「曇る眼鏡を拭きながら」(くぼたのぞみ 斎藤真理子)

図書館の受付の女性、彼女たちは司書なのだろうか、は、皆さん、とても親切だ。
わけても、この前僕の上着の袖のスヌーピーを「かわいい!」と褒めてくれた人は、言葉遣いが丁寧で、きのうは、「ちょっとお待ちくださりませ」というので、思わず「はい、くださります」と答えてしまった。
からかったわけじゃない、「こんな丁寧なことを言われたのは初めて」、というともう一度「くださいませ」と言い直した。

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ハン・ガンの「すべての、白いものたちの」や

ペ・スアの「遠きにありて、ウルは遅れるだろう」や、

ハン・ガン「回復する人間」

の訳者である斎藤真理子とくぼたのぞみの往復書簡集「曇る眼鏡を拭きながら」を借りてきた。

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往復書簡集などというものを読むのは初めてかもしれない。
↑の『遠きにありて、ウルは、、」の記事にもあるように、斎藤真理子の翻訳本に惹かれたときに、たまたま新聞でこの本を紹介する記事を読んで、すぐに予約したのだった。

読み始めて、すぐに思い出したのは、高校のときに「文通」をしていたこと。
『蛍雪時代』だったか、それとも通信添削・増進会みたいなものだったか、文通希望者の欄があって、そこに登録したら、何人かの応募者があって、そのうちの一人、東京の、たしか中野の富士高校の女子学生と文通を続けた。
身の回りのことや、好きな小説のこと、学校のことなど、いろんなことを、今から思うとクダクダと言ってもいいくらいに書いて、向こうからもそれに対して丁寧な感想が送られてきた。
この往復書簡も、同じように、いろんな話題が(二人は、はじめこの本の題名を「話は飛びますが」としようとも思ったという)飛び交って、それに対して、自分がどう感じたかを返していく、そうしながら、話は飛びますが、いろんな話題に転じていく。

文通に限らず、昔は僕ももう少し丁寧な手紙のやりとりをしていた。
いつの間にか、用件のみみたいな、ぶっきらぼうな手紙になってしまった。
ブログのコメントのやりとりも、初めのころは、もっといろんなことを書いて、長い「ふんどし」になったのに、今の愛想のないこと!

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1950年生まれのくぼたは、北海道出身、10歳若い斎藤は新潟出身、詩人で翻訳者同士、藤本和子の偉業をたたえる仲間でもある。
彼女たちの話に触発されて、さっそく藤本和子の訳した本や「塩を食う女たち 聞書・北米の黒人女性」などの著書を、数冊図書館に予約してしまう。

東京の雪、北海道の雪、新潟の雪、その思い出を読みながら、僕も長野の雪や会津の雪を思いだして、話に加わっているような気になる。
斎藤が訳した、ハン・ガンの「すべての、白いものたちの」のなかに出てくる雪のシーンにくぼたが衝撃を受けたと云って、その一節を引いているのを読むと、ああ、僕も読んだよそこ、よかったね、と相槌をうちたくなる。

朝鮮語の「雪」と「目」は同音異義語で、どちらも「ヌン」、ハン・ガンの作品で、バスの中の乗客の誰かの「ヌン」が、空から落ちる「ヌン」を見つめていたとおもうと、つい立ち止まって味わいたくなる風情がある、と斎藤が書く。
その個所に出てくる「ヌンソンイ」、「ソンイ」は「花びら」の「ひら」に近い、それで「雪片」と訳したけれど、ほんとは漢語ではなくやまとことばの語彙が欲しいと。
彼女が、ずっと前に韓国に住んでいたときに、書いたものが出版されたのは韓国語の詩集で、その中に「吹雪」というタイトルのものがあって、それは「ヌンソンイ」という言葉を使ってみたいという理由だけで書いたのだという。
「他のすべての雪片ととてもよく似ているただ一つの雪片」、だけど雪片が気に入らないから日本語にしたくない。

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翻訳者同士の翻訳をめぐる話には目を啓かれる。
藤本和子の「ブルースだってただの唄」という聞書について、くぼたは「聞き書きそのものが翻訳なのだから」と言って、
だって、現場で語られているのは、英語で、録音された音声を聴きながら、一気に日本語にしているわけですから、聞き書きのなかに翻訳はあらかじめ組み込まれています。これは、Born translated=翻訳されて生れてきたことばたちですよね。そういう言語間の行ったり来たりの立体感をつぶさないこと、文化や民族など異なるものの存在を感知させるように書くこと=翻訳すること、というのを藤本和子はめざしていたと思う。
とメールで語ると、斎藤は、
そうだ、その「異なるものの存在」が感知できるものとして、「わたしはとても満足しているというひらがなと漢字の交じり具合や、「わたしは~ないからね」という語り口が存在していて、私はそこから大丈夫というイメージを受け取ることができたんだと思った。
と書く。

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子供を産んで以来、お化けだの幽霊だのが怖くなくなった。
目の前の小さな人が必要としているものを準備するためには、自分の「幼児性」は封印しなければいけない。
ここを読んで、僕は、あっ!と思った。
僕はそういう意味で、自分の幼児性をずっと今も引きづり続けているのではないか、と。
子を育てることを妻に任せてしまった僕は、と。

Commented by ago1-filo2 at 2024-02-23 12:49
図書館で予約して、待ちに待って…。昨日から読み始めたところです。
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェを読む時、くぼたさんの訳者あとがきから読むとワクワクします。
本書を読み始めて、久し振りにブログを書いてみようかなと考えた矢先に
ツィッター(Xは嫌い)で流れてきて、嬉しくて飛んできちゃいました。(笑)
Commented by saheizi-inokori at 2024-02-23 14:33
> ago1-filo2さん、嬉しいなあ、こういうの。
ブログと本と彼女たちと、そこに出てくる人や本と、響きあって居るようです!
Commented by テイク25 at 2024-02-23 16:05 x
フォローしていたわけではないけれどどなたかのリツイートで偶然くぼたのぞみという人のツイートを読み、彼女のブログに行ってみたらそこにはとても興味深い記事が様々あってファンになりました。そして迷わず「曇る眼鏡を拭きながら」を購入しました。寝入る前の短い時間しか読まないので時間がかかってますが、もうすぐ終わりそうです。
Commented by saheizi-inokori at 2024-02-23 18:50
> テイク25さん、二人のやり取りが面白く、どんどん読んでしまいますが、勿体ないから明日の分を残しました。出てくる本や人に興味が湧いて、しりとりのように(書中の表現)読みたい本が増えていきます。
Commented by tanatali3 at 2024-02-24 01:36
「言葉に身をひたしてきた」「詩人で翻訳者」、いい翻訳をされるだろうな・・・としみじみ思います。
素養が無く的確な日本語が浮かばない歯がゆさ、ありました。それも今は昔となりにけり。
Commented by saheizi-inokori at 2024-02-24 06:40
> tanatali3さん、いい翻訳に接して彼女たちを知り、往復書簡を読んで、その内実がいい翻訳をしたことを知りました。
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by saheizi-inokori | 2024-02-23 12:32 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(6)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori