつたです。超特急と言われたエリートコースにある者として、当然の仕事だと思っていました。
裏金議員たちも、世襲や小選挙区のお陰で「選良」となつたのですから、その使命を果たすべきなのに、まつたくそんな感じはありませんね。
裏金議員たちも、世襲や小選挙区のお陰で「選良」となつたのですから、その使命を果たすべきなのに、まつたくそんな感じはありませんね。
by saheizi-inokori
| 2024-03-06 11:38
| よしなしごと
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