「碌々として老いる」 正宗白鳥が面白そうだ
2023年 11月 30日
きのう録画で見たのは、NHKの「ベストドキュメント 22」の石川テレビ作の「日本国男村」。
石川県の知事の長期政権による異様な知事部局のようすと、イスラム教徒のインドネシア人の女性と結婚して自分も改宗した夫の一家のようすを交互に見せる、ナレーションがない、いささか前衛的な手法にとまどったが、我慢して見ているうちにだんだん、その意図がわかってきた。
日本では「普通でない」として白眼視され差別されているイスラム教徒の一家のありよう、とくにその妻の発言が、じつは尋常当たり前であり、反対にノーマルとされている男性中心の停滞する政治社会が、じつはオーウェルの小説世界のように異常でグロテスクなものであることが、くっきりと浮かび上がってくるのだ。
そして、それは石川県だけのことではなくて、日本国のことであることも。
後半、谷本知事がとつぜん不自然な辞職をして、長年彼の選挙事務局長をしていた馳浩現知事が、こんどは自民党(とうぜん、あのシンキロ―=森妖怪が推して)から出馬して当選する。
初めての記者会見で「石川に新しい流れを、をキャッチフレーズにして当選しましたが、具体的にどんなことを考えているか」と問われ、一瞬詰まって「核心をついた質問です、、たとえばこういうこと」と壇上に女性ばかりを上げたことをいう。
まるで、さいきんの、アベの言い付けにしたがって五輪誘致に官房機密費をつかって海外の有力者に豪華なアルバムを贈ったという、そのあとすぐに撤回した発言のドタバタの予兆を示していた。
また、イスラム教の妻が、「ロシアがウクライナに侵攻するのを非難するのに、イスラエルがパレステイナを侵略するのには黙っている」というのも、ことしの出来事を予想していたかのようだった。
正宗白鳥、昭和37年に83歳で亡くなった作家だ。
僕がその名を知ったのは、知っている作家たちのことを読んでいるなかで、なんだか怖いような大家として登場したのだ。
新聞や雑誌の月評を書いてもいたと思う。
でもその小説は読んだ記憶がなかった。
猫額洞さんのブログで、正宗の『世界漫遊随筆抄』のことが紹介されていて、それを読みたくなった。
正宗という人に興味をもったのだ。
しかし図書館にその本はなかったので、代りに弥生書房の「現代の随想27 正宗白鳥集 (小島信夫 編)を借りてきた。
そのうち、「チェーホフ論」を読んでみた。
正宗はシェストフの「悲劇の哲学」に書かれたチェーホフ論に共鳴し、「読んでいて痛快である。その評論に含んでいる阿片の毒素に打たれながらの快感であるが」と書いている。
シェストフのチェーホフ観は、日本人評論家などがいうところの「失望の声のうちにも、人類将来の幸福なる社会を暗示してゐる」というような生易しいものではなく、「底抜けの絶望」を描いているそうだ。
55歳のときにチェーホフ論を書いた、その13年後に「小説の魅力」というエッセイを書いている。
新聞や雑誌の懸賞小説の審査役を依頼されて、
シニカルなおっさんの小説も読んでみようと、新潮社「日本文學全集」の正宗白鳥集を借りてきた。
昭和38年に出版された本なのだが、ページをめくるのは僕が初めてなのだろうか。
ページの上部がくっついていて、真新しい本を読むような感じなのだ。
冒頭の「塵埃」は、明治40年に発表された作品で、年譜に28歳、「好評を得て新進作家として嘱目された」とあった。
話は、小さな新聞社の「明けて二十六となるべき予」が、いずれ立派な絵画や小説をものすようになることを夢みながら、単調でつまらない校正の仕事をしている。
先輩たちの、現状に妥協して日々を浪費する姿を憫笑を持って眺め、最年長の校正担当・小野さんを酒に誘う。
「安直な処」と云う小野さんを本郷の「暖簾の汚れてるお陰か(学生は来ず)、お客は大抵予等と同類で、塵埃の中から捜し出した金をつかう」鮨屋にともなう。
火鉢を真ん中に小野君と向かい合って座った予は、独断で、かき卵、ヌタ、甘煮などを命じる。
女中が霜脹れの手で、膳を突き付けるやうに並べて、銚子から湯気が立ってゐる。
呑んでいるうちに小野さんは、急に人相が変って、木彫りの像に魂が入ったやうに筋肉がゆるやかに動き出す。
呑むと悪い癖があって、若い人が羨ましくなり、自分の身が哀れっぽくなって仕様がない、平生(ふだん)は何の気なしに聞いたり見たりしたことが、急にむらむらと思い出される、碌々として老いるってのは私たちのことだ、碌々ってのは、いろんなつらい思いが打ち込まれているんで、決して吞気にぼんやりして老いるんじゃない、、。
校正の仕事は張り合いのない仕事だから、何とかしなくちゃと思っているうちに、ずんずん月日がたってしまう、社でも、随分波が立つけれど、私たちのように抜き手の切れない者は、そのたびにぎょっとして、手足がいじけてしまう、いじけた挙句が碌々として老いるんです、、。
酔って、謡曲をけっこう上手に歌って見せて、能を見に行くなんてできないので、会社の「能楽』という雑誌をもらってきて読むのがせめてもの慰みだったけれど、その雑誌さえ会社で没収することになって、明日に一城を奪われた思いで、夕食が済むと茶を飲んで、ころりと横になって、天井の蜘蛛の巣でも見てるんです。
雑誌一冊位、訳を言ってもらったら、というと、
いや、それを主張するだけの元気があればいいんですがね、いつかも、物価は高くなる、子供は殖える、困り切った挙句、五重塔から飛び降りる気になって増給を願い出たら、不服ならおやめになっても差し支えないと厳命がおりた、、生きているだけが有難いお慈悲だと思い返した。
(へゝゝゝゝと凄く笑って)や、こうしちゃいられない。子供に春着一枚も造ってやらないで、親が酒を飲んでもいられまい、さ、帰りましょ、とよろよろと立ちあがった。
とまあ、そういう話。
なんでこんな古臭い自然主義の小説が僕を惹き付けるのか。
石川県の知事の長期政権による異様な知事部局のようすと、イスラム教徒のインドネシア人の女性と結婚して自分も改宗した夫の一家のようすを交互に見せる、ナレーションがない、いささか前衛的な手法にとまどったが、我慢して見ているうちにだんだん、その意図がわかってきた。
日本では「普通でない」として白眼視され差別されているイスラム教徒の一家のありよう、とくにその妻の発言が、じつは尋常当たり前であり、反対にノーマルとされている男性中心の停滞する政治社会が、じつはオーウェルの小説世界のように異常でグロテスクなものであることが、くっきりと浮かび上がってくるのだ。
そして、それは石川県だけのことではなくて、日本国のことであることも。
後半、谷本知事がとつぜん不自然な辞職をして、長年彼の選挙事務局長をしていた馳浩現知事が、こんどは自民党(とうぜん、あのシンキロ―=森妖怪が推して)から出馬して当選する。
初めての記者会見で「石川に新しい流れを、をキャッチフレーズにして当選しましたが、具体的にどんなことを考えているか」と問われ、一瞬詰まって「核心をついた質問です、、たとえばこういうこと」と壇上に女性ばかりを上げたことをいう。
まるで、さいきんの、アベの言い付けにしたがって五輪誘致に官房機密費をつかって海外の有力者に豪華なアルバムを贈ったという、そのあとすぐに撤回した発言のドタバタの予兆を示していた。
また、イスラム教の妻が、「ロシアがウクライナに侵攻するのを非難するのに、イスラエルがパレステイナを侵略するのには黙っている」というのも、ことしの出来事を予想していたかのようだった。
正宗白鳥、昭和37年に83歳で亡くなった作家だ。
僕がその名を知ったのは、知っている作家たちのことを読んでいるなかで、なんだか怖いような大家として登場したのだ。
新聞や雑誌の月評を書いてもいたと思う。
でもその小説は読んだ記憶がなかった。
猫額洞さんのブログで、正宗の『世界漫遊随筆抄』のことが紹介されていて、それを読みたくなった。
正宗という人に興味をもったのだ。
しかし図書館にその本はなかったので、代りに弥生書房の「現代の随想27 正宗白鳥集 (小島信夫 編)を借りてきた。
そのうち、「チェーホフ論」を読んでみた。
正宗はシェストフの「悲劇の哲学」に書かれたチェーホフ論に共鳴し、「読んでいて痛快である。その評論に含んでいる阿片の毒素に打たれながらの快感であるが」と書いている。
シェストフのチェーホフ観は、日本人評論家などがいうところの「失望の声のうちにも、人類将来の幸福なる社会を暗示してゐる」というような生易しいものではなく、「底抜けの絶望」を描いているそうだ。
叔父ワーニャだけが絶望人であるだけではなく、医者のアストロフも、哀れなソニャも、絶望に駆られてジタバタすべき人間なのだ。しかし彼等は黙ってゐる、たまには、人類の将来の幸福に関係して、愉快な言葉、天使のやうな言葉を口にする。それ等の言葉を見つけると、浅はかな日本の批評家などは、やたらに有難がるのだが、その実、ソニャやアストロフなどの口に上る愉快な希望的の言葉は、実人生に背くための最後の別れの言葉なのだ。彼らは全世界を棄てた。自分達の中に誰をも容れたくない。本当の絶望の叫びばかりを挙げてゐると、変な人間と思はれ、隣人の好奇心を惹く恐れがあるので、わざと、人類の将来に希望を抱いてゐるらしい快活な言葉なんかを吐いて、それ等の言葉を万里の長城の如くに用ひて、隣人を防いだのだ。これがシェストフの執拗な作品観察態度で、彼は、この態度で、ドストエフスキーが、時々人道主義隣人愛の仮面を被って世人の目を眩ましてゐることを観破した。日本の読者批評家の敢えて為し得ないところである。昭和九年に「文藝」に書かれた、この文章でこうも言っている。
今日の思想に阿諛してゐる議論が、識者顔をしてゐる人々の筆によって、続々新聞雑誌に現はれるのにうんざりしてゐる私は、三十年前に書かれたシェストフの伝統無視の評論を読んで、それが阿片であれ何であれ、溜飲の下がるような快味を覚えてゐる。
55歳のときにチェーホフ論を書いた、その13年後に「小説の魅力」というエッセイを書いている。
新聞や雑誌の懸賞小説の審査役を依頼されて、
古今東西の書物で読みたい物は無限にあると云っていゝのに、余生乏しい私は、いくらも読めさうでない。それなのに、蕪雑な応募小説なんかを読んで脳力と時間とを消費するのは惜しい事のやうに思はれる。などと書き始めて、今(昭和23年)の小説および作家のことや、漱石や鷗外の文学が、
由来懸賞作品の選抜なんか、甚だいゝ加減なものである。あやふやなものである。
あの頃でも「遊びの文学」と云はれ、むしろ軽視されてゐたが、今日に於いて回顧すると、一層天下泰平的文学であり、遊びの文学と云った感じがしないことはない。昔の大家で戦後まで生残ってゐた露伴は、時代に悩まされ、鷗外その他の同輩の窺ひ知らない人生苦を嘗めたのだが、その悩みを文学に現はす気力は無くなってゐた。傲然とし、毅然として文壇を睥睨してゐた鷗外が、今日の世に処してあの態度を持ち続けてゐられたかどうかを私は疑問にしてゐる。我々文壇人はどちらを向いてもえらさうな顔はしてゐられないのである。などとも書いて、「文学芸術は要するに遊びである」、何も暗澹たる人生小説なんかを有難がらなくてもいゝ。面白づくの遊びの文学でいゝではないか、ドストエフスキーの「罪と罰」だけは三度通読してゐるが、面白く趣向を凝らした物語であって、真実のやうでもあり嘘八百の羅列のやうでもあり、みやうによっては、水滸伝的の大仕掛けな遊び文学である、と、チェーホフ論の頃より、老獪になっている。
シニカルなおっさんの小説も読んでみようと、新潮社「日本文學全集」の正宗白鳥集を借りてきた。
昭和38年に出版された本なのだが、ページをめくるのは僕が初めてなのだろうか。
