美しい古代日本
2023年 11月 16日
どうしたことか、きのうは寒くて我慢できなくなり、この僕としたことがエアコンをつけて本を読んだ。
サンチが膝の上にきたがったのも寒さのせいかもしれない。
けさは、早めに昨日の洗濯物のまだ乾かなかったのをベランダに干して、今日の靴下や下着の洗濯機を回した。
靴下などを干す段になって、昨日の分を取り込もうとしたら、なんと寒気で湿っぽくなってしまう。
日があがるのが遅くなったのだ。
サンチは、きょう抜歯の手術、全身麻酔に爺さんサンチ、しっかり堪えてくれよ。
けさは食事抜き、物欲しげにウロウロする姿が可哀そうだ。
拝殿の鈴は木の実の音に鳴る、亡母の句の意味について、mitch_haganeさんが、有難いコメントをくださった。
みっちさん、ありがとう。
折口信夫「死者の書」、大津皇子が謀反の罪を着せられて磐余の池で殺される前に一目見た、藤原鎌足(小説では官位の大織冠と呼ぶ)の娘・耳面刀自(みみものとじ)を、
二上山、当麻路の脇に埋葬されて、およそ五十年ののち、大津皇子は墓の中で死霊となって目覚め、藤原南家の娘・郎女を耳面刀自とみて、彼女に「おれの子を産んでくれ、おれの名を語り伝える子を」と念じ、幻となり風となり郎女を訪い、誘い出す。
郎女が、春と秋の中日、二上山の男峰と女峰の間に落ちる夕日を拝んでいると、落日の寸前に荘厳な人の俤を見たのだ。
貴い家の娘は、女部屋に住み、そこから外に出ることは許されないのに、郎女は阿弥陀経一巻を千部書き写した、その夜、一人家をでて、奈良から當麻まで歩き続けて當麻寺に入り込む。
女人禁制の寺に入った者として償いのために寺にのこり、蓮の茎を紡いだ糸で山の間にみえた荘厳な人のための衣を縫う。
縫い上がったものに着色をすると、それは曼荼羅となり、郎女は一人音もなく消えていく。
残された者たちが、曼荼羅を見守るうちに、画面には数千の菩薩の姿が浮き出てきた。
萬葉集、當麻寺に伝わる中将姫の伝説、天若日子の神話などが織りなされた小説だ。
古代日本、娘盛りの女たちが太陽を追いかけて一日歩くという「野遊び」や、四天王寺にのこっているような、日迎え・日送りの風習などを、日本人独特の信仰・日想観として評価しようとする折口の気持が、この美しい小説を作らせたらしい。
小説のあとに、「山越の阿弥陀像の画因」という文章が収録されていて、そのあたりについての詳細な”解説”が書いてある。
それを横において、やさしい老婆が、ゆっくりと語ってくれるような、お伽噺として、(難しいけれど)巧みな文章の一つひとつを味わいながら読むのは楽しいものだった。
大伴家持が馬に乗って朱雀大路を行き、恵美押勝の豪壮な屋敷に訪ねて歓談する場面があったりもするのだ。
サンチが膝の上にきたがったのも寒さのせいかもしれない。
けさは、早めに昨日の洗濯物のまだ乾かなかったのをベランダに干して、今日の靴下や下着の洗濯機を回した。
靴下などを干す段になって、昨日の分を取り込もうとしたら、なんと寒気で湿っぽくなってしまう。
日があがるのが遅くなったのだ。
サンチは、きょう抜歯の手術、全身麻酔に爺さんサンチ、しっかり堪えてくれよ。
けさは食事抜き、物欲しげにウロウロする姿が可哀そうだ。
拝殿の鈴は木の実の音に鳴る、亡母の句の意味について、mitch_haganeさんが、有難いコメントをくださった。
「鈴は、縄文時代にクルミなどの木の実やマメを振ると外殻や鞘の中で種子が動いて鳴ることに着想を得て作られた道具ともいわれる。」、とあります。母は、鈴の由来を知っていたのかもしれない。
みっちさん、ありがとう。
折口信夫「死者の書」、大津皇子が謀反の罪を着せられて磐余の池で殺される前に一目見た、藤原鎌足(小説では官位の大織冠と呼ぶ)の娘・耳面刀自(みみものとじ)を、
もゝつたふ 磐余の池に鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠れなむとうたう。
二上山、当麻路の脇に埋葬されて、およそ五十年ののち、大津皇子は墓の中で死霊となって目覚め、藤原南家の娘・郎女を耳面刀自とみて、彼女に「おれの子を産んでくれ、おれの名を語り伝える子を」と念じ、幻となり風となり郎女を訪い、誘い出す。
郎女が、春と秋の中日、二上山の男峰と女峰の間に落ちる夕日を拝んでいると、落日の寸前に荘厳な人の俤を見たのだ。
貴い家の娘は、女部屋に住み、そこから外に出ることは許されないのに、郎女は阿弥陀経一巻を千部書き写した、その夜、一人家をでて、奈良から當麻まで歩き続けて當麻寺に入り込む。
女人禁制の寺に入った者として償いのために寺にのこり、蓮の茎を紡いだ糸で山の間にみえた荘厳な人のための衣を縫う。
縫い上がったものに着色をすると、それは曼荼羅となり、郎女は一人音もなく消えていく。
残された者たちが、曼荼羅を見守るうちに、画面には数千の菩薩の姿が浮き出てきた。
萬葉集、當麻寺に伝わる中将姫の伝説、天若日子の神話などが織りなされた小説だ。
古代日本、娘盛りの女たちが太陽を追いかけて一日歩くという「野遊び」や、四天王寺にのこっているような、日迎え・日送りの風習などを、日本人独特の信仰・日想観として評価しようとする折口の気持が、この美しい小説を作らせたらしい。
小説のあとに、「山越の阿弥陀像の画因」という文章が収録されていて、そのあたりについての詳細な”解説”が書いてある。
それを横において、やさしい老婆が、ゆっくりと語ってくれるような、お伽噺として、(難しいけれど)巧みな文章の一つひとつを味わいながら読むのは楽しいものだった。
大伴家持が馬に乗って朱雀大路を行き、恵美押勝の豪壮な屋敷に訪ねて歓談する場面があったりもするのだ。
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福
at 2023-11-17 06:44
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折口信夫の場合、創作が彼の学問を理解するヒントとなっているとよく言われます。
詩人的な学者と呼ばれる所以です。
詩人的な学者と呼ばれる所以です。
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saheizi-inokori at 2023-11-17 08:36
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unjaku at 2023-11-17 19:53
初コメです。
「ふたりいけど 行きすぎがたき秋山をいかにかきみが一人超ゆらむ」
秋山は「死」を意味する言葉なのだと、古典の時間に教えてもらったことがあります。
大津皇子を大和へ送り出す大伯姉の絶唱ですね。
「現人の人なる我や明日よりは 二上山をいろせとわが見む」
うろ覚えなので、間違っていたらすみません。
大津皇子の詠んだうたは、他にも少し知っていますが、
とてもとても万葉集のすべてはわかりません。
古の時代にも権力争いのために血塗られた歴史があることを
古文を学んだことで少しは知りましたが、
血の通う同じ人間のドラマは、今も昔も変わりません。
「ふたりいけど 行きすぎがたき秋山をいかにかきみが一人超ゆらむ」
秋山は「死」を意味する言葉なのだと、古典の時間に教えてもらったことがあります。
大津皇子を大和へ送り出す大伯姉の絶唱ですね。
「現人の人なる我や明日よりは 二上山をいろせとわが見む」
うろ覚えなので、間違っていたらすみません。
大津皇子の詠んだうたは、他にも少し知っていますが、
とてもとても万葉集のすべてはわかりません。
古の時代にも権力争いのために血塗られた歴史があることを
古文を学んだことで少しは知りましたが、
血の通う同じ人間のドラマは、今も昔も変わりません。
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saheizi-inokori at 2023-11-18 10:35
by saheizi-inokori
| 2023-11-16 12:48
| 今週の1冊、又は2・3冊
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Comments(4)