テレビばっかり見ていると

「テ~レビばっかり見ていると、い~まに尻尾がはえてくる」、これがサンヨーテレビのCMだったのは覚えていなかった。
きのうの夕方から夜まで、ぼくにも尻尾が生えかかった。

「報道特集」で、赤松さんという理容師の青年が発達障害のある子供・元気くんの散髪をするために、一年がかりで彼の警戒心を解いていく。
知らない人に強い警戒心を抱くので始めは家の玄関で両手を打ち合わせるだけ、床屋の中に入るだけでも半年くらいかかったか。
頭を触られるとパニックになる「困った子じゃなくて子供が困っているのだ」と、子供の恐れを失くしてやるために、徹底的に寄り添う。

休みの日にはあちこちに講演にいって、スマイルカットの普及を図り、大学院に通って発達障害児のことを学び、マニュアルを作ろうとしている。

やっとうちとけた元気くんが、きれいにカットしてもらったあと、嬉しそうにぴょんぴょん跳ねるのをみて、赤松さんもお母さんもどんなに嬉しかったか、見ている僕も泪がでたよ。

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「ブラタモリ」では、鯖街道が鯖だけではなく、とおく青森の煙草や山形の紅花なども運んでいたこと、足利12代将軍が沿道の朽木に隠れたことなどを知り、おもいのほか長く続いた(240年)足利時代のことについて、知らないことが多いってことにも気がついた。

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「ドキュメント72時間」では、長野県白樺峠に鷹を見る(撮る)ために集まる人たちが、こんなに多いことを知り、その人たちもさまざまで、あらためて人間はさまざまだと思った。
「街角ピアノ」では、ニューヨークのグラウンド・ゼロの跡にできた建物の中で弾く人たち、子供の頃からピアノを弾いていたという恵まれた育ちでもいろんな人生があること、コロナ禍でホームレスになった男が、「人に見ていてもらいたい」、そのためにここに来るのだと語る言葉に同情した。

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「釋注萬葉集」は、六十四番、志貴皇子の歌
葦辺行く 鴨の羽がひに 霜降りて 寒き夕は 大和し思ほゆ
に着目し、
上代人は、羇旅にあって、旅先の物に執心してそれをほめたたえることと、旅先の物を通じて故郷(家人)に深く思いをそそぐこととを兼ね備えることによって、はじめて旅の抒情が完結され、旅行く人として安全幸福な姿でいられるという思考を、根強く持っていた。
巻のニ「相聞」。
上代の貴族たちの恋模様、乱脈にみえて恥ずかしがったりもする。
口説いたときの歌とその答の歌、こんなに時を超えて僕たちにまでオープンになることを覚悟していたのだろうか。
歌の作法を心得え、機智に富んでいることが求められる。
妾、地方妻、権力者からの譲り渡しなど女性の悲しさが胸を打つ。
藤原鎌足が、臣下には禁じられている采女との結婚を特別にゆるされたときの歌、
我はもや 安見児得たり 皆人の 得かてにすといふ 安見児得たり
皆人、宴の座で、得意満面、歓喜の歌だ。
彼は中大兄皇子に見初められた鏡王女を正妻とし不比等を生むが、鎌足に降嫁するときすでに身ごもっていたという説もあるという。