ページの上部がくっついていて、真新しい本を読むような感じなのだ。
冒頭の「塵埃」は、明治40年に発表された作品で、年譜に28歳、「好評を得て新進作家として嘱目された」とあった。
話は、小さな新聞社の「明けて二十六となるべき予」が、いずれ立派な絵画や小説をものすようになることを夢みながら、単調でつまらない校正の仕事をしている。
先輩たちの、現状に妥協して日々を浪費する姿を憫笑を持って眺め、最年長の校正担当・小野さんを酒に誘う。
「安直な処」と云う小野さんを本郷の「暖簾の汚れてるお陰か(学生は来ず)、お客は大抵予等と同類で、塵埃の中から捜し出した金をつかう」鮨屋にともなう。
火鉢を真ん中に小野君と向かい合って座った予は、独断で、かき卵、ヌタ、甘煮などを命じる。
女中が霜脹れの手で、膳を突き付けるやうに並べて、銚子から湯気が立ってゐる。
呑んでいるうちに小野さんは、急に人相が変って、木彫りの像に魂が入ったやうに筋肉がゆるやかに動き出す。
呑むと悪い癖があって、若い人が羨ましくなり、自分の身が哀れっぽくなって仕様がない、平生(ふだん)は何の気なしに聞いたり見たりしたことが、急にむらむらと思い出される、碌々として老いるってのは私たちのことだ、碌々ってのは、いろんなつらい思いが打ち込まれているんで、決して吞気にぼんやりして老いるんじゃない、、。
校正の仕事は張り合いのない仕事だから、何とかしなくちゃと思っているうちに、ずんずん月日がたってしまう、社でも、随分波が立つけれど、私たちのように抜き手の切れない者は、そのたびにぎょっとして、手足がいじけてしまう、いじけた挙句が碌々として老いるんです、、。
酔って、謡曲をけっこう上手に歌って見せて、能を見に行くなんてできないので、会社の「能楽』という雑誌をもらってきて読むのがせめてもの慰みだったけれど、その雑誌さえ会社で没収することになって、明日に一城を奪われた思いで、夕食が済むと茶を飲んで、ころりと横になって、天井の蜘蛛の巣でも見てるんです。
雑誌一冊位、訳を言ってもらったら、というと、
いや、それを主張するだけの元気があればいいんですがね、いつかも、物価は高くなる、子供は殖える、困り切った挙句、五重塔から飛び降りる気になって増給を願い出たら、不服ならおやめになっても差し支えないと厳命がおりた、、生きているだけが有難いお慈悲だと思い返した。
(へゝゝゝゝと凄く笑って)や、こうしちゃいられない。子供に春着一枚も造ってやらないで、親が酒を飲んでもいられまい、さ、帰りましょ、とよろよろと立ちあがった。
とまあ、そういう話。
なんでこんな古臭い自然主義の小説が僕を惹き付けるのか。
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Solar18 at 2023-11-30 19:15
白鳥の名前を見て、ちょっと驚きました。ブログで前に時々書いていた祖母(鬼婆)の長兄です。それなのに作品を読んだことがないのです(地味そうで、とっつきにくくて)。たまに祖母を訪ねてくださいました。彼の晩年に、白鳥氏の弟(画家)のお通夜に一緒に電車に乗って出かけた時のことだけとてもはっきり覚えています。地味で優しい人でした。紹介してくださったおかげで、読んでみる気になりました。
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saheizi-inokori at 2023-12-01 10:47
by saheizi-inokori
| 2023-11-30 11:18
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
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Comments(2)