ひときれの心のかて
2023年 10月 21日
こういうところも米国追随したら如何か、日本の官僚さんたちよ!
— 佐平次 (@saheiziinokori) October 20, 2023
米国務省職員が退職表明、イスラエルとハマスの衝突に対する米政権の対応に抗議 https://t.co/gJveRBSLo9 #スマートニュース
土曜日に大掃除を終えて体操をして、目玉焼き付きの朝飯を食うときが幸せだ。
つぎの大掃除までいちばん長い時間があるのだから。
大掃除なんて、大げさな、やりはじめてしまえば、二時間ちょっとで終わるのに、これをひとつの関のようにして、日々を過ごす。
大掃除を済ませることによって、はじめて土曜日の午後と日曜日の休日ムードが生れるのだ。
そうでなければ、僕の365日はネギのように節もなく、泡のようにふわふわと、牛のベロのようにのんべんだらりと過ぎ去ってしまう。
ハイネ「ドイツ古典哲学の本質」から。
ルネ・デカルトはフランス人である。それで哲学史でも、改革をはじめてとなえたという名誉は偉大なるフランスに与えられるわけである。けれどもこの偉大なフランスは、さわがしくて、はげしくうごいて、おしゃべりばかりしているフランス人の国は、哲学が成長するにてきとうな土地ではなかった。哲学はこの国ではさかえることはおそらくあるまい。こうしたことをルネ・デカルトは勘づいたのでオランダへ移っていった。それはオランダ人が住んでいて、運河には曳き舟がうかんでいるしずかな、だまりこんだ国である。その国でデカルトは自分の精神を伝統的な形式的な考え方から解放して、思考そのものからまとまった哲学の仕組をつくりあげることができたのだ。その思考そのものというのは、デカルト以後のすべての真の哲学が要求しているとおりに、信仰からも経験からも借りてきたものではない。またこのオランダにいたからこそデカルトは思考のおくそこにまで没入して、自我の意識のどんぞこにいる思考そのものをつかまえて、まさにこの思考によって自我の意識をあの世界的に有名な命題で確定することが出来たのだ。つまり『我思うゆえに我あり』というのである。マクロンをテレビで見ていると、パリ第十大学で哲学を学んできたとは見えないのは、僕の偏見かもしれない。
本書は、ハイネが、フランス人にドイツの宗教と哲学の意味を紹介しようとして書いたものだ。
彼は「人民の哲学」を標榜する。
(ドイツの哲学者たちの)論文はなるほど大そう意味ふかく、びっくりするほど意味ふかくはあるけれども、またびっくりするほどわけがわからないのだ。開ける鍵がない、閉められた米倉は人民には何になろうか?人民は知識にうえている。そして一きれの心のかてを無邪気にわけあって食べようとする私にお礼をいってくれるのだ。木田元は、近代の哲学書の文体がカントのあたりから、急に難解になったのは、近代哲学を担う哲学者の職業が変ったからだという。
カント以前の哲学者は、在野の知識人だったり、政治家だったり、外交官だったり、せいぜい僧侶だったので、一般の知識人を想定して平明な文章を書いた。
それは、とうじ大学のポストを占めていた講壇哲学者のほとんどは、中世以来のスコラ系哲学者であり、それを否定する哲学者たちは、大学の先生にはなれなかった。
カントの前後から、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルなど近代哲学の担い手が大学の教授になれて、彼らは日ごろから難解な専門用語を使う学生や仲間内にしか通用しない言葉で書くようになったのだと。
木田元やハイネが、ぼくに一切れの心の糧をわけてくれるのをお礼をいおう。
ただ、こちらの写真からいつも思うのは坂が多いこと。
この坂を上ったり下ったりだけで「のんべんだらり」とは縁が無いと思うのですが。