傷と回復


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ハン・ガン「回復する人間」読了。
とちゅうで、図書館に予約した本が何冊か到着して、そっちを先に読んだため、ちょっと長い中断だった。
もっとも、傷を負い、その傷に向き合い、さらに傷を負うことを引き受けながらも「回復」しようという人間の話は、読みつづけるのがしんどく感じられることもあって、中休みはよかったかもしれない。

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「青い石」、亡くなった「おじさん」、画家であり友人の叔父であり、「私が一歳、また一歳と年を取っていく様子が、少しづつ老いていく姿が見たい」と言っていた、雨の降る午後に最初で最後のキスをした、その「おじさん」に「久しぶりにあなたに呼びかけてみます。そこであなたは、元気でいますか。私は今も、ここで元気にしています」という言葉で始まる。

昔の友達に突然電話する、昔の恩師を訪ねる、聖職者に会う、急に性格が明るくなったように見える。
自殺しようとする人に共通の行動だという、そのすべてを主人公は、自殺の前ではなく、試みたあとの午前ちゅうにやったのだ。
狂ったように電話番号を押していたのは、ほんとうは、あなたの声、いつも低くて優しくて、わざと聞こえないふりをして二度呼んでもらったこともある、その声を聴きたかったからかもしれない。

血が止まらないので鼻血が出ても救急車を呼んでもらった、蒲柳の人、いつも用心深く生きて、その性格、言葉遣い、歩き方、あなたのすべてはあなたの病気とつながっていた。
アトリエの床にうつ伏せに倒れていたあなたの後頭部には、牛乳パック一個分くらい血がたまっていたけれど、血小板の数値が五千にも満たなかったために血を抜き取る手術は受けられなかった。

生れてこの方旅行らしい旅行の一度もしたことがないけれど、一日のうちにも何度となく身をくねらせて変化していく空の形と色は驚異的なんだと、あなたは言いました。そうやって空を見ていたある瞬間、永遠とか無限というものを、考えたり感じたりするんじゃなく、体でわかるようになったとも言いましたね。それらが何なのかよくわからないと私が言うと、あなたはこともなげに答えました。
それはほんとに、何でもないことなんだ。
そして本当に何でもないことのように、目元にいっぱいしわを寄せて笑いましたね。

もしかしたら時間とは流れるものではないのかもしれない。、、(略)
つまり、あの時間へと戻っていけば、あのときのあなたと私が雨音を聞いてるの。
あなたはどこへ行ったのでもなく、消えても立ち去ってもいない。
だから、あなたに尋ねてもいいでしょう。
「そこで元気でいますか」。

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「左手」
とつぜん左手が勝手に動きだす。
嫌味な上司のしつこい叱責に耐えている主人公の意志を無視して、耳を抑え、さいごには上司を殴ってしまう。
他の短編と違って、平凡な銀行員・男性が主人公で、回復もしない話。

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「火とかげ」
自動車事故で左手がぐしゃぐしゃになり、それをかばううちに右手も自由に動かなくなって、画家の夢を絶たれたかのように思った主人公の回復の物語。
思いもしなかったアクシデントに遭遇して、絵画に生甲斐を感じ、夫とも穏やかに暮らしていた、それまでの人生が
何かが間違っているという感じ、三十年の人生が間違いだったという――偽りの生活だったという感じだけが強烈な真実として私に触れてくるのだが、だからといってこれからどう生きていけばいいのか、私には何もわからなかった。いや、果たして生きつづけたいのかということすら、はっきりわからなかった。
一生絵を描きつづけよう、それは可能だと思っていたことさえ、今は、あれは驕りだったと思う。
そういう主人公の回復の物語だ。

斎藤真理子 訳
白水社

Commented by shinn-lily at 2024-02-21 07:44
ハン・ガンは「菜食主義者」でダウンしてしまいました。
なにか入ってこなくて、違う世界を暗闇の中で模索するような・・・それで二度読んでみました。
今、なんだかわからないけれど、主人公の画像が浮かぶのです。不思議です。
それ以来、ハン・ガンの作品は触れていないません。良い書評をいただきました。

それにしても韓国の作家の作品がたくさん翻訳されるようになってきたのは嬉しいことです
Commented by saheizi-inokori at 2024-02-21 09:41
> shinn-lilyさん、「違う世界を暗闇のなかで模索する」「なんだかわからないけれど、主人公の画像が浮かぶ」、私にもそういう感じはありました。
また縁があったら読むつもりです。
縁はどこからやってくるのだろう。
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by saheizi-inokori | 2024-02-20 11:22 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(2)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori