青春は「夢分けの船」に乗っているようなもの
2024年 02月 17日
もう土曜日、きっと明後日も土曜日なのだろう。
大掃除と大洗濯、冬のモコモコ上着なども洗った。
一日曇りの予報、でも干し終わったときにちょっと日ざしが注ぐ、お日様のお愛想、もう曇に戻ってる。

きのうはペースメーカーの機能チェックで病院に。
電池切れで取り替えて、早くも一年過ぎてしまった。
昼の時間帯はバスの便が悪いので、歩いていく。
何通りかのルートがあるけれど、気の向くままに歩いた。
歩数にして6000歩、小一時間かけて、春風を楽しみながら歩いた。

服を着たまま、ペースメーカーの上に機械をおいて、メーカー派遣の技師が何かを測って、およそ五分くらい、それを医師が診て、異常なし、次回8月の予約をしておしまい、それで2190円は高いな。
サンチが待ってるし、支払いが高じたからどこにもよらずに、帰りはバスで。
玄関をあけると、うお~ん!遠吠えのように鳴いた。

津原泰水「夢分けの船」読了。
大工の息子が、親の家業を継ぐ気になれず、大学も中退して、新居浜から上京、代々木の音楽専門学校に入る。
かつて見た象のドキュメンタリー映画のBGMが忘れられず、映画音楽の作曲者を志望する。
専門学校が紹介してくれたアパートの部屋はグランドピアノが置いてあって、防音、でもピアノの鍵がないから弾くことができない。
その部屋に住んでいて身投げ自殺をした女性の幽霊が出るというけれど、一向にその気配はない。
おなじアパートに住む風俗の女性、下に住む漫画家、主人公がバイトをするスナックを経営する幽霊の姉、学校のバンド仲間、高校からの竹馬の友、幽霊になった女と一緒に住んでいて、彼女を死に追いやったという音楽プロデューサー、、いろんな人に囲まれて青春を彷徨う。

ミステリもどき、ユーモアも含めて漱石もどきの文体が、現代の文章にない味わいをもたらす。
小さなエピソードのそれぞれが丁寧に描かれて、面白く読めた。
主人公は町に自生する草木の名前をよく知っている。
それは大工の父の影響で、父は仕事の現場に生えていた雑草を持ち帰って、図鑑で調べた。
名前がわかると、すぐに捨ててしまう。
酒に調子づいたときに、得々とこう語った。

主人公を「上昇志向の強い人じゃない。(彼の好む音楽は)他人を踏み台にしても伸し上がろう、生き残ろうとする人間が志す音楽じゃない」という言葉が出てくる。
僕は?
やっぱり上昇志向がほとんどなかったなあ、とつくづく思った。
貧困から抜け出して、晩酌ができればいい、そう思っていた。
仕事は、漫然と「公のためになる」ことをやりたいと。

音楽プロデューサーが言う、「音楽は錯覚ですよ」という話にも興味を惹かれた。
僕が美しい音楽だと思っている、たとえばモツアルトは他の人には違って聞こえているのかもしれない。
ふたりが美しいというのは、異なった音楽を指して言っているのかもしれない。

巻末に「編集部より」と題して、津原がこの作品について書いたツイッターが引用されている。
それによれば、漱石は初めのころ「彼」も「彼女」も使っていなかったので、本作でもそうしようとしたら、「これが難しいのなんの」、
彼の死を惜しむ記事をいくつか読んで、この「夢分けの船」を図書館に予約したのだった。
大掃除と大洗濯、冬のモコモコ上着なども洗った。
一日曇りの予報、でも干し終わったときにちょっと日ざしが注ぐ、お日様のお愛想、もう曇に戻ってる。

きのうはペースメーカーの機能チェックで病院に。
電池切れで取り替えて、早くも一年過ぎてしまった。
昼の時間帯はバスの便が悪いので、歩いていく。
何通りかのルートがあるけれど、気の向くままに歩いた。
歩数にして6000歩、小一時間かけて、春風を楽しみながら歩いた。

服を着たまま、ペースメーカーの上に機械をおいて、メーカー派遣の技師が何かを測って、およそ五分くらい、それを医師が診て、異常なし、次回8月の予約をしておしまい、それで2190円は高いな。
サンチが待ってるし、支払いが高じたからどこにもよらずに、帰りはバスで。
玄関をあけると、うお~ん!遠吠えのように鳴いた。

津原泰水「夢分けの船」読了。
大工の息子が、親の家業を継ぐ気になれず、大学も中退して、新居浜から上京、代々木の音楽専門学校に入る。
かつて見た象のドキュメンタリー映画のBGMが忘れられず、映画音楽の作曲者を志望する。
専門学校が紹介してくれたアパートの部屋はグランドピアノが置いてあって、防音、でもピアノの鍵がないから弾くことができない。
その部屋に住んでいて身投げ自殺をした女性の幽霊が出るというけれど、一向にその気配はない。
おなじアパートに住む風俗の女性、下に住む漫画家、主人公がバイトをするスナックを経営する幽霊の姉、学校のバンド仲間、高校からの竹馬の友、幽霊になった女と一緒に住んでいて、彼女を死に追いやったという音楽プロデューサー、、いろんな人に囲まれて青春を彷徨う。