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大津皇子の悲劇の前兆となる、伊勢神宮斎宮大伯皇女(大津の伯母)の歌、百五と百六は悲劇ドラマの一場面のようだ。
病弱の皇太子・草壁に比して、身体頑健、文武に秀でた大津皇子は、天武の再来として、衆望を集め、皇后と皇太子の急激な唐風化路線に修正をくわえるが、天武亡きあと、謀反が発覚して24歳で殺される。
権能の地位は実力で戦い取るものだという考えが、天武朝の頃にはまだ強く残っていたらしい。(略)
だから、現代人は、古代の皇位継承争いについて、いたずらに勝った者を憎み、負けた者に同情する風を慎まなければならない。(略)
勝ち負けは宿命なのであった。
その大津が、ひそかに通じた石川郎女は、草壁の恋人だった!
草壁皇子の娘の元正女帝の時代に編まれた歌巻の冒頭に、政敵の歌群を押し立てているのはなぜか。
これは、祟りをおそれての鎮魂の行為と認めらる。自分たちが残酷に死なせた者の怨霊をおそれて、寺社を建てたり尊号をおくったりして、丁重に斎き祀ることは古代人の常の行為であった。歌において、女性に敗退するかたちをとり、それを持統朝の冒頭に押し立てたのは、生き残った人びとの古代的な懺悔であっただろう。すでにそれだけで、歌群は美しくも悲しい物語性を帯びる。
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柿本人麻呂が石見の国に妻をおいて、上京するときの「石見相聞歌」。
百三十一から百四十が、人麻呂が遠ざかりゆく門の妻の姿を見えなくする山に向かって『靡けこの山』(邪魔だ、なびいてしまえ)と「愛の雄叫び」を上げる歌が、どのような制作過程を経て出来上がったかを解き明かす。
この歌俳優ともいうべき歌人の制作と公表の実態を石見相聞歌ほどあからさまにうかがわせる作品は少ない。
人麻呂が聴衆の反応に自在かつ真剣に対しつつ、自己の詩を高めて行ったその様相は、すぐれた創造が個人のものであると同時に時代や社会の所産であることを、まざまざと教えてくれる。
きょうから「挽歌」に入る。
Commented at 2023-11-12 16:34 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by saheizi-inokori at 2023-11-12 18:22
> 鍵コメさん、赤松さんも、元気君がいやいやながら散髪させたときには、喜ばないのです。元気君の人生がひらけていくためには、笑顔が必要だつたのです。
見送る高松さんになんども戻ってハイタッチをし、振り返って手を振るのです。
一年前には悲鳴をあげて家から出ようとしなかったのに!
Commented by rinrin1345 at 2023-11-12 19:24
私のしっぽは恐竜並かも
Commented by jyariko-2 at 2023-11-12 20:09
私の尻尾も長ーくなりました
Commented by tona at 2023-11-12 21:18 x
万葉集に戻ったというか、歴史の始めの歌から勉強され始めたのですか?
何しろ知識欲が凄いですね。
鯖街道で紅花、煙草が運ばれていたとは。そして朽木が12代将軍が住んだところとは全く知りませんで、遠くて歩けないので面白かったです。
写真を撮る人の情熱も凄いものがありますね。以前竹田城址を撮影するため、向かいの山に朝4時から詰め掛け、あの霧が漂う幻想的な写真をものにすると聞いて、竹田城址からその山をしげしげと見たことがあります。
Commented by at 2023-11-13 06:39 x
万葉集は壮大な劇詩ですね。
人が人らしくあった時代の詩だと感じます。
Commented by yunko_life at 2023-11-13 09:53
報道特集、見ました。
げんきくんが笑うのを見て涙が滲んでしまっていたら、横にいた夫は鼻をかんで泣いていました。
大学院に行って学ぶところまで努力される赤松さんの気持ちに賛同する理美容師さんが増えてるとのことで、もっと美容室でも他の場面でも、あんな風景が増えるといいなと思います。
Commented by saheizi-inokori at 2023-11-13 09:58
> rinrin1345さん、ご飯食べてすぐ寝転がると牛になる、ってのもあったなあ。
Commented by saheizi-inokori at 2023-11-13 09:59
> jyariko-2さん、昼は面白いのがないので、その間に引っ込むかと、私は思っています。
Commented by saheizi-inokori at 2023-11-13 10:02
> tonaさん、白馬峠に泊まり込むのですよ。
それも毎年来るんですって。
それだけ強い「推し」をもてるって羨ましいような気がします。
トナさんの街道歩き、鯖街道を加えたらいかがすか。
日帰りはむずかしいので、特別編!
Commented by saheizi-inokori at 2023-11-13 10:03
> 福さん、今の私たちの心の中にも共通するものが大いにあるのですね。
古典のすばらしさです。
Commented by saheizi-inokori at 2023-11-13 10:06
> yunko_lifeさん、いいですね、夫婦そろってあの場面に共感できるなんて。
元気くん、よほどうれしかったんでしょうね。
きっといつも、こういうふうでは良くない、他人ともっと親しくしたいという気持ちも潜在的に抱えていたんじゃないのかな。
葛藤を克服した喜びかな。
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by saheizi-inokori | 2023-11-12 13:21 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(12)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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