ドイツ人とフランス人

世界中からの抗議をものともせず、ネタニエフはガザへの侵攻をやめない。
日本政府はもっとはっきり停戦を呼びかけるべきだ。



散歩に出たら、日体大のグランドで大歓声、いつもはいない人たちがいっぱい。

ドイツ人とフランス人_e0016828_10024629.jpg

行ってみたら、アメフトの試合をしている。
近くの人に尋ねたら、関東大会という。
日体大とどこかなのかと思ったら、立教と明治学院の高校生だという。
アメフトというものを生で見るのは初めてかもしれない。

ドイツ人とフランス人_e0016828_10031460.jpg

僕の眼にはなにがどうなっているのか、まったく見当がつかないのに、まわりは「よし!とめろ」とか「そこだ、いけ!」などとてんでに声援を送っている。
こんな遠くからよく見えるものだと感心半分、ついていけない寂しさ半分でグランドを後にした。
図書館に行ったらホールでにぎやかな若者たちの声がする。
覗いたらブレイキンをやっている。
これも僕にはついていけへんな。

ドイツ人とフランス人_e0016828_10061277.jpg

長谷川宏に浮気をして、しばらく寂しい思いをさせていたハイネ「ドイツ古典哲学の本質」を読みつぐ。
ドイツの汎神論、スピノザに対する様々な党派の戦いをハイネの描写。
これらの軍団は大軍団になっている。その軍団の混成ぶりは、このうえもなくこっけいな様子である。黒や白の頭巾をかぶった一むれが十字架をふりまわし、香炉のけむりをたてておし進むのと並んで、百科全書派の密集方陣が「あの大胆な思想家」をやっつけようとうごめいている。アムステルダムのユダヤ教会堂の律法博士がユダヤ教のしるしであるあの牡山羊の角笛を吹いて攻撃の合図をしているかと思えば、そのとなりではアルウェ・ド・ヴォルテールが超越神論をまもるために、スピノザ哲学をからかう横笛を吹いている。そのあいだにまじって、この十字軍の酒保女であるヤコーピばあさんが、めそめそ泣いている。
ヤコーピという人は、猛烈にスピノザを攻撃したことで「哲学者」としてかぞえられたが、じつはけんか好きの卑怯者にすぎなかった。
つまり哲学というマントに身をつつんで、ほんものの哲学者のあいだにしのびこみ、その哲学者たちにはじめは自分の愛情や、やさしい心づかいをすすり泣くようなこえで、たっぷり広告しておいて、しまいには理性を大ごえでくさすという男である。
理性の力を否定し、信仰のみが人間を正しくみちびいてくれる、とするヤコーピを、ハイネは
理性も太陽もしっかりとおのれの道を進みながら、その道をおのれの光であかるく照らしているのである。小人のヤコーピが偉大なスピノザにたいしていだいていた信心ぶかい、感傷的なにくしみは、日の目をみないむぐらもちの気持にたとえるほかないだろう。
という。
全編この調子、ときには風貌をも描写し、笑いのめしながらも、核心をつく。
なんども一人で笑いながら読んで、なんとなくドイツの哲学者たちと親しくなったような気がした。

ドイツ人とフランス人_e0016828_10074821.jpg
(三茶の女占い師)

ドイツ人のにくしみについてふれた部分。
ドイツ人は一般的に、ロマン語系の民族よりも執念ぶかいのである。
これはつまり、ドイツ人はにくむときにも観念論者であるからだ。われわれドイツ人は君たちフランス人のように外界の物のために、たとえばみえをはる心がきずつけられたとか、あてこすりの寸鉄詩をもらったとか、名刺の交換がしてもらえなかったとかいって、にくみあうのではない。いや、われわれドイツ人は敵のもっともおくそこにある、もっとも根本的なもの、つまり敵の思想をにくむのである。君たちフランス人はにくむときも愛するときも、うわっつらだけで、あっさりしている。ところがわれわれドイツ人はしつこく、あくまでもにくみつづける。われわれドイツ人は正直すぎて無器用すぎるために、即座のいじわるぐらいで仕返しするわけにはいかない。だから自分のいきのねがとまるまで、にくみつづけるのだ。
ごく最近のこと、あるフランス婦人が目をみはって、うたがいぶかくおずおずと私を見つめながら、こういったものだ。「ええ、わたしはドイツ人のおちつきがどんなもんだか知ってますわ。ドイツ人のみなさんは、おなじひとつの言葉を『ゆるす』という意味にも『毒をもる』という意味にもおつかいになるんですもの。」いや、まったくそのとおり!ドイツ語のフエアゲーベンつまり「あたえる」という単語には、このふたつの意味があるのである。
ドイツやフランスにお住いの方たちは、ハイネの言葉をどう思われるのだろうか。

Commented by mitch_hagane at 2023-10-30 16:30
>おなじひとつの言葉を『ゆるす』という意味にも『毒をもる』という意味にもおつかいになる…

これは面白いことを教えていただきました。
vergebenには「許す」(英語のforgive)と、「褒美として与える」(英語のaward)という意味があるのですが、「毒を盛る」なんて意味があるとは知りませんでした。
調べてみると、ギフトというのは日本語でも英語giftでも「贈り物」ですけど、ドイツ語のGiftは「毒」です。(笑)語源は同じらしいのに、いつの間に毒になったのでしょうか。語源はgeben(与える、英語のgive)らしいです。それでvergebenには毒を盛る意味がある、としたのですかねぇ。

Commented by saheizi-inokori at 2023-10-30 17:21
> mitch_haganeさん、なるほど、やはり毒があるのですね。
語源を知りたいな。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by saheizi-inokori | 2023-10-30 10:14 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(2)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31