ミステリもどき、ユーモアも含めて漱石もどきの文体が、現代の文章にない味わいをもたらす。
小さなエピソードのそれぞれが丁寧に描かれて、面白く読めた。
主人公は町に自生する草木の名前をよく知っている。
それは大工の父の影響で、父は仕事の現場に生えていた雑草を持ち帰って、図鑑で調べた。
名前がわかると、すぐに捨ててしまう。
酒に調子づいたときに、得々とこう語った。
施工主が雑草としか表現できん草を何々ですねと然りげ無く教えたら、何とは無しに其時から先の態度が変わる。扱いが変る。人というんは可笑しな理由で他人を尊敬するもんやな。

主人公を「上昇志向の強い人じゃない。(彼の好む音楽は)他人を踏み台にしても伸し上がろう、生き残ろうとする人間が志す音楽じゃない」という言葉が出てくる。
僕は?
やっぱり上昇志向がほとんどなかったなあ、とつくづく思った。
貧困から抜け出して、晩酌ができればいい、そう思っていた。
仕事は、漫然と「公のためになる」ことをやりたいと。

音楽プロデューサーが言う、「音楽は錯覚ですよ」という話にも興味を惹かれた。
スピーカーボックスは音楽室とは繋がっていませんし、中で小さな楽団が暮らしているのでもありません。ただコーン紙が空気を震わせているだけです。でももっと云うならば唄も錯覚です。歌い手の声帯が空気を震わせているだけです。その振動を鼓膜が捉えて脳内で又、言葉や旋律に戻しているんです。同じ唄なんでしょうか?僕等の脳内に響いているそれは、歌い手の脳内に息づき声帯や舌への命令として機能している唄と、少なくとも懸け離れてはいないのだと僕等は信じるほかありません、謂わばDNAの同期を。音楽に限らない、僕等は同調の神秘を信じるほかないのだ、と。
僕が美しい音楽だと思っている、たとえばモツアルトは他の人には違って聞こえているのかもしれない。
ふたりが美しいというのは、異なった音楽を指して言っているのかもしれない。

巻末に「編集部より」と題して、津原がこの作品について書いたツイッターが引用されている。
それによれば、漱石は初めのころ「彼」も「彼女」も使っていなかったので、本作でもそうしようとしたら、「これが難しいのなんの」、
いちいち「三四郎は」とするのと「彼は」とするのとでは、理屈上は同じでも色合いが違う。「彼」という「三四郎」の影が存在しない世界、あんまり「三四郎」を連発するのは漱石も息苦しいと思うらしく、いきおい次なる主語は外側の人や事物や、頭の中の想念そのものとなる。三四郎は観察者と化す。本作を「文藝」に連載、完結後、改稿しようとしている矢先に津原は急逝した。58歳。
彼の死を惜しむ記事をいくつか読んで、この「夢分けの船」を図書館に予約したのだった。
私も「夢分けの船」今図書館に予約しました。
順位が1なのですぐに借りられそうです。
色について、人と同じ色を見ているとは限らない、と思ったことがありました。
音も同じかも知れませんね。
早咲きの桜が咲き始めていて、
晴れた日の散歩道は歩いているだけでうれしくなります。
順位が1なのですぐに借りられそうです。
色について、人と同じ色を見ているとは限らない、と思ったことがありました。
音も同じかも知れませんね。
早咲きの桜が咲き始めていて、
晴れた日の散歩道は歩いているだけでうれしくなります。
1
こんにちは、
伊丹十三がサローヤンの「パパ、ユーアークレイジー」の翻訳をやってます。
原文がmy father saidなど、頻出しているので、伊丹さんも「僕の父は」と逐一訳しているのです。今、本棚を探したら、原書の短縮版と和訳の「我が名はアラム」しか無かった…w
で、伊丹訳の効果は「ダディー…」と呼びかけた時か何かに出ていたような。ちょっと思い出せないのですが。何故そのように訳していたのか解説にあったかと記憶してます。
津原さんは早世した作家でしたか。
この前石原慎太郎へ言及したのは、西村賢太と石原慎太郎は近い時期に亡くなられた事が思い出されたものですから。
伊丹十三がサローヤンの「パパ、ユーアークレイジー」の翻訳をやってます。
原文がmy father saidなど、頻出しているので、伊丹さんも「僕の父は」と逐一訳しているのです。今、本棚を探したら、原書の短縮版と和訳の「我が名はアラム」しか無かった…w
で、伊丹訳の効果は「ダディー…」と呼びかけた時か何かに出ていたような。ちょっと思い出せないのですが。何故そのように訳していたのか解説にあったかと記憶してます。
津原さんは早世した作家でしたか。
この前石原慎太郎へ言及したのは、西村賢太と石原慎太郎は近い時期に亡くなられた事が思い出されたものですから。
音楽は錯覚、
音楽もでしたか、私は昔から、自分が赤だと思って見てる色は、果たして他の人の目にも同じふうに映っているのだろうか、というのが疑問でした。
音楽もでしたか、私は昔から、自分が赤だと思って見てる色は、果たして他の人の目にも同じふうに映っているのだろうか、というのが疑問でした。
> daikatotiさん、この小説の主人公は、急に右目と左目で見る色が変わってしまうのです。
言葉の意味なんて、それこそ人それぞれなのかも知れませんね。
言葉の意味なんて、それこそ人それぞれなのかも知れませんね。
by saheizi-inokori
| 2024-02-17 12:40
| 今週の1冊、又は2・3冊
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