戦争はすぐに収まる
2024年 01月 12日
ついで靴下や下着を洗う。
朝飯を食う間だけつけたエアコン(いつもはつけない)と扇風機にあてて、今はベランダに干す。
日中も、日の移りに即して、裏返したり、向きを変えたり、物干しを動かしたり、こまめに面倒をみる。
夕方、取り込む時にうまく乾いている時の喜び!僕のPerfectdayだ。


写真に付されたキャプションが、ひとつの記憶を呼び起こした。舞踏会へ向かう三人の農夫 1914年。作家は、予定どおりに舞踏会へ行けない三人の踊りについて、軽口交じりにスタンダップコメデイをみるように語る。
年を見るだけで、三人が舞踏会に予定どおり向かってはいないことは明らかだった。私もまた、舞踏会に予定どおり向かってはいなかった。我々はみな、目隠しをされ、この歪みきった世紀のどこかにある戦場に連れていかれて、うんざりするまで踊らされるのだ。ぶっ倒れるまで、踊らされるのだ。
ちょっとエロテイックでグロテスクでもある滑稽。
そうしながら、二十世紀と十九世紀の違いについて、戦争の起源についても考察する。
それらは、滑稽のうちに、21世紀の我我に対する警句も含まれるようだ。
第一次大戦が勃発したとき、多くの人がこの戦争はすぐに終わると予言した。
こうした楽天が生じたひとつの根拠は、新しい軍事テクノロジーにあった。ヨーロッパじゅうの徴兵可能な男子の総数を、現有の大砲や機関銃の総数から想定される妥当な殺傷者率で割ると、およそ四週間ちょっとで両陣とも全員死んでしまう計算だったのである。またある者は、ヨーロッパ諸国はいまや経済的な相互依存の度合いが非常に深まっているから、長い消耗戦を生き抜ける国などひとつもはいはずだと論じた。それにまた、現代の戦時政府が、数か月以上政権の座にとどまるのは不可能だ、とも。プルーストの「失われた時を求めて」でも、将校サン=ルーが政治的ロジックの逆説を駆使して青白き市民マルセルに講釈する。戦争は数週間以上つづくはずがない、どちらの側もそんな準備をしていないのだから、、、。この小説は戦争の小説と言えるのかもしれない。
戦争のいろんな顔を饒舌に語る小説。

さて、現代日本の男村における、この鈍感・鈍重な知事は、災害との戦争を、どのようにとらえているのだろうか。
自然に発生して、自然に消えて行く戦争だとも?
馳浩知事 今月13日に岸田総理と被災地入りかhttps://t.co/Ej7PWWWcvF
— ソウル・フラワー・ユニオン (@soulflowerunion) January 11, 2024
「地震の発生以降初めて開かれた馳浩知事による記者会見。馳知事は今月13日に岸田総理とともに能登地域の被災地を訪れる意向を明らかにしました」
なんやねんそれは、行ってなかったんか?
もうすぐ2週間、前代未聞。
それでどんな説明や対策を話せたというのでしょう。緊急事態宣言が遅かったわけですね。
県民を一体何だと思っているのでしょう。腹が立つ!
ミラーニューロンですね。