塩を食う者
2024年 02月 28日
いろんな知らない道を歩いて、いつのまにか以前に歩いた道に出ると、なぜか不思議な感じがする。
祐天寺の角の、古びた民家、前から気になっていたのを覗いてみるとカフエになっていた。
入ってみると、客は僕だけ、カフエラテを頼んで、片隅に坐る。
静かな店で一時間、「塩を食う女たち」を読み終えた。
古民家カフエ、トイレが広くきれいで、奥や二階にも客席がある。
祐天寺をちょっと見て、バスで帰宅。
藤本和子の「塩を食う女たち 聞書・北米の黒人女性」。
黒人であり、女性であるという二重の苦難を生きのびた人たちの言葉には、強さだけではなく優しさや、誇りと自負がある。
多くの黒人女性の高潔と勇気は、黒人であったからこそ、黒人であるからこそ手放すことのできないものだということが、彼女たちと話しているとわかるようになる。敗北の最終地点は自らの人間性を売り渡してしまうことだと、彼女らは信じている。いつでも生きのびることが最小にして最大の課題だった彼女らにとって、生きのびるとはつねにそういう意味を含んでいる。
塩にたとえられるべき辛苦を経験する者たちのことであると同時に、塩を食べて傷を癒す者たちでもある。いつkkk団に殺されるかわからない恐怖、理不尽な差別について語り、そのなかでどうやって生きのびたかを振り返り、共同体の力、草の根の運動や分かち合いの心を強調する。
蛇の毒は塩を食って中和する。「蛇の毒」は黒人を差別し抑圧する社会の毒である。
塩を食らう者たちは生きのびること、再生することを願う者たちであるし、体内にあって多すぎても少なすぎても逆効果になる「塩」という基本的な生の要素を分かち合う者たちでもある。
生存の根としての塩、その塩を食らう共同体。
それらの言葉には、力があり、ある種のゆとりすら感じさせる。
格言のような言葉も発せられる。
一人一人の話が、破天荒でいてまっとうな事この上なく、優れた小説を読むような楽しさも与えてくれた。
アメリカの黒人について、ステロタイプの印象しかもっていなかった蒙を啓いてもらった。
蒙を啓くといえば、ドイツとイスラエルの関係についての、下↓の論考は、とても参考になった。
ドイツとイスラエルの建国・賠償・関係の根っこに、ホロコーストだけでなく軍事支援があったことは重要です↓
— 舩田クラーセンさやか Sayaka Funada-Classen (@sayakafc) February 25, 2024
「ドイツの...補償(軍事支援)によってパレスチナ難民問題が生まれているのだから、ドイツは(この)問題にも向き合い補償すべきだと主張したが...切り離した」https://t.co/hwwMWxFgpM
世襲選挙で生き残ることが、目的と思われる自民党議員たちには、黒人女性に見られる高潔さや、やさしさは微塵もない。
塩を食うときは血の滴るようなステーキとともに食うのだ。
これはしっかり見るべき。この人物が堂々と力説するこの価値観こそ、自民党の「自助が第一の政治」をわかりやすく説明している。だから、この11年間で、少子化と人口減少は更に加速してしまった。政治責任の放棄と利権の追求。その罪は万死に値する。日本を壊した自民党は、速やかに解党すべきである。 https://t.co/7HhzaMsKKO
— 小沢一郎(事務所) (@ozawa_jimusho) February 27, 2024
「給湯室ガールズトークの元祖」らしいです。
『平安女子は、みんな必死で恋してた』より。
長州新聞の「ドイツ現代史研究の取り返しのつかない過ち」は読む価値大いにありの記事ですね。
ご紹介ありがとうございます。
<そして歴史学そのものが、人間の足跡と尊厳を簡単に消すことができる
暴力装置であることへの自覚の希薄さがある。その政治的緊張感のなさは、
ドイツ現代史に限った話ではない。>
ドイツは外面を整えた上で背信行為をやってのけたが、世界史に登場したのが
(ドイツよりも遅く)明治以来である日本は、外面の取り繕いさえせずに80年
近い戦後を過ごしてきたのですね。