大津皇子の辞世
2024年 01月 30日

裏金不記載の修正について、裏金が政治団体に対するものであれば、違法とならず、また課税も免れる。
それは、議員の申告をそのまま形式的に認めるというのが実務らしい。
誰が考えても、政治家個人の自由に任された金を、そういう嘘で言いつくろうのは、壮大なマネーロンダリングだ。
本日の予算委では
— 小西ひろゆき (参議院議員) (@konishihiroyuki) January 29, 2024
①派閥が議員にキックバックすることも議員がそれを受け取ることも犯罪であるのにそれを検察が捜査していないこと
②議員個人の資金であれば納税の義務があるが、収支報告書の訂正により「政治団体の資金」としてマネーロンダリングがなされようとしていることなどを追及しました。… pic.twitter.com/yZTfFP4WFW
立憲の小西が、火の玉になるという総理自ら、各議員にその点を確かめたのかと、追及するけれど、検察が不起訴にしたことは、団体への寄付と認めたのだと思うと、逃げをうつ(なんども)。

けさのテレビでも、小西の発言をきちんと報道しないで、岸田の「法律に従って厳正に対処してもらう」という言葉だけが取り上げられて(大西議員の質問に対して)、まるで追徴課税がなされるかのように伝えられる。
メデイアは悪意ではなく、リテラシーが欠けているのかもしれない。
政治活動の自由は尊重するとしても、だからといってなぜ使途不明が許され、課税がなされないのか。
言論の自由を云う作家が表現活動で得た所得の非課税を主張することができるのか。
貧乏育ちの僕には、あの高級レストランや割烹、さらには、なにかというと豪華な弁当の朝飯や昼飯会も、なんで税金や非課税の寄付で賄うのかが解せない。
いわば高等乞食、いや下等乞食なのだろうか、あの連中。

「釋注萬葉集 ニ」、すこしづつ読む、モツアルトなど聞きながら、それが心地よい。
24歳の大津皇子が、政争に破れて自邸で殺される直前によんだとされる、有名な一首。
大津皇子、死を被(たまは)りし時に、磐余の池の堤にして涙を流して作らす歌一首
百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ
伊藤博の釋注を読もう。
大津皇子は、「百伝ふ」の枕詞を、はじめて「い」を語頭に持つ言葉(磐余)に用いたのである。大きな数に伝い行く意のこの枕詞によって、磐余の池の永遠性が提示された。そしてそれに応じて、下二句の「今日のみ見てや雲隠りなむ」に託されるはかなさが浮き彫りにされた。「百伝ふ」の一語、きわめて大切である。「雲隠る」という貴人につかう言葉を、死に行く大津が自らつかうはずがないから、これは後人仮託の歌であるという見方があって、それはたぶん正しいのだろうが、そうは思いたくないような魅力があると伊藤。
一方、第三句の「鳴く鴨」は生きているものの生命感を表している。その鳴く声は今死に行く大津の心の慟哭を表象しているかもしれないが、そうであっても、鴨は皇子の身に迫る危害とは無縁に、無心に鳴きしきっている。それは、生き物の呼吸して躍動する強いあかしである。それと対比的に大津は今まさに生命を閉ざされるわけで、これまた「百伝ふ」と力をたずさえながら、下二句のはかなさを浮き立たせる。
「今日のみ」の身を切る限定は、「百伝ふ磐余の池に鳴く鴨」によって無限の状態に突きつめられるのである。「を」の助詞は、「百伝ふ磐余の池に鳴く鴨」全体にかかわる。だから、これは単なる格助詞ではない。命躍る鴨に対する、今を限りと逝く者の万感の思いがこもる。「鳴く鴨よ」という熱い注視がここにはあり、その注視ゆえに大津はこの鴨を見るのは今日限りだということになる。
死を凝視してかくも深く、生きてあることの実感を伝えてかくも切ない歌を、ほかに知らない。結句に、大津の霊魂が鳥と化して雲のかなたに隠れる姿を読み取るならば、なおさらである。
一首を味わうことを教えられた。
税務署員に文句を言いたい人が大勢いるでしょうね。
言ったところで税務署員が悪いわけではないのですが。
所得税でも相続税でも
通帳を精査して重箱の隅をつつくようなことをすると聞いていますが
(場合によっては何十年も前まで遡って)
庶民ではなく悪徳議員をつついてほしいです。
かつて大藏省(財務省)の幹部と親しい人が、その人に頼んで税務調査を免れたという話をきいたことがあります。
よもや、今もとは思いますが、権力には大海人皇子揃いに見えます。
わがせこをやまとへやると小夜ふけて暁露にわがたちぬれし
間違っているかも。
大津皇子を見送る姉の詠んだ歌ですね。
高校時代の古文の授業で教えてもらった万葉集のうたです。
古文の先生は、「秋山」は当時死を意味する言葉だったと教えてくださいました。
姉の大伯皇女は、都へ帰ってゆく弟に死が待ち受けていることを知っていたのですね。
そののち、弟が処刑されたことを知った大伯皇女は
現実の人より我れや あすよりは二上山をいろせとわがみむ
とも詠ったとか。
うろ覚えですが、
当時から権力争いのすさまじさが常にあったことを教えられます。
間違いがあったらお許しください。
きれいなお金(税金とか)を、人には言えない位汚くするのをなんというのでしょうかねえ。
何故こうも政治家・・・?いえいえ、政治屋だけが好き放題、勝手し放題が許されるのか。
あさましくいじましい集団です。
巷には、今日のお米を買うのにも精一杯の人達がおおぜいいるでしょう。
寒空の下解雇され、部屋を出なければならなかった人も。
いくら選挙で選ばれたとはいえ、心の腐りきった人々を私たちの税金で養うのも
また勝手に懐に入れられるのも、もううんざりです。
🌳 🌳 🌳
このところ、死について本当に身近でかんじることがありました。
どう飲み込めばいいのかまだできていません。
寒さ厳しき折、お体大事にお過ごしくださいませ。💐
井沢元彦の問題提起は、やがて彼が日本史を解読するキーワードとする「言霊」「鎮魂」というテーマを導き出します。「逆説の日本史」
そこには伊藤博の論考も取り上げられています。