大佛次郎の最期
2023年 11月 29日
きのうにもまして洗濯日和、ありがたいこっちゃ。
さんさんと日を浴びている洗濯物をみてにやにやする、はたからみたら気色の悪い爺さんだ。
アントニオ・カルロス・ジョビンの三枚組のCD、インタビューやエッセイなどもあるけれど音楽を聴くだけ。
初冬のうららかな日差しを背中に感じながら、本を読みながら、聴いた。
誕生祝いにくれた人はずっと前に逝ってしまった。
貰ったときにちょっと聞いただけで、棚にしまいっぱなしだった。
あれから30年も経っただろうか、ようやくゆっくり聴き直しているのだ。
なんどもなんども聴いている。
今頃になって、ありがとうをふたたび。
大佛次郎「天皇の世紀 12」読了。
最後の一年間は築地のがんセンターの病室で執筆を続けた。
自分のライフワークとしたいと、準備もし、幕末から昭和までを知る作家としての歴史に対する思いと技量のすべてをつぎ込んだ、大作の最後の、大佛の肉声とも聞こえるのが、上に引いた河井の心情描写ではないか。
「人間でもなく、人情などわからぬ魚類か、毀した家のコンクリートのブロックのような表情」、思わず生の感情が迸ったかのようではないか。
歴史の流れに抗う敗者たちの美しさ、翻弄される庶民たちの苦しみ、それがこの大作の通奏低音だった。
これを書きあげた日の日記(筆を持つ力もなく、フエルトペンでかすれた文字、途絶えがち)には、「完成に及ばざりし恨みもとよりあれど、病苦裡寝台に仰臥しよくもここまで書きしと思い感慨深し 字書もなく文字など忘れし頭なり」と書かれている。
その十日後に「新聞の掲載今日の夕刊かぎりである ついでにおいとまできれば理想的なり
みんな しんせつにしてくれてありがとう 皆さんの幸福を祈ります」と最後の日記を書き、その五日後に亡くなった。
(京都・寛永堂「紅羊羹」、白いんげんと赤かぶとあるが、カブの味はわからない)
さんさんと日を浴びている洗濯物をみてにやにやする、はたからみたら気色の悪い爺さんだ。
アントニオ・カルロス・ジョビンの三枚組のCD、インタビューやエッセイなどもあるけれど音楽を聴くだけ。
初冬のうららかな日差しを背中に感じながら、本を読みながら、聴いた。
誕生祝いにくれた人はずっと前に逝ってしまった。
貰ったときにちょっと聞いただけで、棚にしまいっぱなしだった。
あれから30年も経っただろうか、ようやくゆっくり聴き直しているのだ。
なんどもなんども聴いている。
今頃になって、ありがとうをふたたび。
大佛次郎「天皇の世紀 12」読了。
河井継之助が、非戦の志もむなしく、西軍とのたたかいに巻き込まれ、敵を圧倒するが、山縣有朋参謀は乾坤一擲の奇襲によって長岡城を攻め落とす。
河井は敗けておらずに、闇夜に大雨で冠水した泥沼の水田をおかして、わずか6百人で城を奪還する。
中納言西園寺公望は裸足で逃げ出し、山県は寝間着のままで退却を指揮する。
白絣の着物に木下駄をはき、日の丸の軍扇を開き、兵と肩を並べて戦う河井は、
河井は敗けておらずに、闇夜に大雨で冠水した泥沼の水田をおかして、わずか6百人で城を奪還する。
中納言西園寺公望は裸足で逃げ出し、山県は寝間着のままで退却を指揮する。
白絣の着物に木下駄をはき、日の丸の軍扇を開き、兵と肩を並べて戦う河井は、
敗北必至の戦争を支えている。驕って無道の横車を押してくる官軍に日本全国の大小名が威伏せられ無気力に堕している腑甲斐ない末世の現象の中に、長岡藩がひとり消え行く武士道の最後の栄えある働きを示して斃れよう、と確かに昔風に、覚悟を決めているのに過ぎなかった。このあと、援軍を得た西軍が再び城を取り、それでも戦いつづける河井に敵弾があたり、供の者に「人が聞いても傷は軽いと言っておけよ」と言いつけ、それを聞いた男の「この時には思わず涙が出て、何とも言えない感慨に打たれました」という言葉を最後に、<病気休載>と書いて、1555回に及んだ朝日新聞の連載が終わるのだ。
小千谷に談判に行った時に、官軍の如何にも新人らしい若い参謀が、説得しようと懸命な河井の発言に一切耳を藉さず、ナンセンスと頭から拒否するのみで、武士らしくなく、人間でもなく、人情などわからぬ魚類か、毀した家のコンクリートのブロックのような表情を見た時から、悪くすればお家も藩もやがて滅びる運命にあるものと河井は見たのではないか?古い歴史のある藩の実力を示さずに、彼は滅びようとは決してしない。
最後の一年間は築地のがんセンターの病室で執筆を続けた。
自分のライフワークとしたいと、準備もし、幕末から昭和までを知る作家としての歴史に対する思いと技量のすべてをつぎ込んだ、大作の最後の、大佛の肉声とも聞こえるのが、上に引いた河井の心情描写ではないか。
「人間でもなく、人情などわからぬ魚類か、毀した家のコンクリートのブロックのような表情」、思わず生の感情が迸ったかのようではないか。
歴史の流れに抗う敗者たちの美しさ、翻弄される庶民たちの苦しみ、それがこの大作の通奏低音だった。
これを書きあげた日の日記(筆を持つ力もなく、フエルトペンでかすれた文字、途絶えがち)には、「完成に及ばざりし恨みもとよりあれど、病苦裡寝台に仰臥しよくもここまで書きしと思い感慨深し 字書もなく文字など忘れし頭なり」と書かれている。
その十日後に「新聞の掲載今日の夕刊かぎりである ついでにおいとまできれば理想的なり
みんな しんせつにしてくれてありがとう 皆さんの幸福を祈ります」と最後の日記を書き、その五日後に亡くなった。
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tanatali3 at 2023-11-30 17:17
河合継之助をして最後のメッセージを伝える、体力の限界に臨んだ結末でしょうか。
作者の無念さとも重なる気がします。
作者の無念さとも重なる気がします。
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stefanlily at 2023-11-30 23:52
こんばんは、
大佛は誰かの葬儀の場で、そのお宅の飼い猫が同席していたと。
私の葬儀もそんな感じになるだろう…と書いてました(概要)
増田内野手はラグビーが好きで、オールブラックスの儀式を完コピしてる動画が上がってますよ。
大佛は誰かの葬儀の場で、そのお宅の飼い猫が同席していたと。
私の葬儀もそんな感じになるだろう…と書いてました(概要)
増田内野手はラグビーが好きで、オールブラックスの儀式を完コピしてる動画が上がってますよ。
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saheizi-inokori at 2023-12-01 10:45
> tanatali3さん、無念、というよりも成し遂げたという達成感の方が強かったのではないでしょうか。
渡辺京二も「小さきものの近代」で西南の役まで書こうとして、果たせずに92歳で、逝去しましたが、半分は覚悟の上だったと想像します。
渡辺京二も「小さきものの近代」で西南の役まで書こうとして、果たせずに92歳で、逝去しましたが、半分は覚悟の上だったと想像します。
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saheizi-inokori at 2023-12-01 10:54
by saheizi-inokori
| 2023-11-29 12:46
| 今週の1冊、又は2・3冊
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